もこにゃんとばあば

もこにゃん もうすぐ八才(2015年生れ)
登場数は少ないですがヨロシク!にゃん

霧笛

2022-12-20 06:18:28 | 俳句・短歌

霧笛鳴るおもいでの海冬烏

むてきなるおもいでのうみふゆがらす

青春の映画の中に吾もありて音も景色も甦るなり

 

1879(明治12)年12月20日、青森・津軽海峡の本州側東海岸にある尻屋崎灯台に、日本で初めて霧笛むてきが設置されました。

霧笛は霧の中でも航海中の船の安全を守るためのもので、設置当時は20秒おきに4秒間鳴らされておりました。

ちなみに、尻屋崎灯台は現在有形文化財として登録されおり、日本の重要な建造物のひとつに数えられております。

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昨日は札幌の丘珠空港から女満別空港まで帰ってきました。

離陸してから上昇するまで雲の中で、こんな中で飛行機の運行が出来るなんて凄いな~と思いました、が空の運行は技術の進歩により大丈夫なようですね。

それに比べて陸の上は目で確認することなどが重要になるようで、海の上はというと霧笛が結構有効なようでした。

網走も港があり、燈台が港の中にありますので、子供の頃は霧笛が聞こえていました。

現在は船の計器などが進歩しているので灯台の霧笛は殆どの灯台で廃止されているそうです。

音の記憶というのもなかなか良いものですね。

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昨日、ホテルの部屋を出るとき母が私の足に躓き思いっきり転びました。

すぐ立ち上がって車椅子に乗ったので、安心しましたが、転倒には本当に注意しないと駄目ですね。

私も足が弱いので、自分の足もよく確認して歩かないとと思いました。

孫の結婚式は感動的でとっても良かったです。

孫は高校から親元を離れていましたので、大人になってからはあまり会えていなかったので新しい一面を見られて良かったし、兄弟が揃って仲良くしていたのが印象的でした。


初飛行

2022-12-17 04:10:08 | 俳句・短歌

室飼いの越冬の蜂冒険す

むろがいのえっとうのはちぼうけんす

朝ドラの舞ちゃんが飛ぶ空の上飛行機好きの夢叶えたり

 

1903(明治36)年12月17日、アメリカ・ノースカロライナ州キティホークの海岸にて、自転車製造業を営んでいた 兄:ウィルバー 弟:オーヴィルのライト兄弟が人類初となる動力飛行機の初飛行に成功したことにちなんで記念日が制定されております。

ライト兄弟が制作したフライヤー1号での最初の飛行テストは、まず弟のオーヴィル氏が約12秒間の飛行に成功。

続けて行われた4回目には兄ウィルバー氏の操縦で、走行時間:59秒 飛行距離:約260mの記録を樹立。

それまで多くの企業や個人によってフライト飛行は試されていたものの、失敗が続いており人類の長年の夢とされてきた空を飛ぶ技術の発表は、以後続いていく航空開発の大きな一歩となりました。

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人類の夢がたった119年前に叶ったのですね。

あと119年後の地球では当たり前に行われている移動手段は何なのでしょうか?

自動操縦の一人乗り飛行機?ドローン?なんか当たり前にあるのでしょうね。

飛行機じゃなくやっぱりドローンだね、飛行機は滑走路が必要だしいやはや夢の世界はどうなっちゃうんだろ~。

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今日はいよいよ札幌です。

荷物の整理とか大変でした。

忘れ物はないか気になって眠りが浅かったです。


渋沢栄一の孫

2022-12-16 05:34:26 | 俳句・短歌

年のくれあなた任せに過ぎゆけリ

としのくれあなたまかせにすぎゆけり

母連れて老々介護の母子旅孫の婚礼酒杯を交す

 

1875(明治8)年12月16日に、東京・王子で王子製紙株式会社の前身にあたる抄紙しょうし会社の工場が営業を開始したことにちなんで記念日が制定されております。

抄紙会社は、実業家だった渋沢栄一しぶさわ えいいち氏が大蔵省紙幣寮から民間企業として独立させたものでした。

同氏は他にも 第一国立銀行 東京証券取引所 理化学研究所など、多種多様な企業の設立・経営に携わり日本資本主義の父と称される人物で、2024(令和6)年から刷新される壱万円札の肖像となっております。

