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ハリー王子はチャールズ王の戴冠式で王室から「10列後ろ」に座ります:レポート

2023年04月24日 | 国際社会

アリー・グリフィン2023 年 4 月 24 日 午前 1 時 22 分  更新しました


王室の関係者によると、ハリー王子は父親の戴冠式で王室の他のメンバーから離れ、親族と一緒にそよ風を撃つために固執することはありません.

「スペア」の相続 人は、彼の家族の10列後ろに着席し、5月6日のチャールズ王の戴冠式で、彼の継続的な疎遠の中ですぐに退場すると、元王室執事のポール・バレルはUS Sunに語った.

アウトレットによると、バレルは、追放された息子が父親と兄弟のウィリアムと和解する可能性は低く、どちらともチャットする時間さえないかもしれないと述べた.


「残念ながら、すぐに和解する可能性はありません。彼はウィンザーズから非常に冷たい反応を受けると思います」と彼は言いました。

故ダイアナ妃に仕えた元執事はGBニュースに対し、ハリー王子は「顔を見せる」ためだけに国王の戴冠式に出席すると語った.

「彼はドアに足を踏み入れるために来ています。彼の父親が彼がそこにいることを望んでいるので、彼は来ています」とバレルは言いました. 「彼の父親は、彼の人生におけるこの信じられない日を目撃するために彼の2人の息子がそこにいることを喜んでいます。」

「しかし、ハリーはぶらぶらするつもりはありません」と彼は付け加えました。



ハリー王子は、父親の戴冠式の間、家族の近くに座ることはありません。ゲッティイメージズ


戴冠式は 3 日間にわたって行われますが、サセックス公爵は実際の戴冠式のみに出席する予定です。

このイベントは、ハリーが父と弟に会うのは、1月に彼の衝撃的な回想録「Spare」がリリースされて以来初めてのことです。

情報筋は以前、US Sun に、公爵は「戴冠式のために戻ってきて、家族と充実した時間を過ごすことを切望している」と語った.



ハリー王子は、チャールズ皇太子の実際の戴冠式のみに出席することが期待されており、3 日間に行われるその他の行事には一切出席しないことが期待されています。ゲッティイメージズ


彼は戴冠式に単独で出席します。妻のメーガン・マークルは、同じ日にアーチーの4歳の誕生日を祝うために、カップルの2人の子供、アーチーとリリベットと一緒にカリフォルニアに滞在する予定です.

 
 
 
 
 
 













フードライターで評論家のトム・パーカー・ボウルズも、母親が現在国王であるチャールズと結婚したとき、「終わりはない」と語った.

 カーリー・レッドベター2023 年 4 月 24 日午後 1 時 46 分(東部夏時間)


トム・パーカー・ボウルズは、先週、ジョン・ソペルとエミリー・メイトリスと一緒に「 The News Agents 」ポッドキャストに出演した際、義理の兄弟であるハリー王子についての質問を巧みにかわしました.

元カミラ・パーカー・ボウルズの息子であるフードライター兼評論家は、 5月6日に行われるチャールズ国王とカミラ女王の戴冠式に「ハリーが来るかどうかについてパニックに陥っていますか」とマイトリスから尋ねられました. .


パーカー・ボウルズは、決定は「私とは何の関係もない」と答えた後、彼と彼の息子は、イングランド代表チームのキャプテンであるハリー・ケインが戴冠式に来るかどうか心配していると冗談めかして言った.


48歳の彼はまた、母親が常に女王になりたかったと憶測する人々から母親を擁護した.

