もこにゃんとばあば

もこにゃん もうすぐ八才(2015年生れ)
登場数は少ないですがヨロシク!にゃん

アントニオ猪木

2022-10-02 05:46:14 | 俳句

あり方は真夜中の月迷ひなく 

ありかたはまよなかのつきまよひなく

月齢の満ち欠けのよふ暮らしをり帰らぬ昔知らぬ行く末 

 

アントニオ猪木は、湾岸戦争で日本人人質解放。

1990年(平成2年)8月2日、当時フセイン政権下のイラクが突如クウェートに侵攻(湾岸危機)。

イラクは日本を含む国際連合からの非難や制裁措置を受け、当時クウェートにいた日本人41人などを事実上の人質としてイラクに連行・国外移動禁止処分にする。

政府間の人質解放交渉は難航したが、猪木が12月1日にイラクで「平和の祭典」を行うことを発表。

外務省はこれに難色を示したが、猪木は個人で費用を負担してトルコ航空機をチャーター、関係者や人質被害者41人の家族46人と共にトルコ経由でバクダードへ入った。

このイベントの開催後に、在留日本人と全人質が解放された。

これを追い風に、その後1992年(平成4年)7月の第16回参議院議員通常選挙でも1議席を獲得(参議院会派で2議席目)した。

1995年には北朝鮮で「平和のための平壌国際体育・文化祝典」を開催。

その後も訪朝を重ね、金正恩朝鮮労働党総書記の側近らと独自のルートで接点を持った。

訪朝は33回を数えた。

日本を元気にする会への参加と解散、2015年1月8日に政党「日本を元気にする会」の設立と同時に参加、同党最高顧問に就任。

2016年7月27日に会派「日本を元気にする会・無所属会」は解散し、猪木は会派「無所属クラブ」に異動した

政界引退、2019年6月5日、参議院選挙には出馬せず引退する意向を表明した。

不出馬の理由は高齢であることや選挙に向けた野党間協定に対する思い等があることを述べた

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闘魂の人、アントニオ猪木は人生も燃える闘魂で締めくくったようですね。

プロレスからの人生は色々あったようですが、まっすぐに生き切った姿勢は素晴らしいですね。。。

ついさっきまで、アントニオ猪木の生き方を?で見ていた自分が情けない。
 
「元気があれば何でもできる」って名言だと思う。
 
迷わず行けよ。行けばわかるさ!本当にそうですね。
 
死んでからその人の良さがわかるって、不思議なことです。
 
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親や兄弟ってなかなか良いことばかりが見えてなくて、でもそうだからこそ自分を真っ当な人間に育ててくれるのでしょうね。
 
高齢者になってもまだまだ勉強の足りない私です。

清水寺

2022-08-17 09:02:25 | 俳句

天罰となるもならぬも霧深し

てんばつとなるもならぬもきりふかし

清水の有明月の滝の水

きよみずのありあけづきのたきのみず

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798年8月17日(旧暦延暦17年7月2日)、京都府京都市東山区清水に清水寺が建立されました。

平安遷都以前から建立されていた数少ない寺院のひとつでもある清水寺は、後に征夷大将軍となる坂上田村麻呂の寄贈によって建てられており、当時は今日見られるような清水の舞台はありませんでしたが、『枕草子』作者:清少納言 『源氏物語』作者:紫式部 『今昔物語』作者:不詳にも登場するなど、当時から全国的に広く知られた寺社だったと考えられております。

また、清水寺は分かっているだけで、火事が原因で9回消失しており、都度都度修復・改修が行われ清水の舞台に代表される現在のような造りにほぼほぼ再建されたのは、江戸時代の寛永年代(1630年代)で、江戸幕府 第3代将軍・徳川家光の寄進によるものだとされております。

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清水寺では年末に今年の一文字が管主によって行われます、1995年から始まりました。

