少し時間が経ってしまいましたが、「イコール」と言うお芝居を観て来た感想です。
この舞台は相馬圭祐さんが出演予定の二人芝居でした。
しかしながら、上演直前に相馬さんのブログにて突然降板が発表されたのです。
とても驚き、そして心配しました。
チケットの売れ行きが良く完売したため、後日追加公演も決まったこの舞台。
アタシも追加公演のチケットを購入していました。
でも、上演が差し迫っていた為に払い戻しはナシ。
急遽、相馬さんの代役として山口賢貴さんと言う役者さんが演じる事になりました。
相馬圭祐さんが出ると言うので購入したチケットだったので、しばし考えました。
でも、このお芝居の大まかなあらすじを読むと、なんだか普通の物語では無いようで興味がありました。
それに、降板が発表されてから本番までは2週間。
そんな短期間で二人芝居の台詞を1から入れて本番に挑まなければならないたいへんな役割を引き受けた、「山口賢貴」と言う役者さんのお芝居を観てみたかったのです。
どんな俳優さんなのか、観てみたかった。
山口賢貴さんと言う若い役者さんは、大好きな舞台”真田十勇士”に出演されていた柳下大さんや三津谷亮さんと同じ、D-BOYS(D2?アタシはこの区別がよくついてませんが・・・。)と言うチームのメンバーの方でした。(相手役をつとめた牧田哲也さんと言う役者さんも所属。)
若い女の子達に人気のあるチームなんですねぇ。
このお芝居は二人芝居であるので、二人の役者さんが台詞を言い合い、ストーリーが進んでゆきます。
ストーリーを一週間にして、その曜日ごとに”章”が進みます。
そして、二人はその度に役を交代して演じるのです。
登場人物は”テオ”と”二コラ”と言う二人の青年ですが、前の章でテオを演じた人が次の章では二コラを演じると言うこと。
第一章の後暗転し、第二章が始まると、さっき「テオ」と言う病にふせっていた青年が「二コラ」と言う若い医師になって登場する。
そしてまた暗転し第三章が始まると「テオ」と「二コラ」が交代している。
観ているこちらとしては「?」の連続。
台詞も前の章と同じ事を繰り返す事が多く、頭がこんがらがって来る・・・。
最初は肺を患う青年と、幼馴染として育った医師の青年の日常が描かれますが、段々と観客は迷路へと連れて行かれてしまいました。
お芝居の途中までは複雑になってゆく迷路でどう進んだらよいのか分からず、途方に暮れると行った感じでした。
初めはどんな感じなのかなぁなどとのん気に構えて観ていましたが、引き込まれて足を進めるうち引き返せなくなっていました。
若い二人の役者さんは、上手に観客を迷路へと連れて行きます。
章の始めのうちは客席に笑いさえ起こる場面もあったのですが、最終章へと進むに連れ物語は混迷と緊迫した空気を極め、観客は舞台からひと時たりとも目を離せなくなりました。
アタシは嬉しかったです。
もう、その頃には自分の贔屓の役者が出ていないとか、そう言うとことは全然違う所で、若い表現者が創りだす世界にこれだけ自分が翻弄されてしまっている事に感動していました。
勿論、相馬さんが出演されないと言うのはとても残念だったし、ショッキングな出来事でした。
でも、それだからこそ、そう言った観客の前で山口さんは大事に魂を込めて一秒一秒闘いながらこの役を演じて伝えようと全力で舞台に立っていたと思います。
もはや観たかった役者の代わりではなく、山口賢貴と言う役者の演ずる舞台となっていました。
何も恐れず舞台に立つ姿は強く美しかった。
思いもよらない結末を迎えるこの物語は幕が下りても何だかぼんやりとして明確な答えが掴めない感じでしたが、役を終えて観客に挨拶に出て来てくれたお二人はすがすがしい表情をしていました。
カーテンコールがあり、山口さんの表情が少し和らいで唇が「ありがとうございます。」と動きました。
牧田さんと二人で並ぶと同じ様な身長、体格で、この舞台のタイトルと内容の「イコール」と言う言葉がしっくりと来ました。
