もこにゃんとばあば

もこにゃん もうすぐ八才(2015年生れ)
登場数は少ないですがヨロシク!にゃん

(旧)郵政省&電気通信省設置記念日

2021-05-31 04:31:31 | 短歌

お天気と花の咲きいる話から入院中の母へのスマホ

  (このコロナ禍・・いつまで続くのか・・現代は携帯があるから話だけは出来る)

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1949年5月31日、逓信省が分離して、郵政省と電気通信省(後に電電公社、現在のNTT)が設置された。

郵便・郵便貯金・郵便為替・郵便振替・簡易生命保険の事業と電気通信の事務を行っていたが、2001年の中央省庁再編により、電気通信事務は総務省に、その他の事業は郵政事業庁(現在の日本郵政グループ)に引き継がれた。

電気通信省は1952年8月1日に廃止された。

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私はこの時代の大半を電電公社(NTT)と共に歩んでいました。

入社して数年は電話交換手でした水色の制服が懐かしい!

その後営業部門で毎日数字とにらめっこ!リストラで退職する頃は販売部門に異動していました。


ゴミゼロの日

2021-05-30 04:08:01 | 俳句

青葉風恩送りの種ゴミ拾い

   (散歩中にゴミ拾いをして・・)

            

豊橋山岳会会長・夏目久男さんの呼び掛けにより豊橋市で530(ゴミゼロ)運動が開始され、1975年に官民一体の530運動推進連絡会が設立、5月30日のゴミゼロの日と11月11日の市民の日を中心として全市一斉の清掃活動が行われるようになった。

「530(ゴミゼロ)」というネーミングのユニークさから530ゼロ運動は全国に広がり、1993年には厚生省がこの日を初日とするごみ減量化推進週間を制定した。

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いらないものはゴミにするのではなく、再利用・再資源が大事ですよね。

私たちの市は人口が少なく財政もあまりないのでいらないものは何でも燃やすという、高機能の焼却炉を設置できなく、ごみ分別をきちんとし、それでもゴミにしかならないものは埋立にするという方法でゴミと向き合っています。

しかし、路上には車からポイ捨てするごみもあり、がっかりです。

昨今はコロナ禍で路上飲みや公園飲みなどの迷惑行為も多発していて、どうなる日本・・と危惧しているところです。

小さい頃から、ゴミ教育していないと・・・


エベレスト登頂記念日

2021-05-29 04:36:33 | 俳句

知床の青嶺広がる登山道

  (知床の斜里岳は好きな山でした)

         エベレスト

1953年5月29日、ニュージーランドのエドモンド・ヒラリーとシェルパ族のテンジン・ノルゲイが、世界で初めて世界最高峰のエベレストの登頂に成功した。

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まだ物資もよく揃わない時代にすごいですね~。

実力&運も良かったのかしら。

私は40代くらいまでは登山が趣味で道北・道東の山にはよく登っていました。

          斜里岳

特に斜里岳が好きでした、一番最初の登山も斜里岳でした。

川を渡ったり・・楽しい山でした。

我家の窓からも斜里岳は見えます。


縄文杉の発見

2021-05-28 04:32:25 | 俳句

新緑に埋れ無言の遺跡群

 (北海道・北東北縄文遺跡群世界遺産登録勧告を記念して・・)

            縄文杉

当時、鹿児島・屋久町観光課長を務めていた岩川貞次氏が、小杉谷の奥に巨大な屋久杉があるらしい…!

との話を聞きつけ、実際に調査を開始。

調査探索の末、1966(昭和41)年5月28日にとても巨大な屋久杉を発見しました。

発見当初は、そのあまりの巨大さから大岩杉と命名。

その後、推定樹齢が4,000年以上とされ、樹木が縄文時代から生きている、大岩杉のうねる幹の造形が縄文土器の文様に似ている、などなどのことが伝え広がり、いつしか縄文杉という呼称に変わっていったそう。

ちなみに、専門家による調査の結果、実際の樹齢は約4,000〜7,000年以上前と推定されております。

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北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に登録されるむね、ユネスコの勧告がされましたね。

縄文人の末裔の日本民族としては嬉しい限りです。


百人一首の日

2021-05-27 04:04:39 | 短歌

朝ドラのパルプテーションに刺激受け恋する時間何時のいつまで

   (恋の歌はなかなか詠めません、朝ドラ「花子とアン」をみて・・)                    

                

1235(文暦2/嘉禎元)年のこの日、藤原定家によって小倉百人一首が完成された。

藤原定家の「明月記」の文暦2年5月27日の項に、定家が親友の宇都宮入道蓮生(頼綱)の求めに応じて書写した和歌百首が嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に貼られたとの記述があり、この記事が小倉百人一首の初出ではないかと考えられている。

かるた

   かるた(取り札)  下の句かるた。

『百人一首』は現在では歌集としてよりも、かるたとしての方が知名度が高く、特に正月の風物詩としてなじみが深い。

『百人一首』のかるたは歌がるたとも呼ばれ、現在では一般に以下のような形態を持つ。

江戸期までの百人一首は、読み札には作者名と上の句のみが、取り札には下の句が、崩し字で書かれており、現在のように読み札に一首すべてが記されていることはなかった。

これは元来歌がるたが百人一首を覚えることを目的とした遊びであったためであり、江戸中期ごろまでは歌人の絵が付されていない読み札もまま見られる。

また、現在でも北海道では、「下の句かるた」というやや特殊な百人一首が行われている。

この「下の句かるた」に用いられるかるたでは、上の句は読まれず下の句だけが読まれ、取り札は厚みのある木でできており、表面に古風な崩し字で下の句が書いてある。

江戸期の面影を残したかるたであると言える。

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恋の歌が多くて43首あるようですね。

北海道は下の句かるたなんですが、電電公社時代はよくお正月にしていました。

最近は老人クラブでも脳トレのためしていました。