2021年 金 東京2020オリンピック。大谷翔平選手、藤井聡太、松山英樹選手の多くの金字塔。

2020年 密 新型コロナウイルスの世界的な流行。東京2020オリンピックの延期。

2019年 令 およそ30年ぶりの改元となる新元号「令和」。

2018年 災 西日本豪雨・地震・大型台風など大規模な災害が多発。医学部不正入試問題など。

2017年 北 北朝鮮による核実験や弾道ミサイル発射。九州北部豪雨。

2016年 金 リオ五輪。政治と金に関する問題が次々と発覚。イチロー選手・伊調馨選手の金字塔。

2015年 安 安全保障関連法案の成立を巡り世論が二分化。パリ同時多発テロ、邦人拘束事件。

2014年 税 17年ぶりの消費税率引き上げ。10%への引き上げ延期。

2013年 輪 2020年のオリンピック・パラリンピック東京開催決定。自然災害で広がる支援の「輪」。

2012年 金 金環日食・金星食が観測。ロンドン五輪。山中伸弥教授ノーベル賞、吉田沙保里選手。

2011年 絆 東日本大震災、台風などの大規模な災害。カンタベリー地震・タイ洪水など海外での災害。

2010年 暑 記録的な猛暑により熱中症患者が続出。小惑星探査機はやぶさが地球に帰還。

2009年 新 新内閣が発足。バラク・オバマ新大統領就任。ウサイン・ボルト選手が世界新記録。

2008年 変 日本の首相の交代。オバマ次期大統領の「Change(変革)」。世界経済に大きな変化。

2007年 偽 食品に関する偽装が問題に。年金記録問題や官庁の裏金工作など。耐震強度偽装問題。

2006年 命 皇室に約40年ぶりに悠仁親王の誕生。飲酒運転による交通事故。子供の自殺が多発。

2005年 愛 「愛・地球博」の開催。紀宮様と黒田さんのご結婚。名前が「愛」の女性が活躍。

2004年 災 大型台風、新潟県中越地震などの天災。美浜発電所の蒸気噴出事故。自動車のリコール隠し。

2003年 虎 阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝。イラクへの自衛隊派遣。

2002年 帰 北朝鮮に拉致された5人が帰国。田中耕一さんがノーベル賞受賞。

2001年 戦 アメリカ同時多発テロ。構造改革をめぐって小泉内閣と抵抗勢力の戦い。

2000年 金 シドニーオリンピック。「きんさん・ぎんさん」の成田きんさんのご逝去。二千円札の発行。

1999年 末 1000年代の末、世紀末。来年への末広がりの期待をこめて。

1998年 毒 和歌山のカレーに毒物混入事件。ダイオキシン、環境ホルモンが問題に。

1997年 倒 山一證券など、大型企業の相次ぐ倒産。

1996年 食 O-157による食中毒の多発。狂牛病の発生。汚職事件が多発。

1995年 震 阪神・淡路大震災。オウム真理教事件。金融機関などの崩壊。

こうして見て見ると僅かな期間にいろいろなことが起きていました。

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今日は息子の誕生日。

母は初孫の息子は特に可愛いらしく、小学校卒業までの春夏冬の休みにはずっと母と一緒に過ごしていた頃が一番楽しくて良かったと言っております。


街録

2022-08-16 07:03:58 | 俳句

街中の立ち話さえできぬ秋

まちなかのたちばなしさえできぬあき

町中に別烏や寺の屋根

まちなかにわかれがらすやてらのやね

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昨日の街録は戦争体験者の話だった。

コメンテーターの石坂浩二の言葉が心に残った。

戦争であってもなんであっても人間は慣れてしまうものである。

戦争のさなかにあっても決して慣れないようにしないと戦争は無くならない。

そんなような言葉だったと思うが、なるほどと思った。

たしかにどんな境遇にあっても慣れてしまってこれで良しと思えることは多々ある。

慣れるということは良いことのようでもあるが、状況をきちんと見すえることは大事だと思った。

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放送予定 - ガイロク(街録) - NHK

因みに昨日の再放送は8月19日12:00~12:30までBSプレミアムで放送されます。

街録は人生のピンチを乗り越えた方々の話で聞いていると何か元気が出てきます。

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母から退屈だと電話がかかってきました。

施設のコロナが終息したと言ってはいるが、まだ部屋に隔離されている人がいるようだとも言っていました。

昨日のオホーツク地方の感染者は153名だそうです。

300人超えの日もあったことを思えばよくなったと思うべきかはまだわからないようです。

コロナに慣れは禁物ということですね。


終戦忌

2022-08-15 05:11:23 | 俳句

樺太のトンネル潜む敗戦日

からふとのとんねるひそむはいせんび

終戦忌父生きて我生まれたる

しゅうせんきちちいきてわれうまれたる

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養老孟司 「ヒトの壁」戦後を拒否して生きてきた

人生を回顧した章で、「戦後を拒否してきた」と書いているのに驚いた。子ども時代に限らず8月がイヤな月だったとも。

