「あすか」誌 四月号作品鑑賞と批評
《野木メソッド》による鑑賞・批評
「ドッキリ(感性)」=感動の中心
「ハッキリ(知性)」=独自の視点
「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ
◎ 野木桃花主宰の句「花の山」から
※ 鑑賞例
春愁を深めつ先師のあとを追ふ
前主宰から敬称した俳句結社の運営には、主宰ならではのさまざまな愁いがあることでしょう。そのすべてを背負って前に進んでゆくという密かな決意が感じられる句ですね。
文机にわたし励ます桃の花
自らの俳号にしたくらいですから、桃花に特別な思いがあるのでしょう。文机にある小さな一輪挿しの、桃の花の色に癒されているひとときでしょうか。
春の雨主役脇役目を覚ます
春の植物たちの芽吹きを詠んだ句でしょうか。「脇役」とはきっと雑草を含めた植物たちのことでしょう。雑草も厭わず平等に、その芽吹きを寿いでいる作者の優しい眼差しを感じますね。
揚雲雀ふはりと風の県境
揚げ雲雀が垂直に地面に舞い降りてきた場面ですね。その降りた地点が県境であるという広い場所の表現で、視界が広がりますね。
〇「風韻集」 感銘秀句から
暁光の帯に乗り来る初鴉 大澤游子
「帯に乗り来る」という、まっすぐな光線と鴉の飛翔の表現が独創的ですね。
一天に風の音聴く冬木立 大本 尚
上五の「一天に」という、空という空間に向かう方向性の絞り込み表現が効果的で、中七以下の「風の音聴く冬木立」も詩的ですね。
待春の風をまとひし結び籤 奥村安代
初詣の境内の光景ですね。お御籤がたくさん結び付けられて、風に揺れている様子が見えます。
実朝の海の寒月煌煌と 加藤 健
実朝は海にまつわる次の和歌を遺しています。
箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ
大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも
世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも
非業の最期を遂げた人なので、この和歌にも何か予見していたような悲しみの響を感じますね。この句は「寒月の煌煌と」という表現でその悲しみに寄り沿って詠まれていますね。
渦巻いて落葉のこぼす日の香り 金井玲子
下五を「日の光」ではなく「日の香り」にしたのが効果的ですね。匂いという空気感を含んだ季節の表現になりました。
年の瀬や季語にもどれぬマスク達 鴫原さき子
「マスク」は本来は、三冬の季語ですが、三年間のコロナ禍によって一年を通して使われるものとなり、季節感が薄れてしまいました。この句はそれを説明的にではなく、擬人化したような「戻れぬ」と詠んだのが詩的ですね。
石鹸玉にじいろに街内包す 高橋みどり
石鹸玉の表面は虹色が渦巻いていて、よく見ると周りの風景が凝縮されて映り込んでいますね。それを理屈ではなく「にじいろに街内包す」と包み込む表現にしたのが詩的ですね。
木の影と風の色あり冬障子 本多やすな
冬障子のたたずまいを詩的に詠んだ句ですね。影が映っているだけでなく、そこに「風の色」を感じとっている表現が効果的ですね。
純白の闇の近づく雪しまき 丸笠芙美子
猛吹雪のさまを「純白の闇」と表現したのが詩的で独創的ですね。
はらからや母似の咳の闇甘し 宮坂市子
市子さんは現在、重篤な闘病中でいらっしゃって、自由に動き回ることができない不自由な日々を過ごされているようです。そんな中で自分を含めた親族たちの、咳の仕方に母の面影をしみじみと感じ取っている表現ですね。下五の「闇甘し」がその敬慕の想いを含み込んで見事ですね。
手焙は庭師の馳走ぼたん苑 矢野忠男
