leka

この世界のどこかに居る似た者達へ。

夕方のコンビニで。

2016-05-31 14:50:19 | 女シリーズ
先週の初め、急に気温が上がって夏日になった。
朝目覚めると、片頭痛・・・。水曜日あたりまで夏日が続いたので、毎朝片頭痛。
勘弁してほしい。
日差しも強かったので、日中は片頭痛の薬をのんで部屋でじっとしていた。

頭痛もおさまったので日が落ちて涼しくなった頃、夕飯のちょっとした間に合わせを近所のコンビニに買いに出た。
近頃のコンビニは自社で作った、もうひと手間足せば簡単に食卓に出せる質の高い食材がある。
よって、夕方のコンビニには主婦が結構いたりする。


暑い日中ではあったけれど、日の落ちたその時間は風も涼しく気持ちが良かった。
夕方のコンビニの駐車場には、トラックがよく目につく。
そして店には現場帰りの人達が主婦層と同じ位の割合で居たりする。
その日も、とび職の人がよく着ている様な裾が大きく膨らんだ「ニッカポッカ」と呼ばれる作業着を着た男性がコンビニから袋を持って出てきた。白いタオルを頭に巻いて道具の積んであるトラックに近づいて行くその男性は、まだ若かった。

彼の姿を見た時、アタシはふと昔の事を思い出した。




十代の最後のほう。18か19歳くらいのころかな。もしかしたら、もう少し上かも。

アタシは中学で仲のいい友達が出来て、ずっと関係が続いていた。
お互い外国のバンドが好きで、よくそのコも含めた何人かで遊んだしライブも観に行った。
彼女は少し家庭が複雑で、子供の頃に両親が離婚していた。母親は家を出、姉さんと弟がいたけれど成人を待たずに姉さんは籍を抜いて母のもとへと去った。
残されたそのコと弟は父親と暮らしたけれど、父親が再婚して家に来た女性とはうまく行かなかった。

小さな頃にそんな経験をしていたからか、彼女は友達の中でも一番大人びていた。
姉さんが後にモデル業につく程美しさに恵まれていた様に、彼女も十代の頃から美しかった。

年頃になってすぐ彼女には恋人が出来た。
少し年上のバンドマンで、口数の少ない、不器用な人と言う印象だった。
暫くして、二人は一緒に暮らし始めた。
彼女は就職して働いた貯金を二人で暮らす資金にして、会社は辞めてしまった。

バンドマンと音楽の好きな彼女の暮らしは一見幸せそうに見えたけれど、暫くして定職についていないバンドマンとの生活のために、彼女は収入のいいホステスになった。

若くて美しい女性だったので、客には人気があったと思う。
しかし、ホステスなど女の世界。店で働く他の女たちからの嫉妬も当然あり、何度かそんな愚痴を彼女から聞いた。


彼のバンドと言えば、個性の強い1人のメンバーをバンド内の誰も生かしきれず、数回のライブの後活動が止まってしまったみたいだった。
不器用な彼がメンバーとメンバーの間に入って人間関係を上手く紡いでゆけるはずもなく。

若い二人は身を寄せ合って暮らしていたが、何に向かって生きているのか分からぬまま、彼女は店を転々としながら働いた。



何か月か経ち、彼女から彼と別れると電話がかかって来た。彼とも既に話はついている、と。

話を聞くと、恋人である彼の留守中に他の男友達を部屋にあげた、と彼女は言った。
何かがあったわけではない。
でも、恋人と自分の未来に希望が持てない事をその男友達に話したところ、自分ならそんな思いはさせないと言われたと言う。

それが原因で別れると結論したと。

バイトをしているバンドマン。月日ばかり流れてゆく。生活は楽じゃない。毎夜、水商売でクタクタな彼女。

優しい言葉の一つや二つにすがりたい気持ちは分かる。
「俺ならそんな思いはさせない。」の一言に彼女が揺れたのは理解できる。
だけど、彼女がした事は、好きになって一緒に暮らして来た相手に対する裏切りだった。
何もなかったと彼女は言ったが、そんな話をした後に恋人の居ない部屋へ上がる事を許されたのなら、男の方は何かあってもいいからあげたんだと思うだろう。