敗戦から思い出されることを心理的に抑圧してきたことに、80歳を超えて気がついたという。

戦前がウソなら戦後日本もウソの塊で、「一億玉砕」「本土決戦」と、「平和」「民主主義」も同じようなものだと見れば済んだという。

生きにくいと思ったのは、養老さんが社会を拒否してきたからで、母親の影響を挙げている。

養老さんの母は開業医で、生涯それだけを続けた。

一切の公職につこうとせず、医師会の役員ですら拒み続けた。

戦中に朝鮮人を差別なく親切に治療したことを後で知ったという。

心理的な抑圧が解除されたのは『敗戦後論』(ちくま学芸文庫)を書いた評論家・加藤典洋さんの死(2019年)が原因だった。

加藤さんとは古い付き合いだったが、『敗戦後論』は読みかけては中断を繰り返していた。

加藤さんが亡くなり、読み返してみると、素直に読むことができた。

「人生は不要不急か」「新しい宗教が生まれる」「ヒトはAIに似てきている」「人生とはそんなもの」「自殺する人とどう接するか」「なせばなる日本」などの章からなる。

敗戦についての記述は、「なせばなる日本」にも出てくる。

ある文学賞の会議で、米国(または中国)の対日政策に関して、「変だ、不条理だ」という意見を述べた人がいた。

そこで議長役の山崎正和氏が「戦争に負けたということはそういうことだよ」と一言延べ、議論は終わった。

「殺し文句」とはこういうことか、と思ったそうだ。

そして、自分自身が「敗戦」という「事実」を甘く考えていたことに気がついた。

そして、こう書いている。

「『仕方がない』はきわめて無力に思われるかもしれないが、事実認識としては十分強力になりうる」

こうしたあきらめにも似た諦観が、底に流れているような気がする。

戦後社会を拒否して生きてきたのだから当然かもしれ--------BOOKウォッチ編集部より抜粋

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昨日は各テレビ局で終戦・敗戦等の特番が組まれていました。

「国民はみな騙されていた」というより騙し・騙されてと言った方が正しいのかも。

「戦前がウソなら戦後日本もウソの塊で、「一億玉砕」「本土決戦」と、「平和」「民主主義」も同じようなものだと見れば済んだという。」

ウクライナ戦争も嘘が蔓延っているようですね。

自民極右の人たちの論法では戦争を仕掛けられたらやり返すしか無い、そうしなければ国が盗られる。

こういう状況で戦争は始まるのでしょう。

戦争が起こると当事国の国民は犠牲になる人が増えます。

死んだらA国もB国もないのにね。

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今日はママの実家に行っていた息子家族が帰ってきます。

夕食何作ろうかな~?

昨日から考えているのにまだ決まらない!


日本の若者

2022-08-14 05:49:03 | 俳句

天高く心意気秘め発信す

てんたかくこころいきひめはっしんす

若者に語り継ごうぞ終戦忌

わかものにかたりつごうじしゅうせんき

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水田 安美さん 国連スピーチ全文(日本語版)
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今日、私は日本の若者を代表してここへ来ました。

私が伝えたいのは、日本は素晴らしい国だから、自虐史観に終止符を打ちたいこと、そして皆さんと共に地球規模で幸せを実現するために、力を合わせていきたいということを伝えるために日本からやってきました。

今から日本の素晴らしさを皆さんに伝えます。

まずは、日本の国旗です。
 
このように一見、シンプルな白色の真ん中に赤い丸という国旗です。

この赤い丸は「太陽」だと言われており、日本の信仰の象徴でもあります。

それは、「太陽信仰」といって、天照大神という存在が国家の神として認められて、日本全体がそれを承認し、今の日本にある皇室制度が成り立っています。

それは「百二十五代」続いています。

その間、途切れずに続いており、系図もはっきり遺っています。

そしてその史実は、少なくとも二千年近い歴史があることは、ほぼ確実です。

「統一王朝として、二千数百年存在する」ということを考えると、これだけ連綿と続いた国家があるのは、すごいことです。

「世界史のなかの奇跡」と言っている人もいます。

私もそう思います。

もう一つは、日本の神話です。

古事記や日本書紀など日本人が古くから大切にしている伝統や書物があります。

そのなかに描かれている象徴的なものから「生き方」を学べます。

嘘をついてはいけない、勤勉に生きる、人に優しくするなどといったことが今では、お爺ちゃんやお婆ちゃんの口から二千年も語り継がれているのです。

なので、東日本大震災などの大きな災害があっても、お互い譲り合ってできるのです。

このように、日本には「統一王朝や日本の神話が二千数百年の長きに渡って現在まで大切にされてきたこと」ということは、本当に素晴らしいことで、これは「世界遺産に匹敵する」ことくらい、すごいことだと私は思います。

そして最後に、アジアの植民地解放、アジアやアフリカ諸国の独立に貢献したということです。

第二次世界大戦の敗戦後、天皇陛下の一言で日本人は一斉に武器を捨てました。

そして、その後も日本に帰らず、戦いの現地に残ってその国の独立のために武器の使い方を教え、共に戦った日本人が多くいます。

何故だと思いますか?

