leka

この世界のどこかに居る似た者達へ。

空っぽの手。

2018-01-19 18:50:10 | music
大変な批判であった。

総攻撃であった。

しかし大人達は元々閉鎖的で偏屈野郎の多い場所へ十代の3人の女の子を放り込んだ。



「お嬢ちゃん達、迷子になったのかい?ここはお前さんたちが来るような場所じゃないんだぜ。」



そんな奴らばっかだったろう。


だけど女の子達はそこへ飛び込んだ。

強靭な演奏力を伴った神々と共に。

そして、無事に帰還しただけでなく、大きな成果もその手にして帰って来た。



そんな日々をただひらすらに駆け抜けて来た。




さあ、両手を開いてみよう。

そこに影はない。

そこに武器はない。

この手は見知らぬ者たち同士が繋ぎ合って一つになるためにある。









”涙こぼれても立ち向かってゆこうぜ”

KARATE by BABYMETAL


BABYMETAL - KARATE (OFFICIAL)



藤岡さん、お誕生日おめでとう。

皆でがんばるよ。


見ていてね。





あなたは歌の中に。

2018-01-15 01:03:47 | music
女の子の名はエイミー。

お父さんはロックミュージシャンでしたが、もう、この世にはいません。

彼女はお父さんが亡くなってしまったショックから音が聞こえなくなってしまい、声も失いました。

幼い彼女はお母さんと暮らしていますが、心を閉ざしていてあまり外には出ません。

でもある日、近所に住む人達の中で「エイミーは聞こえている。」と噂になります。

それは近くに住む若い男性が家の外のポーチでギターを弾いて歌っていると、エイミーが彼の事をじっと見つめ、歌の一部を一緒に口ずさんだからです。


家から出ずに引きこもりがちなエイミー。

でも、歌を歌っていた彼が辛抱強く歌いながら話しかけた結果、エイミーは歌ったら聞こえるし応える事が出来ると判明します。

彼女のコミュニケーションの方法は歌でした。


エイミーは次第に心も開いてゆきます。しかし、ある日、彼女の姿が見当たらず行方が分からなくなってしまいます。

警察に連絡して何人もで捜索する事になりました。でも、「どうしよう、あの子は耳が聞こえない!」と取り乱すお母さん。

「歌えばいい、歌って探せばいい。」と、歌を歌ってエイミーとのコミュニケーションの仕方を探し当てた青年は言います。

皆でエイミーを探します。警察も近所の人達も皆「♪エイミー、エイミーどこに居るの?♪」と歌って彼女を探しました。


皆の歌を聞いたエイミーは無事に見つかります。


しかしなぜ、エイミーは歌と言う方法でしか聞こえなくなってしまったのか。

生まれつきそう言う状態ではなく、お父さんが亡くなるまでは聞こえて話せる状態であったのです。

お母さんは、エイミーと今までちゃんと話して来なかったお父さんの居なくなってしまった日の事を話します。

するとエイミーは取り乱し泣き出してしまいました。

それはエイミーの目の前で起きた、ライブの日の事故でした。

しかし今よりも幼かったエイミーは、どうしてだかそれを自分のせいだと思い込んでいました。

自分のせいでお父さんは天国へ行ってしまったんだと、記憶違いをしていたのです。

小さな心にとてつもなく大きな傷を抱えて、エイミーは音の聞こえない世界へ入り込み、声を失ってしまったのでした。

でも、大好きなお父さんに繋がる”歌”だけが、彼女の外の世界とも繋がり続けていたのです。

お母さんは、あれは事故でエイミーのせいなんかではないんだと必死に彼女に言い聞かせます。

真実の記憶をお母さんと一緒にたどり、エイミーはあの日笑顔でステージに向かうお父さんを思い出します。


そして彼女の中できちんとお父さんとお別れが出来ると、もう歌でなくても聞く事も話す事も出来る様になったのです。




21年前のオーストラリア映画「Amy(エイミー)」。

エイミー役の女の子はAlana De Roma。エンディングの歌を歌っています。当時、7歳ぐらいでしょうか。お芝居も上手ですがとても歌が上手です。