「変化は起こると思いますが、誰が何と言おうと気にしません。これは最終的なゲームではありませんでした」と作家は言いました. 「彼女は愛する人と結婚し、これが起こったことです。」



トム・パーカー・ボウルズ、ローラ・パーカー・ボウルズ、ハリー王子、ウィリアム王子。2005 年 4 月 9 日、イギリスのバークシャーで、ウェールズ王子とカミラ・パーカー・ボウルズ夫人の民事婚式が行われました。ゲッティイメージズによるジュリアン・ハーバート


2019年に悪名高いアンドリュー王子のインタビューを行い、彼が公務員として引退することになったジャーナリストのメイトリスは、パーカー・ボウルズに母親を女王と考えるのは「奇妙」かどうか尋ねた.

「彼女はまだ私たちの母親だからではありません」とパーカー・ボウルズは答えた. 「私は「私たちの」と言いますが、王室の「私たち」ではなく、妹[ローラ・ロペス]と私を代表しています. 彼女は私たちの母親です。」

そして、母親の新しい称号にもかかわらず、パーカー・ボウルズは、彼自身の称号は与えられないと主張した.

「私は無になる」と作家は笑いながら言った。「もし彼らが私のような人々にそれを配り始めたら革命が起こるだろう.あなたは私たちが「何でも公爵」と呼ばれる素晴らしい財産を持っているとは思わないだろう. いいえ、それはぞっとするでしょう。」



2015 年 3 月 11 日に開催されたチェルトナム フェスティバルに出席し、息子のトム パーカー ボウルズ (左) と娘のローラ ロペス (右) と共にレースを観戦する当時のコーンウォール公爵夫人カミラ。ゲッティイメージズによるマックスマンビー/インディゴ


彼はまた、反君主制グループのリパブリックなど、戴冠式で抗議する可能性のある人々を擁護し、ポッドキャストのホストに「誰もが自分の望むことを考える権利がある」と語った。


「エクスティンクション・リベリオン、アニマル・リベリオン、リパブリックに話を戻すと、それが何であれ、誰もが自分の発言権を持っている」と彼は言った。「ありがたいことに、私たちは自由の国に住んでいます。」

彼は、「人々が抗議したいのであれば、それは彼らの権利だ」と付け加えた.
チャールズ皇太子の戴冠式は来月ウェストミンスター寺院で行われますが、昨年9月に母親のエリザベス女王が亡くなって王位に就きました。

バッキンガム宮殿は最近、サセックス公爵が式典に出席することを明らかにしたが、メーガン・マークルは夫婦の息子であるアーチーの4歳の誕生日であるため、カリフォルニアに留まる.

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「盾となり」皇室を守ったエリザベス女王 平成の天皇の手紙の書き出しは「親愛なるお姉さま」【2022年 反響の大きかった記事22選】

2023年04月24日 | 国際社会
2022/12/22 17:00

筆者:永井貴子



写真:Press Association/アフロ


2022年も残すところあとわずか。ここでは、2022年にAERAdot.で配信された記事の中から「反響の大きかった記事」を22本選別して紹介します。(9月11日配信/※肩書年齢等は配信時のまま)


 英国のエリザベス女王の国葬に、天皇陛下が参列されることで政府が調整している。天皇陛下が葬儀に参列したのは戦後一度だけ。特別な措置に、両国の交流の深さがにじむ対応だ。 



* * *
「Dear Sister」

 上皇さまがかつてエリザベス女王につづった手紙。書き出しにはそうつづられていた、と皇室に仕えた人物は振り返る。エリザベス女王を「親愛なるシスター」と呼ぶほど、ふたつのロイヤルファミリーは、温かな交流を育んでいた。

 政府は、エリザベス女王の国葬に天皇陛下が参列する方向で調整している。過去一度の例外を除いては、天皇陛下が葬儀に参列することはない。それだけ、日本の天皇ご一家と女王は、親密な交流を育んできた証だ。