寒風の中で一日立ち仕事をする庭師さんたちの手はさぞ凍えているでしょう。焚火に手を翳して暖をとっている景の句ですね。「庭師の馳走」に作者の思いやりの気持ちが滲んでいますね。
天神のひなびし手水梅匂ふ 山尾かづひろ
由緒ある神社の佇まいを「ひなびし手水」という一点にクローズアップして、逆に境内全体の空気感を詠み込んでいますね。
火を育て炎なだむる浜どんと 大木典子
「どんと焼」の波打ち、立ち上り、揺れる炎のさまを「育て」「なだむる」という、人為との交差で表現して力強い句になりましたね・
「あすか集」感銘秀句から
受験子を朝の光へ送り出す 村田ひとみ
中七の「朝の光へ」という表現に、受験子に寄せる思いが込められていて、読者も応援するような気持ちになる表現ですね。
山茶花や極楽浄土の色零す 望月都子
山茶花は白色が多いのですが、その純白の色の中に、「極楽浄土の色」を感じ取っている表現ですね。果たしてはどんな色だろうと想像を掻き立てます。
滝凍る滝の一途をそのままに 小川たか子
中七の「滝の一途を」が独創的で、作者の想いが理屈ではなく体感的に読者に伝わりますね。
歌会始仙台平の畏みて 近藤悦子
仙台平(せんだいひら)は仙台地方で産出される絹織物の高級袴地ですね。 大坂夏の陣 ののち,伊達政宗が帰国に際して連れ帰った京都の呉服商によって,西陣のすぐれた絹織物が伝えられましたが,江戸時代中頃に仙台藩で西陣の職工小松弥右衛門を招いて織らせた袴地が,仙台平の起源といわれています。この句は宮中の歌会始めの参列者の装いのひとつだと想像できますが、その厳かな空気感まで伝わる表現ですね。
野仏に侍る土筆の小坊主めく 紺野英子
野仏の周りに芽吹き揃っている土筆のさまを、「野仏に侍る」という古語的響の表現で、敬意を込めた表現にして、最後に「小坊主めく」という愛らしい比喩で結んだのが効果的ですね。
とろろ汁夜を一つの灯影にて 丹治キミ
「夜を一つの」の中の「を」が巧みな表現の句ですね。明かりが一つだけというだけではなく、その灯の元に集っている人たちの気配を感じますね。
春風を蝶結びして髪結ぶ 千田アヤメ
「春風を蝶結びして」が独創的で詩的な表現ですね。ただ春風の雰囲気の中で髪を結んでいるだけですが、気持ちが和みます。
〇「風韻集」印象に残った佳句
人日やぶつかつてくる静電気 坂本美千子
春昼や名札提げたる郵便夫 摂待信子
飾り包丁孫に伝える節料理 高橋光友
隣家には電灯点かず春さみし 服部一燈子
転た寝に妣の笑顔や返り花 村上チヨ子
朝毎に数ふる錠剤寒の水 柳沢初子
客去りて軒に一列布団干す 吉野糸子
冬雲は矢尻の形月を指す 磯部のりこ
名苑に鷹や人の目カメラの目 稲葉晶子
〇「あすか集」印象に残った佳句
梅満開華やぐ辻の道祖神 宮崎和子
室咲の窓辺に並ぶ純喫茶 安蔵けい子
松納鎮守の杜へ徒歩五分 飯塚昭子
脱衣所に湯殿にヒーター八十路妻 内城邦彦
春炬燵一人じめなり師の句集 大竹久子
ならひ吹く学童の列黙と過ぎ 大谷 巖
曾祖父に殻をはずして蜆汁 小澤民枝
汚れたる窓を拭きをり雪催 風見照夫
福豆の雨戸の隅につぶされて 柏木喜代子
初鏡父似母似の姉妹 金子きよ
猫の恋破れ垣根の獣道 木佐美照子
里芋のこつくり煮えて灯の点る 城戸妙子
避難通路除雪に供えシャベル買う 久住よね子
猫の恋二頭は虎となりにけり 斉藤 勲
遠鐘や肌を刺したる冬の月 齋藤保子
臥竜梅人には人の支えあり 須賀美代子
手作りの寅を残して妻逝けり 須貝一青
病む夫に日脚が伸びる朝かな 鈴木ヒサ子
寒明けや進んで洗ふ飯茶碗 鈴木 稔
美味なもの美味に頂く女正月 砂川ハルエ
道の駅目秤に掛く金目鯛 高野静子
海からの風を聴きしか臥竜梅 高橋富佐子
蕗の薹いま盛り場の俎板に 滝浦幹一
初しぐれ見知らぬ人に傘かける 忠内真須美
検査終へおかゆにおとす寒卵 立澤 楓
節分や心の鬼と対話する 坪井久美子
