哲学の門くぐるのもくぐらずも徳を積みつつ生きるが事なり
紀元前399年4月27日、ギリシアの哲学者・ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受けて、刑の執行として獄中で毒を飲んで亡くなった。
アテナイ(現在のアテネ)で活動し、対話的問答を通じて相手にその無知(無知の知)を自覚させようとしたが、アテナイ市民には受け入れられず、告発され死刑判決が下された。
弟子たちは脱獄を勧めたが、「悪法も法」だと言って毒杯を煽ったのだった。
ソクラテスは「生きるとは何か」「人間はどのように生きればよいか」といった問題を最初に考え始めた人物だと言われています。
このような問題は倫理学と呼ばれ、現在の哲学でも大きな柱の一つになっている学問です。
ソクラテスの思想
無知の知
無知の知とは「知らないことを知っていると思い込んでいる人よりは、知らないことを自覚している私の方が少しは賢い。」とする考え方。
知らないとわかっている分、知ろうと努力をするし知識を吸収しようとする意欲が湧きます。わかった気になって、現状維持するよりも賢者だといえるでしょう。
アポロンの神託
ギリシア人は何か重要な決め事をする時、アポロン神の神託を聞くことが慣行となっていました。
カイレフォンは次のように神に聞きます。
「ソクラテスより知恵のある者が誰かいるか?」 すると 「ソクラテスより知恵のある者は誰もいない。」 と返事がありました。
これを聞いたソクラテスはびっくりします。「そんなことはない。絶対に私より賢い者がいるはずだ。」
そう考えたソクラテスは賢者と評判になっている人のもとを訪れます。
賢者と名高い政治家、詩人、職人のもとを訪れた結果、ソクラテスは神が自分が一番賢いと言った意味を理解します。
たしかに、彼らは自分の得意な分野においては優れた知識を持っていました。
しかし、人間にとって一番大事だと思われる「真・善・美」や「徳(アレテー)」については何も知りません。
知らないくせに、知ったつもりになっていることことを発見します。
ソクラテス自身も「真・善・美」や「徳」といったいわゆる「人間はどのように生きるべきか」という問いに対しての完璧な答えは持っていません。なぜなら神しか答えを知らない問題だから。
しかし、少なくとも「自分は答えを知っているとは思っていない。」そのことだけで、上の賢者よりも少しだけ、自分の方が賢いことを理解します。
これが「無知の知」です。
知徳合一
「徳(アレテー)」という言葉が出てきましたが、意味は「自分自身のあるべき姿を理解し、それに近づくこと」です。
例えば、刀の徳(アレテー)は「よく切れること」です。
ソクラテスは人間が罪を犯すのは、この徳が少ないからだと考えます。
正しい知恵を持っていれば、人は罪を犯さない。
つまり人間にとっての徳は「知恵」だという考えです。これを「知徳合一」と呼びます。
問答法
ソクラテスは自分の考えを人に伝えるため、問答法という方法を用いました。自分の言いたいことを一方的に述べても、相手には上手く伝わりません。
それよりも相手の意見をよく聞き、その矛盾点を指摘しました。そうすることで、相手も話しながら自分自身の考えを整理し、矛盾点に気付くことができます。
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ソクラテスの偉大さが分かるような気がします。
哲学は面白い分野ですね。