上がる男も男だが、彼女も悪い。
よく聞けば、もう少し入り込んだ会話もあったようだった。
でも、今の彼と別れてその男友達と付き合うのかと聞くと、彼女は押し黙ってしまう。

電話の後アタシは二人の部屋を訪れた。
彼は仕事に出ていて、部屋には彼女しか居なかった。

それまでで二人が付き合って暮らして3,4年。
二人は十分な話し合いをまだしていなかった。
このままだと二人が時間の流れと若さ故の未熟さに負けてゆくようで、なんだかアタシの方が悔しかった。

彼女は彼と共に暮らしていても何の約束もしてくれない、何の保証もない、と言う。
でも、約束や保証なんて最初から求められないと知ってて暮らしたんじゃないのか。
名もなきバンドマンに誰が約束や保証を求められるって言うんだ。

そんな話をしているうちに、彼が帰って来た。
日給のいい工事現場で働き初めていた彼は作業着のまま帰宅した。

彼と挨拶をしたが、あまりアタシと話した事がないので目を合わせない。

「ユウジさん。」

「うん。」

「ちょっと話、いいですか?」

「うん。」


何の話なのか、何故なのかも問わず、彼はアタシの前に座った。

「今日、彼女から電話もらって・・・。色々聞きました。本当に別れちゃうんですか?もうちょっとよく話した方がアタシはいいと思うんです。」

「うん・・・。」

彼女はアタシの隣でずっと下を向いていた。
彼は歯切れが悪いなりにも、彼女がもう一緒に居られないと言うなら仕方がない、と言う様な事を口にした。
自分の気持ちは口にしない彼にアタシは思わず、

「ユウジさんはそれでいいんですか?このまま別れていいんですか?」と言葉を強めてしまった。



工事現場で働いて来た薄汚れた作業着のまま、彼は別れたくないと言って泣いた。

ずっと切ってない肩よりも長い髪を揺らして泣いてた。

アタシはそれまで大人の男の人がそんな風に泣く姿を見た事がなく、彼が彼女をとても好きな事、そしてとても傷ついている事を知った。

さほど言葉を交わした事などないアタシなんかの前で感情が溢れてしまった彼を見て、こんな風に誰かを裏切る様な事をしてはいけないんだと思った。



その後話し合いをして関係は回復したけれど、最終的に二人は別れてしまった。


彼女との友人関係はその後も続いた。

しかしこちらから手紙やメールで連絡しても返答のない事がよくあるようになり、彼女から一方的かつ急に連絡がある時は、うんと年下のコと付き合ってて上手く行ってない話とか、ホステスの仕事をしていて現状への不満とか愚痴、そう言う事を言うくせに会いに来た時になぜか店の客を連れて来たりとかで、アタシは彼女と付き合う事に疲れて来た。

お互い30歳を過ぎた頃、店の客と結婚したと電話がかかって来た。
結婚したばかりなのに夫となった人の愚痴を言うばかりの彼女に呆れて早々に電話を切った。

彼女が何故そう言う女になったのかは分からない。
愚痴を聞いてくれる友達が周囲に居なかったんだとは思う。
でもアタシはかなり彼女に失望してしまい、それ以来連絡をとっていない。



夕方のコンビニで作業着姿の若者を見かけた時、何だか急にその時の事が鮮明に思い出された。
あんな作業着きてたなぁと。
彼がその後何をしているのかも、どこにいるのかも分からない。

きれいな顔をした大人しい人だった。


幸せになっているといいなと思う。


















































































もっと、もっと!!DRUMTAO!!!4

2016-05-27 15:55:54 | showman
和太鼓パフォーマンスチーム、DRUM TAOより、森藤麻記さんが退団されました。

これまで、退団したメンバーについてTAOのオフィシャルサイトでは何の発表もせず、ある日急に忽然とサイト上から姿が消え、ファンは退団した事を知ると言う状態だったようです。