日脚のぶ水活けたる端野菜 中坪さち子
湖尻湖に襲ふがごとく春霞 成田眞啓
僧の絵の掛軸飾る冬座敷 西島しず子
梅咲きて多喜二兜太の忌なりけり 沼倉新二
梵鐘の余韻かすかに芽吹山 乗松トシ子
小綬鶏に応援されて上る屋根 浜野 杏
孤独とは自立と同じ睦月尽 林 和子
かりがねや芭蕉も立ちし渡し跡 星 瑞枝
お年玉もらふ齢となりにけり 曲尾初生
毒草となりて身構ふ水仙花 幕田涼代
冬鳥いづこ赤き実庭に熟れしまま 増田綾子
盆栽の紅白梅や主なく 緑川みどり
☆ ☆
「あすか」誌三月号作品鑑賞と批評
《野木メソッド》による鑑賞・批評
「ドッキリ(感性)」=感動の中心
「ハッキリ(知性)」=独自の視点
「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ
◎ 野木桃花主宰の句「塞の神」から
※ 鑑賞例
題名の「塞の神」とは、村や部落の境にあって、他から侵入するものを防ぐ境の神。村落を中心に考えたとき、村境は異郷や他界との通路で、遠くから来臨する神や霊もここを通り、また外敵や流行病もそこから入ってくる。それらを祀り,また防ぐために設けられた神。それを詠み込んだのが、次の句ですね。
立春の日差しやはらか塞の神
「塞の神」の「塞」が「ふさぐ」という意味の語感は薄れて、親しみのある道祖神などの姿として現代に伝わっています。その時間がやわらげた「塞の神」の像に、立春の日差しを投げかけた、春立つ気分の表現ですね。
里山の地霊ねむらす梅二月
この句の「地霊」にも古代的な深い意味があります。農耕をはじめ人間生活全般を支配すると信じられた霊的存在のことです。大地を基盤とする人間の営みは、その場所に宿る地霊の承認と保護を得てはじめて可能になるという、自然に対する敬虔な思想が背景にあります。そのため各季節の節目に行われる豊穣祭など、地霊との交流は人々にとって最も重要な関心事でした。地霊の働きには二面性があり、人々に土地を耕させ恵みを授ける慈愛の性質と、それとは逆に地震や干ばつをひき起こす過酷な性質とが同居しています。前者はみずからの肉体を傷つけて子孫を養う地母神として、後者は地霊に従わぬ人間を襲う怪物や荒ぶる神として発現します。この句「地霊」にはそんな日本人の精神文化が背景にあるのですね。
蘖のこぞりて杜を明るくす
蘖(ひこばえ)は樹木の新芽。特に切株の脇などから萌え出た芽などを指します。この句では「森」ではなく「杜」ということばが使われています。「杜」は森とほぼ同じ意味で使用する例もありますが、厳密には神社の「鎮守の森」や「ご神木」のある閉ざされた樹木の生い茂る場所のことです。「杜」を漢語で「と」と読む場合、「杜絶」などの用例のように「ふさぐ」という意味があります。この句ではそんな神聖な「杜」に新しく芽吹いた「蘖」。祝祭的な響きを取り込んで表現されていますね。
〇「風韻集」 感銘秀句から
落葉して土に戻るにまだ遠し 大木典子
落葉の最後は解体して土に還ますが、それには季節という時間のゆったりとした経過が必要です。その時間に焦点を当てた表現の句ですね。
日をうけて明日への構へ冬木立 大本 尚
冬枯れの木に日が射している何気ない景に「明日へ」の希望のようなものを感じ取っている表現の句ですね。
風過ぐる音のみ聞こゆ藁仕事 奥村安代
「藁仕事」は冬の農閑期に新藁を材料として縄・筵むしろ・わらじなどを作る仕事のことで、現代では失われつつありますね。
「かあさんの歌」(作詞・作曲者の窪田聡)歌詞二番「かあさんが麻糸つむぐ/一日つむぐ/お父は土間でわら打ち仕事/お前もがんばれよ/ふるさとの冬はさみしい/せめてラジオ聞かせたい」の世界ですね。この句の「風過ぐる音のみ聞こゆ」でその情景が浮かびます。
色の無き軍港に佇ち空つ風 金井玲子
