私が中学2年~高校2年の間、父が別府へ転勤になり祖父母と3人で暮らしました。
今、考えると一般的には父親は単身赴任、母親と暮らす。ですが、両親が別府に行き、「まあ、そういうこともあるか。」くらいに思っていました。
その4年間は、多感な時期で反抗期もあり、亡き祖父母に迷惑をかけたなぁ~。と反省・猛省することばかりです。
「靴下は脱いだままの裏返しじゃなくて、戻して洗濯機に入れてくれん?」という祖母の言葉にもイラッとしてしまった感情・態度が35年経った今でも忘れられず、
墓参りではお詫びすることばかりです。
そんな経験からか介護職にも興味があり、29歳で転職を決意したときに介護事業会社か不動産会社か迷いに迷って、同時に2社へ応募し受かった方に行こうと決め、
介護事業会社は落ちました。そして、今、介護事業会社(やわらぎ)・不動産会社(みのり商会)のグループ会社で働いていることに不思議な縁を感じます。
後記は、会長の寺川が、みのり商会社長時代に、亡母を介護していたころの社報通信に掲載していたコラムです。約10年前の記事ですが、今でも多くのお客様が
このコラムのことを覚えていて下さり、嬉しいお言葉をいただきます。よって、少しだけご紹介させていただきます。
介護で悩んでおられる方・ご相談したい方、お気軽に寺川・やわらぎスタッフへご相談下さいませ。
母は週2回デイサービスに通っている。朝9時頃スタッフの人が迎えに来てもらって夕方5時ごろご帰館となる。
お昼をご馳走になり、家では中々難しいお風呂に入って帰って来る。
前の晩に女房が用意した外出着を着せながら
「おばあちゃん、今日はデイの日やからね。もうすぐ迎えに来てくれるよ」
「ホオ~」
と話してみるのだが、いつも新しい体験をするような答えが返って来る。
以前は「私はどこにも行きたくない」と、人前に出るのが好きではない母は
よく拒否反応を示したものだが、今はそれもなく従容として時の流れに身をまかせ・・・。
といった感じである。帰宅した母に聞いてみると
「おばあちゃん、今日は何のご馳走だった?」
少し考えて「しょうゆごはん」
これが毎回何度聞いても「しょうゆごはん」なのである。
どんな粗末なデイサービスだって、毎回同じ毎回同じしょうゆごはん(炊き込みご飯)という事は無いと思うのだが、食事を済ませた母には、
どんなご馳走もしょうゆごはんになってしまうのだろう。
デイの状況を伝えるノートには「完食されました」と書いてある。
有難いことにいつも「完食」である。
(2009年10月)