それは、他国を侵略したいと思ってないからです。

先ほども述べた日本人の考え方のなかに「困っている人がいたら助けたい」という、思いがあるからです。

それがよくわかる「インパール作戦」を例に挙げます。

日本ではインパール作戦というと、一番残酷で失敗の作戦だったと習います。

ですが、インドではこのように言われています。

インド国軍50周年記念で現地の方がこう言われたと、実際その場所に行かれた日本の人に聞きました。

「インパール作戦であれほど日本軍が自分たちの犠牲を払って戦ってくれたから今この日を迎えられます。そのことに感謝、尊敬しています」

当時の日本人は同じアジア民族としてある民族だけが、肌の色が違うだけで虐待されるのが許せず、黙って見てられなかったのです。

それは、日本の上の人だけではなく、日本国民が皆そう思っていました。

そうした、神様が見られる視点・地球的正義感を日本人は持っていました。

そしてそのアジア独立に感化されたアフリカも独立への動きに変わっていきました。

そんな日本をインドも、アジア諸国の人も尊敬しています。

以前、マレーシアに行ったとき、現地の人に手を握られ、涙を流しながら「アリガトウ、アリガトウ」と言われたことを今でも覚えています。

私は、それがすべてだと思います。

私は日本に生まれたことを誇りに思います。

なので、日本という国はもっと自信を持ってもいいのです。

この国自体が「世界の誇り」であり、「世界遺産そのもの」そう思っていいはずであります。

これを知るだけでもこの素晴らしい日本に生まれた日本人が「自虐史観」で、自分の国が嫌いという考え方を変えなければならないということが、はっきり分かってくるはずです。

他にも数えきれないくらい、日本の素晴らしいところがたくさんあります。

今、日本は誇りと自信を失いかけています。

なぜなら日本は悪い国だと他の国に言われ、また学校の先生に、そう教えられているからです。

私自身も、お婆ちゃんから教えてもらっていた日本の歴史と学校から教わった歴史があまりにも違っていたことから歴史の勉強を始めました。

そして自信を無くした子供たちは、いじめや犯罪に走ります。

私自身も、学生時代いじめられた経験があります。

日本にはあまりにも自分のことが嫌いな子供が多すぎます。

しかし、日本には素晴らしい文化や思想、伝統がたくさんあります。

日本国内でその声を挙げても小さな声にしかなりません。

なので、皆さん一人ひとりが自分の国を愛するように、日本のことも愛してください。

幸福を祈ってください。

その思いが、日本の子供たちの命を救います。

日本の人々の勇氣になります。力になります。

誇りと自信に繋がります。

もう、日本の自分の国が嫌いという考え方「自虐史観」に、この戦後70周年の今、終止符を打ちたいのです。

日本が再び誇りと自信を取り戻すことはもちろん、日本だけではなく世界各国がそれぞれの国で誇りと自信を持ち、地球規模で幸福と平和と安らぎが実現する未来を私は本氣で祈っています。

このスピーチが世界の幸福の一助になることを願います。

(〜転載ここまで〜)

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日本の若者の中には素晴らしい人もいるもんだ!この文を読み改めて思いました。

だがしかし、この若者のベースは何なのかもう少し調べたいとも思いました。

そしてこの自虐史観を卒業する術を身に着け発信していこうと思いました。

もうすぐ終戦忌、私は戦後生まれですが私の知っている戦争を発信することも大事だと思っています。

何事も押し付けでは無く事実を発信することで世の中が変わっていくように思います。

テレビのワイドショーでのコメンテーター達の見てきたような嘘は聞いてもしょうが無いのでテレビのワイドショーは見ないようにしています。

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昨日は長男の弟夫婦からギフトが届いておりました。

私の好きなチーズ各種とお嫁さん手作りのパッチワークのバックでした。

黒の柄がなかなかシックで良いです。