「色なき風」と言えば、華やかな色や艶をなくした秋の風のことですが、この句は三冬の季語の「空つ風」で、晴れた日に吹く北西の乾燥した季節風、つまり日本海側に雪を降らせて乾燥した風のことで、山脈をこえて関東平野に吹き荒れる中の軍港の景ですね。港全体が灰色で、軍艦はカーキ色一色。そんな視界の荒涼たる表現に、作者の戦争を厭う気持ちが滲んでいますね。
駅名を飛ばす特急日短か 坂本美千子
「飛ばす特急」が頭韻を踏んでいて、スビート感のある表現ですね。止まらない駅がある意味ですが、「駅名を飛ばす」としたのが効果的ですね。
短日の使い切ったる土踏まず 鴫原さき子
大胆な省略で一日の終りと労働の疲労感がじわーっと読者に伝わる表現ですね。最後を「土踏まず」にズームしてゆく体言止めの表現が効果的ですね。
寒林の影おのおのにある孤独 高橋みどり
「寒の影」が纏う寂しげな雰囲気と、人それぞれが抱える孤独感が響き合う、詩的な表現ですね。
裸木の荒星華と引き寄せて 宮坂市子
裸木となった冬木立の枝を透かして、荒星が見えている景ですね。荒星は木枯しの吹きすさぶ、荒れた夜の星のことで、それを「華と引き寄せて」と表現して、枯枝を彩る華に見立てたのが詩的ですね。
ひそひそと影を集めて寒牡丹 矢野忠男
「ひそひそと影を集めて」という表現が独創的ですね。何か密やかな秘めごとを抱え込んでいるような牡丹の花が、謎めいて見えます。
山眠る落人隠す一軒家 山尾かづひろ
実際に落人を隠しているのではなく、まるでそんな雰囲気だという比喩表現ですね。落人は落武者 、つまり戦乱において敗者として逃亡する武士で、代表的なものは平家の落人、源平合戦において敗北し僻地に隠遁した敗残者およびその末裔のことで、各地にそんな伝説が遺されています。そのような辺鄙な場所の一軒家を見ての感慨でしょうか。
〇「あすか集」感銘秀句から
読み返す育児日記や日脚伸ぶ 村田ひとみ
下五の「日脚伸ぶ」の季語の効果で、育児から卒業して時間が経過している余裕を感じられる表現になっていますね。さまざまな思い出と感慨が胸に甦っているのでしょう。
小春日や岸辺のどこかに子等の声 望月都子
じっさいに聞こえている声というより、どこからか・・・・という表現にしたのが、春の気配と相俟って効果的ですね。
使ふ部屋使はざる部屋冬日差し 稲塚のりを
自宅の全部屋が同時に使われている状態とは、子供たちがまだ独立しないで居たころのことでしょうか。その不在感の埋めようのない寂しさを伴う感慨が浮かびあがる表現ですね。
かみきれぬいぶりがつこや空つ風 近藤悦子
若いころのようにカリッと嚙み切れなくなっていることに対する思いを、ひらがなでやさしく包むように表現して、季語の「空つ風」と取合せたのが効果的ですね。元々そういう郷土の食べ物であることの郷愁も滲みます。
得心の書の筆あらふ女正月 紺野英子
女正月に改たまった気持ちで毛書をたため、満足のいく字が書けた充実感が伝わります。「あらふ」のひらがな書きが効いていますね。
〇「風韻集」印象に残った佳句
炭を継ぐ女将の民話夜の帳 大澤游子
亡き友を想ひだす頃花八手 加藤 健
若水を汲みしむかしや釣瓶井戸 摂津信子
日系人の手作りケーキ忘年会 高橋光友
初雪や今年の作を占えり 服部一燈子
川ひとつ超えれば江戸や初氷 本多やすな
たまゆらの出会ひのゆくへ風花す 丸笠芙美子
駅小春四方に伸びる歩道橋 村上チヨ子
鐘の音に濁点を打つ片時雨 柳澤初子
道の駅野菜売場に木の実独楽 吉野糸子
木々の葉の落ちし朝や葛湯とく 磯部のりこ
縄飛びに入口出口またあした 稲葉晶子
〇「あすか集」印象に残った佳句
こま犬の疵つきしまま冬ざるる 緑川みどり
寒中に耐えて居るらし鯉の群 宮崎和子
白菜は重石に耐へて味を出し 安蔵けい子
七草やままごと遊びするやうに 飯塚昭子