客席から見て奥の方が小さくなって見える錯覚に陥る様な舞台セットの中で、(テーブルやイスも小さくて・・・。)牧田さんの方が何となく大きく見えたんですが、実際は同じ位だったんですね。まるで双子の兄弟の様なお二人に、観客のおしみない拍手が送られました。
お互い、医師のテオを演じる時はシルクハットみたいな帽子をかぶり、丈の長いコートを着て舞台である「部屋」に扉を開けて入って来ます。きっと扉の外は石畳なんだろうなと容易に想像出来る趣。
かたや、二コラは病にふせってあまり部屋の外へは行かず、部屋の中の机について書き物をするか、ベッドで寝ているか、ベッドの下に散乱している本を読んでいるかなんだろうな、と。
独創性のある物語で、それは哀しいとも恐ろしいとも言えるお話でしたが、説明するのにはもう一度位観ておかなきゃ上手く言えない感じです・・・。
イコールと言うのはテオとニコラの事を指します。
ニコラと言う青年はもう何年も前に肺を患ってこの世を去っています。では、部屋に居るニコラは誰なのかと言うことに。
部屋に居る青年はテオです。医師として毎日働く青年もテオ。
二人は同一人物であり、医師として働くテオは部屋に居るテオの、謂わばクローンなのです。
試みたのは部屋に居るテオであり、彼はニコラと同じ病でほどなく自分がこの世を去る事を自覚しています。
彼はニコラを医師として自分が救えなかった事を悔やみ続け日夜この病の事を研究しますが、途中から病を治すと言う事よりも不死と言う事に執着してゆきます。
そして、自分をもう一人作ると言う事で病におかされた自分が死んだとしても、もう一人の自分は生き続けると言う試みを思いついたのです。
テオが作り出したもう一人のテオは周囲の人間達にも怪しまれる事なくテオとして暮らしますが、記憶の刷り込みが上手く行かず不可解な言動が目立ち、機械で言うところの「エラー」を起こしたりします。
時々自分が誰なのか分からなくなって苦しんだり、自分の目の前に居るニコラの事もよく分からなくなります。
最終的には殺人事件までもを引き起こす事態となり、二人のテオはどちらがどちらなのかも分からなくなって、お互いに殺し合い生き残った方が警察に行くと言う方法を取ります。
小さな部屋で切り付け合い、一人の青年がもう一人の青年の胸を刺して生き残りますが、それが果たして本物のテオなのかは観客にも生き残った彼にも分からないのです。
んー、書いてもやっぱり何が何だかよく分からないかもしれませんが、二人のテオが追い詰められてゆく過程はとても引き込まれ迫力のある演技でドキドキしました。
何せ二人しかいないので、二人の中で様々な感情が渦巻き、嵐のように荒れ狂い、爆発しているのです。
それは相当のエネルギーを要したと思います。
観客を置き去りにしないで、演じきった二人の若き表現者に大きな拍手と感謝を送りたいです。
DVDが出るらしく、もしかしたら公演後も買える様になるかもしれませんね。
観劇すると沢山のフライヤーを貰って、そこには本当に沢山の役者さん達の名前が連なっています。
こんなにもお芝居の世界で生きている人達がいるんだなぁと毎回驚きます。
アタシの知る青年も地方から出て来て有名な劇団の養成所の様な所に居て何度か東京の舞台に立ちましたが、その後、彼を舞台の上では観ていません。今、何をしているのかも分かりません。
ルックスや声に恵まれた人でしたが、観劇もしていないでしょうし役者修行をしている様子もなく、アタシはもう彼が役者として東京の舞台に立つ事はないと思っています。
東京と言う所は毎日お芝居の舞台があり、ショーがあり、ライブがある場所です。情報の移り変わりが激しく、競争も多い。
一つでも多くの舞台に立ち、一人でも多くの観客の目に触れてなんぼです。
それでも、表現者を生業にしてゆくにはとても難しい街です。
役者として舞台に立つ事の厳しさや素晴らしさ。
表現する事の誇り高さ。
アタシは山口さんに教えられた気がします。
千秋楽のカーテンコールでは涙を流していたと聞きました。多くの事と向き合い乗り越えた舞台だったんですね。
お疲れ様でした。
そして、ありがとう。