近いところでは、本田篤芳さん。本田さんの場合はブログに退団の挨拶が上がったようですが、すぐにブログがリニューアルされ彼の居た痕跡は何もなくなってしまいました。

そしてその後に、何の知らせもなく消えてしまった岩谷晋太郎さん。

アタシはこう言う運営のやり方には賛成出来ません。

それに今までの去ったメンバーだって、ライブに足を運んでくれたファン達に一言も挨拶せずに去ることなど望んでいなかったはずです。

ネット上を探したら、チームを去った彼らが新たなスタートを切った事などは分かるかもしれません。

でも、そう言う問題ではなく、演者と観客は信頼で繋がっているものなので、こんな不義理なやり方をしているといずれ観客は不信感を抱き離れて行きます。

TAOは世界を舞台に飛び回っているチームなので作品のクォリティを進歩させ保つためにも、稽古やメンバー間のルールも厳しいと聞きます。

入団しても、ステージに上がれるようになるのは本の一握りのメンバーなんでしょう。

だから人の出入りは激しいと予測出来ます。でも、実際に観客の前に立ちライブを構築して来たメンバー、観客達に名前と顔を覚えられる位の認知度の高かった愛されたメンバーの退団に対して、いつもTAOの運営は不親切です。

辞める人間にはもう、観客に最後の挨拶をする時間さえ与えないのでしょうか?

人にはそれぞれの事情と生き方があるわけで、去る人がその理由を述べない事をファンは責めたりしないと思います。

しかし、何の挨拶もなしに姿を消すのはとても無礼なこと。

運営側に理由があるならぜひ聞きたい。


TAOから誰かが姿を消す時はいつもこんな憤りを感じ続けていましたが、森藤麻紀さんの退団の挨拶がサイトにあがりました。


引退のご挨拶


日付は4日前。メンバー写真からは麻紀さんの写真ははずされましたが、ブログ記事はまだ残っています。

サイト内のNEWSに上がりました。

でも、ここだけです。運営からの挨拶はありません。

16年間TAOに在籍し、ステージのパフォーマンスも勿論ですが、コシノジュンコさんが手掛けるまでTAOの衣装は麻記さんがデザインし手掛けて来たんですよ。

もう少し大きく扱っていただきたい。

ひろく、TAOのファンに分かるように。

メルマガで教えてくれても良かったのではないですか。

twitterにもfacebookにも、麻記さんのブログにも退団のしらせはありません。

麻記さんは今後ステージからは去るけれどTAO関連の事業に関わるそうなので、もう二度と会えないと言う事ではなさそうですが、彼女のステージでの存在感は計り知れない物だったのでアタシは寂しくて仕方ありません。

小柄ながら飛んだり跳ねたり、いつでも目一杯表現し、太陽の様な笑顔でステージに立っていた麻記さん。

悲しい事があっても、それを吹き飛ばしてくれる様な笑顔で踊るようにチャッパを鳴らしていた彼女のパフォーマンスを観る度に、初めてシンディ・ローパーを知った時と同じ感動と愛おしさを感じていました。




「もっと、もっと!!DRUMTAO!!!」と言うタイトルでブログを書いていて中途半端なところで記事が止まってしまっているのでちゃんと書こうと思っていたんだけど、こんな内容になってしまいました・・・。


宮本亜門さんの演出された作品は「もっと、もっと!!DRUMTAO 3」の続きを書くと、その後は出演者全員がステージで踊ったり楽器を奏でたりして、一つになって終結でした。