磨きたる笛吹薬缶福沸 内城邦彦
白鳥へ耳をしづかにパパと子と 小川たか子
寒紅をさして卒寿の一歩かな 大竹久子
雹傘に飛び跳ねておりジャズ響く 大谷 巖
京野菜さくり庖丁始かな 小澤民枝
青汁を溶かす若水まづ一杯 風見照夫
病む膝と仲良し小よし木の葉髪 柏木喜代子
空高くとんびに投げ餌お正月 金井和子
きりたんぽ思はず知らずおぼこ節 金子きよ
手渡しで受くる夕刊日脚伸ぶ 木佐美照子
いふなれば備忘録なり日記果つ 城戸妙子
柚風呂に浸り初恋思い出す 久住よね子
収集日仲間に知らす寒鴉 斎藤 薫
県境の鬼石まばゆし冬桜 齋藤保子
みそなはす螺髪に遊ぶ初雀 須賀美代子
鮮かに衣裁ちし音冬に入る 須貝一青
庖丁を磨ぐことに慣れ十二月 鈴木ヒサ子
青空へげんこつ挙げて枯木立 鈴木 稔
シクラメンあの夏を越し今盛る 砂川ハルエ
レシートに高き税率年の暮れ 高野静子
幼名でタイムスリップ初電話 高橋富佐子
一風に白光とばす寒椿 滝浦幹一
車椅子で乗る観覧車日脚伸ぶ 忠内真須美
冬薔薇秘めた香りの強くあり 立澤 楓
夫恋の時刻さざんか一つ咲く 丹治キミ
春満月私を信じついてくる 千田アヤメ
霊苑の手こぎの井戸に輪注連 坪井久美子
北風の猛り星座の歪みをり 中坪さち子
初夢や百歳の世に迷い込む 成田眞啓
顔馴染が友となって日向ぼこ 西島しず子
うやうやし諸手につつむ大服茶 沼倉新二
神官の的射る音や淑気満つ 乗松トシ子
もうすぐと小川に囁く木の芽かな 浜野 杏
換気扇とまらぬ厨大晦日 林 和子
バス停の名は地蔵原雉子が啼く 星 瑞枝
整へし庭に満たされ日向ぼこ 曲尾初生
大寒や男の靴を借りて出て 幕田涼代
※ ※
「あすか」誌二月号作品鑑賞と批評
《野木メソッド》による鑑賞・批評
「ドッキリ(感性)」=感動の中心
「ハッキリ(知性)」=独自の視点
「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ
◎ 野木桃花主宰の句「探梅行」から
万天の星を育ててゐる寒さ
みちのくの海の寒さをもち帰る
他の神へ地酒振る舞ふ年男
靴紐のほどけやすくて探梅行
※ 鑑賞例
一句目、「万天」は「ばんてん」「まんてん」と読み、空いっぱいという意味では「満天」とほぼ同義語ですが、「万天」には天下四方、世界中という意味もあります。この句に「万天」が使われているのは、作者が夜空だけでなく、世界全体の寒さが、逆にあの夜空の星の美しさを育てているのだという思いを込めたかったからでしょうか。二句目、東北行の旅の余韻が詩情豊かに表現されていますね。三句目、古くからの村々にあった古式ゆかしい慣習をそのまま詠んだ句ですが、それが失われている今、そのことを丁寧に読む意義を感じますね。四句目、上ばかり見上げて歩く探梅行の、自分の足元をクローズアップした句ですね。それだけたくさん歩いた、充実した心地よい疲労感も滲みますね。
〇「風韻集」 感銘秀句から
造船の歴史繙く文化の日 大木 典子
横須賀市にお住まいの典子さんにとっての文化の日の思いですね。
悠然と小春の鳶のスパイラル 大本 尚
下五を「螺旋かな」ではなくカタカナで軽やかに「スパイラル」と詠んで効果が高められている句ですね。
なにもかも捨てさつてより枯木立 奥村 安代
まるで枯木立が意志を持って葉を脱ぐように散らしたような表現が詩的ですね。
小春日や家宝となりし杵と臼 加藤 健
もう使われなくなって久しい杵と臼。思い出がいっぱい詰まっているこの道具たちへの思いが伝わる句ですね。
微かなる秋日を集め亀の首 金井 玲子
薄くなってきた秋の日差しの中で、日向ぼっこをしているような亀の首に焦点を当てて詠んだのが効果的ですね。
柿干して夕日に託す明日かな 坂本美千子
中七の「夕日に託す」という表現に詩情がありますね。
末枯るるもののどこかにいつも風 鴫原さき子
