北国の春まだ遠く待雪草
里山の心の景色忘れずに
目と耳澄ましマスク外そう
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哲学者鷲田清一さんによると、世にはコロナ禍の以前から、まわりを「ないこと」にするというマスクがあった。
視線を合わさず、スマホ画面に没頭し、耳栓をしたかのような人々。
無関心である。マスクには互いに別であるべきものが入り交じらないようにする「感染予防」と、自分がむき出しにならぬよう異なる「他」との接触を遮る皮膜としての役割がある。
その対象が、ウイルスか、人間かの違いに過ぎないということだろう。
新型コロナウイルスの感染対策の柱であるマスク着用が13日から原則個人の判断に委ねられる。
学校の卒業式も校歌を歌う場合などを除き、着用を求められない。先日道内で行われた公立高校の卒業式も、久しぶりに笑顔が記憶に刻まれる門出となった。
ただ、国の専門家会合では引き続き屋内のマスク着用が望ましいとの意見が出ている。
やはり感染対策に有効であることを忘れてはなるまい。
未知のウイルスの出現は人間社会と野生の思わぬ接近が要因となることが多い。それは自然界のマスクの役割を果たしてきた里山などの喪失にほかならない。
緩衝地帯としての里山には単に身を守るだけでなく、野生に対するリスペクトがあったと鷲田さんは言う。
「ともにそれぞれに生きるという<棲み分け>と<共生>の思いである」。うっとうしいマスクからの卒業前に、かみしめたい鷲田さんの「式辞」である。(北海道新聞卓上四季2023.3.4より)
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心の里山を持つということでしょうか。
先日の埼玉の高校生も、ともにそれぞれに生きると言うことを忘れて自分の世界に没頭してしまったようですね。
最近は虫が嫌いという男子も多いとか、魚釣りをするとか生き物と接することは大事だと思います。
「所さんの目がテン かがくの里」は好きな番組です。
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昨日、カラオケ教室の先生が来宅しました。
カラオケ教室の発表会と言うかおさらい会の時、遠軽在住ですが宇多田ヒカルさんや「THE ALFEE」の作曲や編曲を手がけるご主人と、東京芸大大学院出身のフルート奏者の奥様の出演依頼をしたいとの事でした。
オホーツクの片田舎にもこのように中央で活躍していたような人がいたなんてびっくりですが、それを探し出した先生のアンテナも凄いなと思いました。
お二人は動物の骨で作った笛や録音した自然の音を使った音楽を作り続けているそうで、カラオケのおさらい会とはかけ離れていますが、癒しの音楽を皆にも聞いてもらいたいと先生の意向でした。
素晴らしい!
どの地に在ってもピカーと光っていたのでしょうね
さだまさしの nhkの番組で「この音色!と音探し!
から次に歌詞が・・ と仰せだった記憶!
音楽家の聴力≪音感≫は 普通のそれとは次元が
違う!と その時思いました
その場その場で耀く人は努力あっての結果
お役目があるのでしょうね
音楽家ご夫婦に乾杯!
出てきます。
数曲動画配信もされているので聞くことが出来ます。
本当に癒しの音楽のようです。
つわぶきさんの短歌も素敵ですよ。
いつも楽しみに見させていただいています。