あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

「あすか」2020年 令和2年

2020-12-02 12:06:15 |  俳句結社誌「あすか」 2020年
「あすか」2020年 令和2年


12月号















11月号













10月号















9月号



















8月号

















7月号












                 ☆


6月号





※ 武良コメント

 野木先生の句は青葉の季節を吹きわたる風の、さわやかな遍在性を詠んだものですが、高橋みどりさんは、一方通行的な闇の中で出口を求めて歩く心理を詠んでいますね。
 そうすることで「出口」に希望の意味を付与し、それがさらにまた新たな入口であるという連続性へと繋げていますね。









              ☆


5月号





桃花主宰の句  花あらしみちなきみちのありにけり

 漢字表記に変えると、「花嵐道なき道のありにけり」となり、何かいかめしく、険しい道程を思ってしまいますが、ひらがな表記にされていることで、逆に未知なる世界に向かっているような雰囲気になりますね。
 みどりさんの詩はその「未知の世界」に向かい合う主題を取り出して書いた詩ですね。
 一連目では不安と迷いを、二連目は、逃げないで何ごとにも「誠実」に向き合うことで、明日を切り拓いてゆこうと自分の心に呼び掛ける表現にしています。
 修子さんの兜の切絵が全体をまとめて力がありますね。











                  ☆


4月号






野木桃花主宰の句、「春雪の汚れ」と「新宿副都心」の取り合わせですが、中七だけを音律で読んでゆくとき「汚れ新宿」という響きになり、晩春の都市を行き交う人の群れまで見えてきますね。
「余韻のつぶやき」の詩で、高橋みどりさんは、都市の雑踏の中で、ともすれば自己を見失いそうになる自分の心という主題を、主宰の句から導き出して表現していますね。
「機械じかけの革靴の波」、二連目の「掌の四角い窓」は手鏡で疲れた表情の自分へと視線を誘っているのか、三連目の「夢と現をふんわりと結わえ」と、心を結び直して、「明日を迎えることの意味」という一行を結んでいます。見事ですね。
小倉修子さんの切絵はドクダミの花でしょうか。
この三作品が呼応し合っている、素敵な頁ですね。

付記 高橋さんの詩の、二連目の「掌の四角い窓」を「手鏡」と読むのは昭和的な読み方かたかも知れません。平成も過ぎた令和の今は、「スマホ」と解するべきかも知れません。
   そうすると、内面世界にまで情報過多の「雑踏」が雪崩こんでくるような表現になって息苦しさが増し、三連目がより生きた詩語になりますね。


















           ☆


3月号





 他の俳誌では見られない「表2」の「あすか」誌ならではのページです。
 同人の高橋みどりさんが主宰の俳句から好きな一句を選んで、その主題と深いところで響き合う詩を書き、小倉修子さんの切絵とのコラボのこのページを毎回作成しているそうです。
 今回は野木桃花主宰の俳句が、さやかな歓びを誰かと分かち合いたい気持ちが主題ですね。高橋さんの詩は心の響き合いを主題に書いてます。それを表現するのに「きらいとすき」という心の揺れの両極を描写的に表現しているのがみごとですね。第一連の最後、
 かすかに遠い部屋のどこかで
 「気にしているよ」と響いている
というフレーズがいいですね。
 切絵はひな人形を添えました。
  (武良 評)





半世紀以上の歴史を持つ「あすか」ならではの、独自の「歳時記」のページです。過去の同人たちの作品から精選された作品をどうぞ。







         ☆


2月号











          ☆

● 1月号













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