冬の寒気を予感させる冷たい風がしだいに強くなってゆく季節の推移も感じさせて余韻が在る表現ですね。
大雪と云ふラジオから故郷の名 高橋みどり
すでに両親が他界されて家だけになっている故郷。その東北の日本海側の地域は大降雪の地域で、ラジオの天気予報でその地区の名を告げられたのです。感慨ひとしおですね。
黄葉して己が名告る雑木林 宮坂 市子
古代人にとって名前は大切なものでした。万葉の恋歌にも名を告げ合うことが深い絆を結ぶ証しのように詠われています。この句はそのような日本人の情感を受け継いで、黄葉した雑木林が名乗りを上げているようだと詠まれていますね。
町小春有田だ砥部だ安売だ 矢野 忠男
「だ」の繰り返しが神輿の掛け声のリズムのようで祭気分を盛り上げていますね。期待していた陶器売り祭でしょうか。
賽の目にもめん豆腐を松過ぎて 山尾かづひろ
「を」で切って大胆に省略した俳句の技法で正月過ぎの、日常生活の始りを情感たっぷりに詠んだ句ですね。
〇「あすか集」感銘秀句から
枯蔦を引けば大樹の揺れやまず 村田ひとみ
大いなる自然と対話しているような表現の句ですね。
長き夜や活字大きな本選ぶ 飯塚のりを
老眼で小さな文字が読み辛くなってきても、読書熱は衰えることはない作者の思いがよく表れている句ですね。
折鶴は上を向いてる去年今年 望月 都子
机に置かれているか、糸で宙に吊るしてある折り鶴でしょうか。目は描かれていませんが、作者はそこに祈りの眼差しを感じ取った表現の句ですね。
洗米漬桶に白鳥孵りさう 小川たか子
意外性のある独創的な比喩表現が新鮮な表現の句ですね。
少年よ未だみどりの真葛原 近藤 悦子
「みどり」というひらがな書きに生命の若々しさを込めて詠んだ句ですね。
和服には和服のあゆみ女正月 紺野 英子
茶道など和式の習い事や行事、正月や晴れの日にしか和服は着られなくなりましたが、洋装とは違う和の所作の美しさを噛みしめ直しているような句ですね。
文化の日失ひしものに懐炉灰 砂川ハルエ
まず大きく、日本文化の大切なものが失われていくことへの詠嘆を、「懐炉灰」に象徴させて効果的に詠んだ句ですね。
〇「風韻集」印象に残った佳句
冬の月校長室の灯は消えず 稲葉 晶子
迷ひ込む小江戸裏町石蕗明り 大澤 游子
杖を曳くわが影伸びて草紅葉 摂待 信子
ヒーターを南の国の学生に 高橋 光友
古の神が座るや冬の星 服部一燈子
海沿ひに闇を引き寄せ冬夕焼 丸笠芙美子
君訪うて門に二輪の返り花 柳沢 初子
冬瓜のでんと置かれし土間の隅 吉野 糸子
群れ咲きし母の残せし杜鵑草 磯部のりこ
〇「あすか集」印象に残った佳句
氏神当番老人パワーで煤払 増田 綾子
小春日やこの海の先いくさあり 緑川みどり
寒夕焼終楽章はアダージョで 宮崎 和子
恐竜も倉庫に入れて雪囲い 阿波 椿
久びさに猫背の揃ふ炬燵かな 安蔵けい子
縄跳びや天に大波地に小波 飯塚 昭子
霜柱ずぶりと泳ぐ老軀かな 内城 邦彦
夕べには物の寄り来る炬燵かな 大竹 久子
帰国の子箸の止まらぬ冬菜漬 小澤 民枝
病室をすつぽり包む師走かな 風見 照夫
新暦和服美人のカレンダー 柏木喜代子
鼻唄を聞かれ小春の遊歩道 金子 きよ
雨上る朝の寒さのやはらかし 木佐美照子
晴着脱ぐや部屋とびまはる七五三 城戸 妙子
桜の木冬の大地をつかみをり 斉藤 勲
早朝の露天の風呂に黄葉散る 齋藤 保子
継がぬ子の胸中図る冬菜畑 須賀美代子
枯蔓に風船葛五つほど 須貝 一青
真白な布巾がなびく小春空 鈴木ヒサ子
工事場の白旗なびき冬に入る 鈴木 稔
鰯雲友のメールの郷なまり 高野 静子
蠟梅や言葉少なき人に似て 高橋富佐子
冬草よ長寿時代の朋であれ 滝浦 幹一
小春日やさかさに登るすべり台 忠内真須美
棹の先天つくような柚子をもぐ 立澤 楓