「奇跡の対話 渋沢栄一の孫とアイヌの母神」鮫島純子、宇梶静江著 (藤原書店 1,980円)

日本の近代化への多大な貢献で知られる実業家、渋沢栄一(1840~1931年)を祖父に持つエッセイストの鮫島さん(100)、アイヌ文化伝承者で詩人の宇梶さん(89)。

合計約190歳という2人の女性による滋味深い対話だ。生まれ、育ちは大きく異なるが、編み出される言葉はともに優しく、力強い。

鮫島さんは、渋沢が「日本資本主義の父」と位置づけられることへの違和感を明かす。

「みんなが幸せに感じられるような世の中にしたいということが、祖父の根本的な原動力だった」と述べ、「公益」「平和」を重視した渋沢の教えをかみしめるように語る。

和人社会の差別と向き合ってきた宇梶さんは「アイヌが温かくなれば、北海道も温かくなります。

北海道が温かくなると、応援している人たちみんなが温かくなる。

温かくなければ、平和とは言えません」と言う。

2人の社会に向ける目線は重なり合って・・・・・・・・・(毎日新聞社 今週の本棚より)

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日本資本主義の父と言われた渋沢栄一も大河ドラマ「青天を衝け」では語りきれなかったようです。

孫の鮫島さんの語ることに非常に興味をそそられます。

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いよいよ今日からは母と過ごす一週間です。

若い頃は散々迷惑をかけながら母に世話になったものですが、ちゃんとプラスマイナスが出来るようになっているようで・・。

母とちゃんとした旅行は高野山に母の姉妹たちと行ったこと・沖縄旅行にも母の姉妹たちと行きました。

両親とはハワイへ行った思い出などがあります。

旅行なんてしていないなと思っていましたが、両親と三人でハワイへ行ったことが一番の思い出ですね。

あの時の父と母の様子が今でも目に浮かびます。


モノトーン

2022-12-15 04:36:43 | 俳句・短歌

空までも単調なるや冬の色

そらまでもたんちょうなるやふゆのみち

冬至早や1週間後に迫り来て冬に入る人冬明けを待つ

 

「モノトーンコーデ」などのように使う「モノトーン」という言葉。

「モノトーン」とは、どのような意味の言葉でしょうか?

ちょっと「モノトーン」の意味や使い方や類語について、小説などの用例を紹介しながら、わかりやすく解説していきます。

「モノトーン」には次の意味があります。

・色の配色が、単一色の濃淡・明暗で構成されること。特に、黒、白、グレーなどの無彩色だけで構成されているさま。(出典:精選版 日本国語大辞典)

「モノトーン」は色に関して使用されているイメージですが、「単調である」という意味もあるので、「モノトーンな反応」というようにも使えます。

具体的な使い方・例文や類語は下記の通り。

・アナウンサーがニュースを読んでいるようなモノトーンな口調だ。
(出典:藤田宜永『標的の向こう側』)

・黒と白のモノトーンに徹したところに、自分の時代を読む目があったに違いない。
(出典:林真理子『最終便に間に合えば』)

・家具はモノトーンで統一されており、どれもシンプルなデザインのものだ。
(出典:椹野道流『鬼籍通覧6 亡羊の嘆』)

・ひろみに出会って、人生とはそんなモノトーンではないことをおしえられた。
(出典:森村誠一『生前情交痕跡あり』)

・天然色あふれる世界の中で、女が立っているところだけがモノトーンに見えた。
(出典:桜坂洋『よくわかる現代魔法 第1巻』)

・単色(たんしょく)意味:1色だけで他の色のまじっていない色。(出典:デジタル大辞泉)

・無地(むじ)意味:全体が同じ色で模様がないこと。(出典:精選版 日本国語大辞典)

・単彩(たんさい)意味:一色で色付けすること。(出典:精選版 日本国語大辞典)

・無垢(むく)意味:布地が全部無地で同色であること。(出典:精選版 日本国語大辞典)