恒例の”腹筋太鼓”もメンバーがいつもより多くて、迫力がハンパなかったです。

そしてはずせないHANABI。

やっぱりHANABIを聴かないと、TAOのライブに来た気がしません。

亜里沙さんの花魁道中の様な演出で出て来て太鼓を演奏するのも素敵だった。

でも去年の夏の東京ロングランで見せた、着物をサッと脱ぐと背中一面に入れ墨を入れた様な肌色の衣装は無かったですね。

あれをやると「おおっ・・・っ!」って客席がどよめいていたんだけど、今回は赤い着物みたいな衣装を脱がずに叩きました。

背面にあるスクリーンに演奏の世界観にあった映像なども映し出される、楽しいエンディングでした。

「こんなのTAOじゃない!」と言われるのを恐れずに、色んな世界を描いて欲しいといつも思っています。

一つの事にとらわれてしまうと、パターンが読めて単調になってしまう。

TAOの表現力に、さらに大きな可能性を感じた作品でした。


でも、こんなにクォリティの高い表現力も演奏力もある人たちの、まして千秋楽ライブなのに観客席には空席がありました。

空いてる席を見る度に、アタシは歯がゆい気持ちになります。

彼らは満席の客席の前で表現する価値のある人達だからです。


オーチャードホール2日間を両日ソールドアウトは無理にしても、2日目には完売を出す程でないと東京ロングランは無理だとアタシは思います。

TAOは色んな企業と協力されたり協力したりの繋がりがあり、企業関係者のみの貸し切り公演も行っています。

その流れなのかもしれませんが、観客席の平均年齢が高いのです。企業関係者の家族や親類なのかもしれないですが・・・。

アタシも平均年齢を引き上げてるおばさんですが、前にも言った様に客席がおじさんおばさん、ジジババばかりになってはダメです。

そこからの広がりが無いからです。

客席の新たな反応が無いと、舞台にも新たな感動が無く、それは表現の死を意味するとアタシは思います。

そんな空間が面白いわけがない。

それに、若くて美しいTAOのメンバーは、もっと若いこ達に「きゃーきゃー」言われるべきです。

それだけストイックに頑張ってるのだから。


ライブでの空席を見る度に「売り方を間違っているんじゃないか。」と思います。

今夏の東京ロングランも決定していますが、会場が以前の銀河劇場よりもかなり行きにくい場所らしく・・・。

熱い夏のさなかなので、集客に影響があるのは明白です。

これから公演までに出来るだけ沢山のメディアに出て、多くの人に知ってもらい、新しい観客を得る事に尽力しないと東京でチケットは売れない気がします。運営さんには頑張って欲しいものです。





いつかのオーチャード公演の時、客席に降りチャッパを演奏していた麻記さんに「麻記さぁ~んっ!」と手を振った事がありました。

「は~いっ」とこちらを向いてくれた時の事をよく覚えています。

明るくて可愛らしい、素敵な声と笑顔でした。




ありがとう、麻記さん。

これからもお元気でいてください







































ローラが闘っている。

2016-05-19 23:54:58 | 日記
以前、このブログにも書いたAGAINSTME!のヴォーカルLaura Jane Graceが、アメリカ・ノースカロライナ州でのライブで、同州で成立された新法に対し抗議をしました。

この新法は、生来の性別以外でのトイレの使用を禁ずる等、反LGBTで非常に差別的な法。

ジェンダーディスフォリア(性別違和)であるローラはこの新法に対し、自分なりの方法で抗議しました。





アゲインスト・ミー!ローラの抗議パフォーマンス



アゲインスト・ミー!の他にも、多くのミュージシャン達がこの新しい法律の成立に抗議しているようです。

アメリカは全ての州で同性同士の結婚が認められたのに、こんな現実があるんですね・・・。

悲しい、悔しい。

今週末のライブでも、ローラは抗議パフォーマンスを行うみたいです。

がんばれ、ローラ!!























バンギャのヘドバン。

2016-05-10 15:58:26 | music
80年代と言うのは、アタシ達40代の人間が10代だった頃。

バンドブームなんて言葉が流行って、街中にはギターケースをかついで歩いている若者が沢山いたし、バンドやってる男の子は何だか知らないけれど女の子にモテた。

ひねくれ者のアタシは「わが道」を進んでしまう哀しいサダメの元に生まれていたので、音楽が好きなのに「皆と同じ事はしたくない。」と出遅れてしまっていた。


しかし、周囲の皆が「もうバンドなんか飽きたー就職活動もしなきゃだしー」なんて言う頃、バンドがやりたい気持ちが爆発。

皆がやっている頃にやっていないので、横も縦もまるきり繋がりが無い。

仕方が無いから自分で雑誌や街中の掲示板などにメンバー募集を出した。

でも、バンドなど組めはしなかった。

応募して来た男の子と女の子が何故か直後に付き合ってた事があった。

馬鹿なアタシは最初意味が分からなかったが、二人共はじめからそう言うつもりもありつつ、アタシのメン募に応募したって事だった。

音楽なんて本気でやろうとしてない人達だった。利用された自分のアホさを呪った。

応募して来て音を出してみようと練習スタジオに入れば、自分の彼女を中に入れて遊び半分。「音楽が好きなの?それとも音楽をしてる人が好きなの?どっち?」と聞かれ、「どっちもです。」と答えた。音を出せば「弾けるじゃん。」と言われた。弾けるから来ているんだろーが、ボケ。外見も中身もブサイクな男だった。