これからも観客の前で生きて下さい。
この舞台は相馬圭祐さんが出演予定の二人芝居でした。
しかしながら、上演直前に相馬さんのブログにて突然降板が発表されたのです。
とても驚き、そして心配しました。
チケットの売れ行きが良く完売したため、後日追加公演も決まったこの舞台。
アタシも追加公演のチケットを購入していました。
でも、上演が差し迫っていた為に払い戻しはナシ。
急遽、相馬さんの代役として山口賢貴さんと言う役者さんが演じる事になりました。
相馬圭祐さんが出ると言うので購入したチケットだったので、しばし考えました。
でも、このお芝居の大まかなあらすじを読むと、なんだか普通の物語では無いようで興味がありました。
それに、降板が発表されてから本番までは2週間。
そんな短期間で二人芝居の台詞を1から入れて本番に挑まなければならないたいへんな役割を引き受けた、「山口賢貴」と言う役者さんのお芝居を観てみたかったのです。
どんな俳優さんなのか、観てみたかった。
山口賢貴さんと言う若い役者さんは、大好きな舞台”真田十勇士”に出演されていた柳下大さんや三津谷亮さんと同じ、D-BOYS(D2?アタシはこの区別がよくついてませんが・・・。)と言うチームのメンバーの方でした。(相手役をつとめた牧田哲也さんと言う役者さんも所属。)
若い女の子達に人気のあるチームなんですねぇ。
このお芝居は二人芝居であるので、二人の役者さんが台詞を言い合い、ストーリーが進んでゆきます。
ストーリーを一週間にして、その曜日ごとに”章”が進みます。
そして、二人はその度に役を交代して演じるのです。
登場人物は”テオ”と”二コラ”と言う二人の青年ですが、前の章でテオを演じた人が次の章では二コラを演じると言うこと。
第一章の後暗転し、第二章が始まると、さっき「テオ」と言う病にふせっていた青年が「二コラ」と言う若い医師になって登場する。
そしてまた暗転し第三章が始まると「テオ」と「二コラ」が交代している。
観ているこちらとしては「?」の連続。
台詞も前の章と同じ事を繰り返す事が多く、頭がこんがらがって来る・・・。
最初は肺を患う青年と、幼馴染として育った医師の青年の日常が描かれますが、段々と観客は迷路へと連れて行かれてしまいました。
お芝居の途中までは複雑になってゆく迷路でどう進んだらよいのか分からず、途方に暮れると行った感じでした。
初めはどんな感じなのかなぁなどとのん気に構えて観ていましたが、引き込まれて足を進めるうち引き返せなくなっていました。
若い二人の役者さんは、上手に観客を迷路へと連れて行きます。
章の始めのうちは客席に笑いさえ起こる場面もあったのですが、最終章へと進むに連れ物語は混迷と緊迫した空気を極め、観客は舞台からひと時たりとも目を離せなくなりました。
アタシは嬉しかったです。
もう、その頃には自分の贔屓の役者が出ていないとか、そう言うとことは全然違う所で、若い表現者が創りだす世界にこれだけ自分が翻弄されてしまっている事に感動していました。
勿論、相馬さんが出演されないと言うのはとても残念だったし、ショッキングな出来事でした。
でも、それだからこそ、そう言った観客の前で山口さんは大事に魂を込めて一秒一秒闘いながらこの役を演じて伝えようと全力で舞台に立っていたと思います。
もはや観たかった役者の代わりではなく、山口賢貴と言う役者の演ずる舞台となっていました。
何も恐れず舞台に立つ姿は強く美しかった。
思いもよらない結末を迎えるこの物語は幕が下りても何だかぼんやりとして明確な答えが掴めない感じでしたが、役を終えて観客に挨拶に出て来てくれたお二人はすがすがしい表情をしていました。
カーテンコールがあり、山口さんの表情が少し和らいで唇が「ありがとうございます。」と動きました。
牧田さんと二人で並ぶと同じ様な身長、体格で、この舞台のタイトルと内容の「イコール」と言う言葉がしっくりと来ました。