今でもシンガーとしてオーストラリアで活動しているみたい。



最後のシーンは「みんな、探してくれてありがとう!!」と可愛らしい笑顔で彼女が言ってこのテーマ曲が流れます。

あまりにも健気で可愛らしく印象的なAmy。



藤岡幹大さんに二人の娘さんが居て、とても愛していた事を藤岡さんと親交のあったミュージシャン達の追悼の言葉から伺いしれました。


娘さん達が、今までみたいにお話ししたり一緒に遊べなくても、お父さんは音楽の中に居る事、音楽の中で生き続けている事、大きくなるにつれそう思ってくれたらと祈るしかありません。




”そこらじゅうが嵐を起こす雲だらけになっても、太陽が輝かなくても気にしない

あなたと一緒なら

あなたと一緒にいられるなら”

「YOU &ME」by Nick Barker&Alana De Roma




Amy Soundtracks-Nick Barker & Alana de Roma-You & Me

GONE AGAIN。

2018-01-12 19:06:05 | music
彼女はただ、ふらぁ~っと出て来た。

セットなど何もないステージに登場のSEも何もかけず、他のメンバー達と一緒にただただふらぁ~っと出て来た。

何だか学校の体育館みたいな会場に居た観客達はどよめきと歓声を上げて、少しでも近くで彼女を見たくて前へと押し寄せた。

何も仰々しい事もなく、ただ、そこに居るだけなのに、そこに居る全ての者たちをひれ伏させるオーラを持っていた。

アタシもそこに居た。

20代のアタシは、アタシなんかよりもずっと年上の観客達にまみれて、肉眼で見るPATTI SMITHにシビレまくっていた。

伝説の人。パティ・スミス。

それが初来日だった。22年前。パティはもう50代だったが、凄く綺麗で凄くカッコよかった。

「GONE AGAIN」と言うアルバムが出て、そのライブをやるために来日した。

パティ・スミスグループと言うバンドで「ニューヨークパンクの女王」と言われた彼女だったけれど、結婚して音楽シーンからは遠ざかり、アルバムが出たとしても8年ぶりとか、そんな感じのスタンスだった。

このアルバムで初来日した理由。

それは、このアルバムがパティの人生にとって大きな意味を持っていたから。

この時期、彼女に関わりの深かった愛する人達が立て続けに亡くなっていた。

パティの創作や表現に大きな影響を与えた若い頃の恋人である芸術家のロバート・メイプルソープや、昔のバンドの元メンバー、実の弟、そして最愛の夫である元MC5のフレッド・スミスまでもが彼女の元を旅立った。

何故こんなにも一度に失うんだと彼女は悲しみ、苦しみ悩んだはずで、しかしながら幼い子供を抱える母親だったパティは彼らを育てるために働かなければならなかった。

悲しみと悔しさに打ちのめされながらも立ち上がり、パティは遺された子供たちのため、自分のため、旅立った人達のためにもう一度マイクの前に立った。


その時のアルバムとライブだった。タイトルは「GONE AGAIN」。「再び行った」と言う意味。

歌の中に”He`s gone again(彼は再び去った)”と言う歌詞が出て来る。


愛する人達を失い傷だらけで、決して若くはない復活だった。

でもパティは震えるぐらいカッコよくて、涙が出そうになった。

彼女は彼女の言葉で旅立った人達に愛していると伝えていた。

それが彼女の追悼の意だった。



藤岡幹大さんが亡くなったと聞いて今日で4日目。

世界中の有名なミュージシャンやメディアが藤岡さんの訃報を受けて追悼のコメントを出している。

それは彼が世界中の人に愛されていた証拠。

アタシも敬愛を示そう。


Patti Smith - Gone Again

Dedicate。

2018-01-11 14:44:52 | music
ゲイリー・ムーアが天国へ旅立ち、先に来ていたフィル・ライノットと会った時、二人が最初に何を話したのか考えてみた。


フィル:お前、随分歳とったな。それに随分太ったし。

ゲイリー:お前が早く行き過ぎるんだよ。これぐらいの歳になればそりゃ太ったりもするだろ。

フィル:そう言うもんなのか?