夫恋の時刻さざんか一つ咲き 丹治 キミ
一人だけ横向いているクリスマス 千田アヤメ
霜月や友三人は喪中かな 坪井久美子
チェロを背に喧噪の街クリスマス 中坪さち子
年賀状手書き十枚吾の役 成田 眞啓
草紅葉犬が乗り込む乳母車 西島しず子
ラガーマン男のハグのうるはしや 沼倉 新二
枯蔦は空き家の壁を画布にして 乗松トシ子
綿虫の遊ばんと来て夢をくれ 浜野 杏
庭先の葉付き大根主婦の顔 林 和子
冬草や凡骨の影連れ歩く 星 瑞枝
鬼門角難を転じる実南天 曲尾 初生
冬の月愛でて余生の句作とす 幕田 涼代
※ ※
「あすか」誌一月号作品鑑賞と批評
《野木メソッド》による鑑賞・批評
「ドッキリ(感性)」=感動の中心
「ハッキリ(知性)」=独自の視点
「スッキリ(悟性)」=普遍的な感慨へ
〇野木桃花主宰の句
影を曳き裸木の枝肩を組む
天空へ川なす飛行機雲寒し
日脚のぶ空の青さを持ち帰る
鑑賞例
一句目、葉を落してしまった裸木の枝も、「肩を組む」と表現されると冬の厳しさに立ち向かっているような景に一変しますね。二句目、飛行機雲の筋状の形跡を「川なす」とはなかなか表現できませんね。空にも寒く白い川が流れているという冬の景に感じられます。三句目、冬至を過ぎるとゆっくり夜が短くなり暮れるのが遅くなっていきますね。まだ日が暮れないうちに帰宅できたことを「空の青さを持ち帰る」と表現して詩的です。
〇 感銘秀句から
「風韻集」
朴の葉の窪み塒に秋蛙 のりこ
土の中に潜っての冬の本格冬眠の前に、朴落葉を塒にしている秋蛙を発見したのでしょう。小さな生き物への慈愛を感じる句ですね。
鳥渡る山又山を送電線 典 子
渡鳥の飛翔の軌跡の下、山と山を繋ぐように張られた送電線の姿を視界にとらえた景ですね。句に空間的な奥行きが生まれ、季節の変化が実感される表現ですね。
晩秋や鳥語のしるきいくさ跡 尚
かつて幾人の人命が失われたことだろう、と古戦場での感慨の句ですね。そこに今をまさに生きて囀っている鳥たちの声が降りしきっているという対比に深い情緒がありますね。「しるき」は、はっきりしている・際立っているという意味の文語形容詞「著し」の連体形。こういう古語をさらりと使えるようになりたいものですね。
過不足のなき生活かな障子貼る 安 代
「障子貼る」は仲秋の季語。夏の間涼をとるために外して物置などに蔵ってあった障子を出し、敷居に嵌める前に紙を貼り変える事。この句はそれと「過不足のなき生活(たつき)」を取合せたのが巧みですね。障子の紙は毎年貼替えずに、破れた一枚だけを切貼りしたり、穴のあいたところは花の形に切った紙などで塞いだりして倹約します。そんな堅実な日々を丁寧に生き暮している作者の姿勢が覗えますね。
秋草に万の光や昨夜の雨 玲 子
「万の光」は抽象的な言葉ですが、昨夜の雨で秋草が濡れて光っている景として表現すると、その葉の上の露が宿す色合いという具象性を持ちます。的確で鮮やかな表現ですね。
傍線に父の青春秋灯下 さき子
父の蔵書をめくっていて、大事な所に傍線があるのを発見したのですね。その勘所にも共感し、若い頃の父の息吹を直に感じているのでしょう。詩情豊かな句ですね。
「秋は夕暮れ」少年古文を夜長かな 光 友
この句の前に《『徒然草』スリランカ呑む少年と秋の夜》という句がありますから、外国人の少年に日本の古典を教えている景のようです。この句の方は『枕草子』のようです。現代文では伝わらない日本語の美しい調べが伝わることでしょう。
掃き寄せて火種のごとき櫨紅葉 みどり
落葉掃きから落葉焚きへと一続きだった昔と違って、今は路上での無許可の焚火はできません。この句の「火種のごとき」という感慨にはそのような昔の時間を背景に感じますね。櫨落葉は赤が鮮やかですね。
私に及ぶ黄葉の齢かな 市 子
老境の感慨を鮮やかな黄葉の色彩に托して詩的に詠みましたね。