客席から見て奥の方が小さくなって見える錯覚に陥る様な舞台セットの中で、(テーブルやイスも小さくて・・・。)牧田さんの方が何となく大きく見えたんですが、実際は同じ位だったんですね。まるで双子の兄弟の様なお二人に、観客のおしみない拍手が送られました。
お互い、医師のテオを演じる時はシルクハットみたいな帽子をかぶり、丈の長いコートを着て舞台である「部屋」に扉を開けて入って来ます。きっと扉の外は石畳なんだろうなと容易に想像出来る趣。
かたや、二コラは病にふせってあまり部屋の外へは行かず、部屋の中の机について書き物をするか、ベッドで寝ているか、ベッドの下に散乱している本を読んでいるかなんだろうな、と。
独創性のある物語で、それは哀しいとも恐ろしいとも言えるお話でしたが、説明するのにはもう一度位観ておかなきゃ上手く言えない感じです・・・。
イコールと言うのはテオとニコラの事を指します。
ニコラと言う青年はもう何年も前に肺を患ってこの世を去っています。では、部屋に居るニコラは誰なのかと言うことに。
部屋に居る青年はテオです。医師として毎日働く青年もテオ。
二人は同一人物であり、医師として働くテオは部屋に居るテオの、謂わばクローンなのです。
試みたのは部屋に居るテオであり、彼はニコラと同じ病でほどなく自分がこの世を去る事を自覚しています。
彼はニコラを医師として自分が救えなかった事を悔やみ続け日夜この病の事を研究しますが、途中から病を治すと言う事よりも不死と言う事に執着してゆきます。
そして、自分をもう一人作ると言う事で病におかされた自分が死んだとしても、もう一人の自分は生き続けると言う試みを思いついたのです。
テオが作り出したもう一人のテオは周囲の人間達にも怪しまれる事なくテオとして暮らしますが、記憶の刷り込みが上手く行かず不可解な言動が目立ち、機械で言うところの「エラー」を起こしたりします。
時々自分が誰なのか分からなくなって苦しんだり、自分の目の前に居るニコラの事もよく分からなくなります。
最終的には殺人事件までもを引き起こす事態となり、二人のテオはどちらがどちらなのかも分からなくなって、お互いに殺し合い生き残った方が警察に行くと言う方法を取ります。
小さな部屋で切り付け合い、一人の青年がもう一人の青年の胸を刺して生き残りますが、それが果たして本物のテオなのかは観客にも生き残った彼にも分からないのです。
んー、書いてもやっぱり何が何だかよく分からないかもしれませんが、二人のテオが追い詰められてゆく過程はとても引き込まれ迫力のある演技でドキドキしました。
何せ二人しかいないので、二人の中で様々な感情が渦巻き、嵐のように荒れ狂い、爆発しているのです。
それは相当のエネルギーを要したと思います。
観客を置き去りにしないで、演じきった二人の若き表現者に大きな拍手と感謝を送りたいです。
DVDが出るらしく、もしかしたら公演後も買える様になるかもしれませんね。
観劇すると沢山のフライヤーを貰って、そこには本当に沢山の役者さん達の名前が連なっています。
こんなにもお芝居の世界で生きている人達がいるんだなぁと毎回驚きます。
アタシの知る青年も地方から出て来て有名な劇団の養成所の様な所に居て何度か東京の舞台に立ちましたが、その後、彼を舞台の上では観ていません。今、何をしているのかも分かりません。
ルックスや声に恵まれた人でしたが、観劇もしていないでしょうし役者修行をしている様子もなく、アタシはもう彼が役者として東京の舞台に立つ事はないと思っています。
東京と言う所は毎日お芝居の舞台があり、ショーがあり、ライブがある場所です。情報の移り変わりが激しく、競争も多い。
一つでも多くの舞台に立ち、一人でも多くの観客の目に触れてなんぼです。
それでも、表現者を生業にしてゆくにはとても難しい街です。
役者として舞台に立つ事の厳しさや素晴らしさ。
表現する事の誇り高さ。
アタシは山口さんに教えられた気がします。
千秋楽のカーテンコールでは涙を流していたと聞きました。多くの事と向き合い乗り越えた舞台だったんですね。
お疲れ様でした。
そして、ありがとう。
これからも観客の前で生きて下さい。