80年代は「女がバンドをやるなんて認めない。」って本気で言ってる男(多くはバンドマン)がいた。

アタシのメン募で彼氏を見つけた女みたいなのが居るので、女を敬遠する気持ちは仕方ない。

でもアタシは「お前らに認められるために生きてる女など一人もいないよ。」といつも思ってた。




沢山の時間が流れて、色んな事が変わった。

皆、一様に自分の人生を生きて今も生きてる。

アタシは、あんなに若い頃敬遠してた「ヴィジュアル系バンド」と言われる人達に尊敬の念すら抱いている。

出て来た時は、どうせすぐに居なくなってしまう子供達だと馬鹿にしてた。

彼らを嫌いだった一番の理由が、音楽的なレベルが極端に低かったから。

見た目はこだわっているくせに、聴くに堪えない演奏力が我慢ならなかった。どんな曲なのかも分からない。

しかし、こんなに長い時が経っているのにも関わらず彼らは生きているし、後に続く若いバンドも生まれている。

正直、こんなに生命力があるとは思わなかった。凄い。

そして、自分が「ヴィジュアル系」と言われる彼らに持っていた偏見にも気付かされた。

ヴィジュアル系であったとしても、皆が皆、向上心もなく下手なままなヤツ等ばかりではないと言うこと。

アタシは別に彼らのヴィジュアル系たる”ヴィジュアル”を嫌いなわけじゃないし、自分の中で決め付けてたところがあったんだなと今、思ってる。


バンドが生き続けられるのは、聴いてくれる観客があってからこそ。

長くヴィジュアル系バンドを支えているのは「バンギャ」と呼ばれる、女性ファンだとアタシは思う。

無論、男の子達も居る。

だけれども、「バンギャ」達は時代によって独自のやり方で進化を遂げながら、彼らバンドを支え続けてる。

それこそ当時「バンギャ」だった女たちは年齢もいっているわけで、「オバンギャ」と呼ばれるらしいが、何せ、そのヘドバンは凄まじい。

アタシが彼女らのヘドバンを見たのは、去年のSEX MACHINEGUNSとTHE冠のライブでだったけれど、ホントにホントに凄かった。

アタシはSEX MACHINEGUNSを、そのサウンドからヴィジュアル系と思った事は無かったんだけど、彼らはデビュー当時メイクもしていたのでそこにカテゴライズされていて、ノリもそちらの感じだったらしい。

なので、今でも激しいヘドバンの嵐が会場中で起こる。

若い頃に外国のバンドが来日した時の、日本人の慣れないヘドバンとは違い、バンギャ達の年季の入ったヘドバンは八の字や扇風機みたいに頭を振り続け、そこらじゅうが激しく波打つ海みたいになる。



長い時間の中で結婚したり、出産したり、離婚もあるだろうし、仕事で役職についてる人も居るかもしれない。

彼女達の作り出すヘドバンの海の波間に居ると何だか様々な物を感じる。

それは一筋縄では行かない物で、彼女らの意地みたいな物も感じる。

不思議な気持ちになる。

こうしている事が生きる活力の様な気分になって来る。


日本は、世界は、様々な事が起こりうる。

この暗がりの地上は、恐ろしく危険な事ばかりだと思っていい。

けれど彼女らはこうして何年も、世代を超えても、愛するバンドと共にこんな空気を幾千の夜創り上げては外へ帰って行った。

そう思うと、見ず知らずの女達の強さが愛おしく思えて来る。

”ライブとは全員で登りつめるためにある”と言うのは、どんな音楽でも同じなのかもしれない。



SEX MACHINEGUNS - みかんのうた