・一本調子(いっぽんちょうし)意味:調子が同じで、変化に乏しいこと。(出典:デジタル大辞泉)(意味大辞典より)

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北海道もモノトーンの世界に突入しました。

曇り空の日は特にそれを感じます。

こうなってくると冬至が待ち遠しくなり、冬至が過ぎると大寒が‥それを過ぎると立春なのでるんるん気分になる・・とまあこんな調子でモノトーンの世界はあけて行くのです。

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2-3日留守すると思うとなんでこう次から次へと用事が出来るのでしょう。

今日はカラオケ教室なので大きな声を出してストレス解消と行きますか。


忠臣蔵

2022-12-14 04:34:48 | 俳句・短歌

年の瀬や水の流れの如くあれ

としのせやみずのながれのごとくあれ

松の葉の青きを見るは晴れやかに来る年の道青々とあり

 

元禄15年12月14日に、赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入りをし、主君の仇討ちを果たしたことにちなんで制定された記念日。

新暦1703年1月30日「忠臣蔵の日」は、討ち入りの日四十七士討ち入りの日とも呼ばれております。
 
<label for="label90819">忠臣蔵・かんたんな経緯</label>性格にちょっと難あり?

と見られていた吉良上野介義央きらこうずけのすけよしひさに、ある日江戸城内で小馬鹿にされた播磨赤穂藩主浅野内匠頭長矩あさのたくみのかみながのり

浅野内匠頭は、それまでもちょくちょく吉良からモラハラまがいのことをされていた

ことへの鬱憤等も相まり、江戸城松之廊下で吉良に切りかかってしまいました。

同じ時、同じ江戸城で朝廷を接待していた時の第5代将軍・徳川綱吉はこの出来事に激怒し、浅野側:即日藩主切腹、領地没収 吉良側:お咎めなしのご沙汰を下しました。

しかし、このご沙汰に納得できなかった大石内蔵助 堀部安兵衛など浅野内匠頭の家臣・赤穂志士たちは、主君の仇を取るべく後日吉良邸へ押し入り吉良を討ち取りました。

当時の世相は、主君への忠義が高いと赤穂浪士の行動を支持する声が日増しに強くなっていったことで、幕府も討ち入りをした赤穂浪士たちに対しては極刑と決めていたものの、当時の武士の(名誉ある)死とされていた切腹を認めざるを得ない状況に。

この事件を題材にした仮名手本忠臣蔵などの歌舞伎が演目として大流行となり、以後100種以上とも数えられる作品が作られ現在まで語り継がれております。

近年でも例年12月14日には、赤穂浪士にちなんだ 泉岳寺:東京都港区高輪 大石神社、花岳寺:兵庫県赤穂市などでは、義士供養の 義士祭が、また、吉良邸の一部は現在本所松坂町公園(東京・墨田区)となっており、同公園周辺では元禄市がそれぞれ行われております。

ちなみに、2010年代以降の教育現場界隈では、会社や上司などへの忠義を意識させ、個を疎かにしてしまうとの懸念から、忠臣蔵はあまり好まれる傾向にはないそう。。(ダレトク雑学トリビアより)

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私達の若い頃はNHKの大河ドラマでも忠臣蔵をやっていたりと、12月14日は忠臣蔵の日と覚えていたくらいです。

ちなみに、2010年代以降の教育現場界隈では、会社や上司などへの忠義を意識させ、個を疎かにしてしまうとの懸念から、忠臣蔵はあまり好まれる傾向にはないそう。。とのことですが何か違ってやしませんか?と思いますね。

会社や上司への忠義にばかり持っていくとそうなるのでしょうが・・・違う方向で歴史認識や人間関係を教えたら良いのにと思います。

どうして家臣が殿様への忠義を持ったのか。。

北海道砂川市の北泉岳寺にも四十七士のお墓があります。

浅野家筆頭家老の大石内蔵助の辞世の句

「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」

「極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人」

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昨日は田舎の母の義理の妹から長芋が届きました。

こんなにたくさんあっても食べきれないので、お世話になっている方たちに配ろうと思います。

函館の弟は車は辞めて飛行機にしたようです。

函館から車だと5時間かかるので往復の事を考えたらやっぱり飛行機でとなったようです。