乙女等はみんな地下足袋松手入れ 忠 男
庭師や専門業者ではなく若い乙女が複数人、地下足袋姿で松手入れをしている景に、ある種の爽やかさを感じて詠んだ句でしょうか。
湯豆腐や北緯五十度海は荒れ かづひろ
湯豆腐の季語から荒れた北の海に発想を飛ばす離れ業は、かづひろさんの独特の世界ですね。因みに一九〇五年から一九四五年まで、北緯五十度線は大日本帝国樺太庁とソビエト連邦サハリン州との間の国境となっていましたが、第二次世界大戦終戦後は樺太(サハリン)全土をソビエト連邦(ソ連崩壊後はロシア)が実効支配しています。今のロシアによるウクライナ侵攻の遠い背景に思いを馳せた句かもしれませんね。
「あすか集」
冬の雷喫水線の大き揺れ ひとみ
喫水線は船が水上に浮かんでいるときの水面と船体との交線ですが、雷雨の海の荒れ模様を具象的に捉えた表現ですね。
里見城は江戸への入り口小春かな 都 子
高崎市指定史跡になっている里見城跡を「江戸の入口」と表現したことでその歴史性がうかがえる表現になっていますね。下五の「小春かな」で作者がそこを散策している日差しも感じます。
火と親しむは人間ばかり冬の星 のりを
火を扱うのが人間である証し、または文明の象徴でもありますね。
木道二本一望千里の草もみぢ 悦 子
二本の木道に焦点を当てたのがいいですね。そこから遠景の広い草紅葉の景へと視界が開けます。
綿虫や己が光を零しゆく 英 子
本当は日を反射して光っているのですが、それを詩的に「己が光を零しゆく」と表現したのがいいですね。
〇 印象に残った佳句
「風韻集」
水遊び音符のように虹しぶく ユキ子
冬瓜のごろんと土間に居候 晶 子
一葉落つ風の便りに旅仕度 游 子
雨晴れて寺に顔出す天狗茸 健
影長く歩幅の狭し十三夜 美千子
鐘古りて火の見櫓や村時雨 信 子
霜枯れや残りし黄花の鮮やかに 一燈子
しずむ日に柿万灯をともしけり やすな
晩秋の風と連れ立つ斬り通し 芙美子
畦に立ち銃を構える案山子かな チヨ子
山峡の間口八間柿すだれ 初 子
「あすか集」
間引菜やゆつくり登る八十路坂 涼 代
立冬や草加松原薦巻く日 綾 子
銀鼠の猫は動かず金木犀 緑川 みどり
冬に入る朝日が森を深くする 宮崎 和 子
大空や黄金降り出す大銀杏 けい子
白き花赤き実を愛でからすうり 昭 子
焼鳥の串の先端折つて帰路 邦 彦
切り干しや厨に立ちし妣恋ふも 久 子
すすき野の消えし河原や泡立ち草 巖
花柊棘そげ落とし向かふ老い 民 枝
歓声も高低浅深寺黄葉 照 夫
暮の秋終の法事となる兄弟 き よ
風捉へほぐるる雲や秋の空 照 子
坂道は自分の重さ秋時雨 妙 子
雨風に耐へて案山子の役終はる 勲
蓮根掘る農夫野良着を畦で脱ぎ 保 子
冬りんご指の包帯歯で結ぶ 美代子
芭蕉忌や少し色づく庭の木々 一 青
定宿の河豚の白子や新走り ヒサ子
鯉二匹ポコッと近寄る秋の暮 稔
月代や父の両すねそつと撫づ ハルエ
栗の実や没日に長き己が影 静 子
黄泉路へと萩に包まれ旅立ちぬ 冨佐子
今朝蛇口より冬帝の使者来る 幹 一
タワーマンション裾にずらりと芒ゆれ 真須美
この色に魅せられぶらり烏瓜 楓
天の川仰ぐや夫の下駄履きて キ ミ
むかご飯ぷつりと噛みてパンダ顔 アヤメ
秋日和気怠く聞ゆ遠太鼓 久美子
柿の渋童の口は「への字」かな 眞 啓
秋冷や転倒予防の体操す しず子
ランニングマシン今年も十二月 憲 夫
山紅葉鳴子こけしのほつこりと 新 二
青空へおしやべり上手石和の花 トシ子
綿虫のほのかに青き出会かな 杏
腕のばし一二三四むかご飯 林 和 子
柿落ちる音夕闇に解けてゆく 瑞 枝
産土の狛犬やさし薄紅葉 初 生
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