ゲイリー:ああ、そう言うもんだよ。ところでお前は銅像になったんだぞ。ダブリンに立ってる。

フィル:知ってる(ニヤニヤ)。

ゲイリー:知ってるのか!?

フィル:知ってるよ。一度見に行ったんだ。まぁまぁだったな。お前のライブに行った事だってあるんだぞ(ニヤニヤ)。

ゲイリー:・・・そうか・・・やっぱりな。

フィル:俺がいるって分かったのか?

ゲイリー:まぁ・・・感じるもんだよ、そう言うのは。

フィル:へぇ、そうか。俺はお前にまた会えて嬉しいよ。



こんな感じかなぁ。



フィル・ライノットはアイルランド出身のバンドTHINLIZZYのベースヴォーカルで、1986年ドラッグによって亡くなりました。

ゲイリー・ムーアはギターリストでTHINLIZZYの元メンバー。2011年58歳でこの世を去りました。


THIN LIZZY名義で「Dedication」と言う曲があります。これはフィルの死後、彼の追悼のために制作されたアルバムの中にある曲でフィルのソロでの曲を、彼に馴染み深いメンバーが演奏し収録された物のようです。

「dedicate」とは捧げると言う意味。

自分の死に対して追悼の意味を持つ曲となるとは、創ったフィル・ライノット本人も夢にも思わなかったんじゃないかと思うと不思議な気持ちになります。


早くに天国へ旅立ってしまった素晴らしいミュージシャン達は、きっと音楽の中で生き続けているんだとアタシは思うんです。

フィル・ライノットがこの世を去ったのは、偶然にも藤岡幹大さんと同じ36歳。

この曲の印象深く力強いギターフレーズを聴いていると勇気が湧いて来るような気になります。

繰り返される美しく誇り高いギターリフレインの中に、絶対に、絶対に、彼らは生きてる。

愛するミュージシャンを失い途方に暮れる時、助けてくれるのもまたミュージシャンなのかもしれない。

昨日より今日、今日よりも明日、少しづつ悲しみを力に変えてゆこう。



Thin Lizzy Dedication(HQ)

虹の彼方に。

2018-01-10 15:26:29 | music
いい天気だった。

雲ひとつない、真っ青な空だった。

朝、ゴミ出しに家を出て、見上げた空の青さに息をのんだ。

冬の冷たい風に吹かれた時、悔しくて涙が滲んだ。

もう、何度こうしてアタシたちは仲間を連れ去られて行っただろう。

こんなに空は晴れ渡っているのに、悔しくて悔しくて涙をこらえた。

近所の人がやって来てすれ違いざまに「おはようございます。」と言った。

アタシは泣きそうな顔で頭を下げた。

こんな風に歳とってからも、十代の時と同じ痛み。

もういい加減、こういうの、いやだ。


もしも時間がさかのぼれるならば、アタシは行ってあの人の前に立って通せんぼして

「行っちゃダメだよ、行かないで!」って言うよ。

あの人の腕をつかんで引き戻す。

頭のおかしな女だと思われてもいい。

嫌がられてもいい。

彼がまた皆の前でパフォーマンス出来るならば。



こんな風に愛する仲間を失う。

似たような事を何度も何度も経験してきた。



その度にいつも皆、自分に出来る事を一生懸命考えた。

愛する人を忘れないように、必死に考えた。




現実はいつもシンプルで厳しい。

いつでもいつでも試されてる。

ここからが勝負と自分に言い聞かせる。




彼はそこで、いつものように笑顔で皆を見ているかな。

先に来ていた敬愛する人達に合えたかな。


皆で頑張るよ。

絶対に頑張るから、そこから見ていてね。





Somewhere Over the Rainbow by Israel Kamakawiwo'Ole