もこにゃんとばあば

もこにゃん もうすぐ八才(2015年生れ)
登場数は少ないですがヨロシク!にゃん

ビスケットの日

2021-02-28 03:39:50 | 俳句

満月はビスケットのよふ冬の月

 

全国ビスケット協会が1980(昭和55)年に制定し、翌年から実施。

1855(安政2)年2月28日、パンの製法を学ぶ為に長崎に留学していた水戸藩の柴田方庵が、同藩の萩信之助に、パン・ビスケットの製法を書いた「パン・ビスコイト製法書」を送った。

これが、ビスケットの製法を記した日本初の文書とされている。

また、ビスケットの語原がラテン語で「二度焼かれた物」という意味の「ビス・コクトゥス(bis coctus)」であることから、「に(2)どや(8)く」の語呂合せの意味も持たせている。

          

子供の頃のたまに食べられるおやつと言えば、あんパンかビスケットでした。

普通のおやつは南瓜かジャガイモの塩ゆで、母の暇だった冬は羊羹を作ってくれたりもしました。

最近の子供はお菓子がいろいろあるのでビスケットを食べているのを見かけなくなりましたね。

昨日、孫に羊羹をあげたら、ちょっとだけ口を付けて残していました。

今どきの子は羊羹が食べられないのかしら?


女性雑誌の日

2021-02-27 04:07:41 | 俳句

春寒しうわさ話や飽きもせず

 

1693年2月27日、ロンドンで世界初の女性向けの週刊誌『ザ・レディス・マーキュリー』が創刊された。

昔はこんなでしたね~

現代の日本には女性誌がいったいどのくらいあるのか見当もつかないくらいたくさんあるみたいです。

美容室に行けば種類の違う最新版がうずたかく積まれていて、噂ずきなおばちゃんの恰好な仕入れ先になっているようです。

最近は真子さんと小室さんの結婚についてが多いですね。

国民の納得・・・重いですね~。


2.26事件の日

2021-02-26 04:01:43 | 俳句

忘れまじ雪積む杜の忠魂碑

 

1936(昭和11)年2月26日、2.26事件が発生した。

陸軍の皇道派の青年将校が、対立していた統制派の打倒と国家改造を目指し、約1500名の部隊を率いて首相官邸等を襲撃した。

内大臣・大蔵大臣等が殺害され、永田町一帯が占拠された。

当初、陸軍の首脳部は青年将校たちの行動を容認する態度をとっていたが、海軍が鎮圧を要求し、天皇も同様の立場をとったので、29日に鎮圧を開始した。

飛行機から「下士官兵ニ告グ」のビラを撒いて帰順を勧め、「今からでも決して遅くはないから、直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復帰する様にせよ」との投降を呼びかけるラジオ放送を行った。

形勢が不利になったと判断した将校たちは兵を原隊に帰し、2名が自決、残りの者が自首して、その日のうちに鎮定された。

こんな時代もあったのですね~ 

私の生まれるずいぶん前の事件でしたが、中学生頃にはこんな事件があったことを知っていました。

・・・

ミャンマーがまた軍事政権に乗っ取られましたね。

国中でデモが起きているようです。国民と乖離している軍事政権はどうなんでしょうか?

日本の自衛隊はどのようにしてできたのかわかりませんが、軍に力があり過ぎると政権をとりたくなるのかしらね。


茂吉忌(2/25)

2021-02-25 04:20:07 | 短歌

茂吉忌の茂吉のうたを詠みかえし七十路の茂吉われより若し

 

精神科医でアララギ派の歌人の斎藤茂吉の1953(昭和28)年の忌日。

71才で亡くなられたようです。現代ではまだまだ若かったんですね。

晩年の主な作品

 たかむらの中ににほへる一木あり柿なるやといへば「応」とこそいへ (1948年(昭和23年)

 時としてベルリン郊外のワン・ゼエにも心の及ぶ老人(おいびと)われは (1949年(昭和24年)

 円柱の下ゆく僧侶まだ若くこれより先きいろいろの事があるらむ (1950年(昭和25年)

 おぼろなるわれの意識を悲しみぬあかつきがたの地震(なゐ)ふるふころ (1951年(昭和26年)

 梅の花うすくれなゐにひろがりしその中心(なかど)にてもの栄(は)ゆるらし (1952年(昭和27年) 

  永遠の少年らしい表情です! 


鉄道ストの日

2021-02-24 04:05:45 | 川柳

公僕のあるべき姿奉仕なり

 

1898(明治31)年2月24日、日本初の鉄道ストライキが実施された。

日本鉄道会社の機関士ら400人がストライキに突入し、上野~青森の列車が運休した。

   

これは数年前の様子ですが、今年は春闘でストを決行するところがあるのでしょうか?

このコロナ禍では難しいでしょうね。

私たちが若かったころは安保闘争があったりもしましたので、田舎町でしたがジグザク行進をしたり、結構派手目にやっていました。

コロナ禍の昨今、経営者は疲弊しているのでしょうが、個々がもの申すとかはしないのかしらね~。

時代が変わってしまったようです。

我が家の息子家族は、公僕が多いのでストライキとは縁がないです。