 平成の天皇皇后両陛下が英国を訪問した98年当時、多賀敏行・中京大学客員教授は在英国日本大使館公使としてロンドンにいた。

 国民がエリザベス女王に手紙を書くときは、「madam」を使う。多賀さんは、英王室の侍従長に「エリザベス女王に朝、お会いする際に何と呼ぶのか」とたずねた。

 返ってきた答えは、「Good Morning, ma‘am」だった。

「ma‘amは、マダムの省略形で英国では女王への呼びかけとして用いられますが、madamより親しみが表現される。

上皇さまがエリザベス女王に『Dear Sister』と呼びかけたとすれば、女王から上皇さまには『Dear Brother』であったと思います。

親戚同士でつながる欧州王室と同じように、皇室も家族の一員として親しい交流をなさっていた証だと思います」



1975年 来日したエリザベス英女王と東宮御所の庭を散策する当時の皇太子ご一家。左から紀宮さま、皇太子さま、礼宮さま、美智子さま、浩宮さま
 天皇陛下がエリザベス女王に初めて会ったのは、1975年の女王が来日したときだ。 


 女王は、元赤坂の東宮御所に明仁皇太子ご一家を訪ねた。浩宮さま(現・天皇陛下)と礼宮さま(秋篠宮さま)、と紀宮さま(黒田清子さん)が、ご両親と一緒に女王を囲むように温かく出迎えた。

御所の庭を笑顔で散策する女王と皇太子ご一家。当時の写真を見ると、列を離れて歩き回る幼い紀宮さまの愛らしさに目がとまる。 

 女王と将来の天皇となる浩宮さまの縁は深い。 

 浩宮さまが誕生した時、女王は、祝電を寄せて浩宮さまの誕生を祝っている。

 実は、女王も4日前に第二王子のアンドリューを産んだばかり。体調が万全でない身にもかかわらず、見せる気遣いに人柄がにじむエピソードだ。

 数日違いで生まれたアンドリュー王子との交流は続き、英国での王子の結婚式にも参列している。


 浩宮さまと女王が再会したのは8年後の83年。

 オックスフォード大学に留学するためにロンドンに到着した浩宮さまを、安心させる心遣いだったのだろう。

女王はバッキンガム宮殿に招き、自ら紅茶を入れた。


 翌年の夏には、王室ご一家が休暇を過ごすスコットランドのバルモラル城に招かれた。

エリザベス女王が台所に入り、エジンバラ公がバーベキューの肉を焼く。

家族団らんのなかで数日間、一緒に過ごした。



1985年9月、留学先の英オックスフォード大周辺で自転車に乗る浩宮さま時代の天皇陛下


 令和に代替わりをして、新天皇、皇后両陛下が初の外国訪問地として招待されていたのも英国だった。

 天皇陛下は、女王の死去を受けて公表したお気持ちで招待してくれた女王への感謝を述べている。

「女王陛下から、私の即位後初めての外国訪問として、私と皇后を英国に御招待いただいた」

 こうした天皇陛下と女王との親密な交流は、上皇ご夫妻の代からの地道な交流の上に築かれたものだ。


■競馬場でのいたずら

 上皇さまが、初めて女王と対面したのは69年前、1953年の戴冠式だ。明仁皇太子(上皇さま)が19歳、エリザベス女王は26歳だった。

 還暦の誕生日会見で、女王との対面をこう振り返っている。

「英国の女王陛下の戴冠式への参列と欧米諸国への訪問は、私に世界の中における日本を考えさせる契機となりました」

 53年という年は、第2次世界大戦に敗れた日本が国際社会に復帰した翌年。敗戦国である日本や日本人を見る世界の目は厳しかった。

 19歳の青年だった明仁皇太子(上皇さま)にとっては、大切な友人となる各国の王族との出会いの場であると同時に、英国民の冷たい視線にさらされた場でもあった。

第二次世界大戦後の両国の関係は、今からは想像がつかないほど溝が深かったのだ。


 明仁皇太子が英国に到着した日、英大衆紙デイリー・エクスプレスは、「68%の読者が日本の皇太子を戴冠式に出席させることに反対した」と報じた。

 宿泊先だったケンブリッジは、ビルマ(ミャンマー)で日本軍の捕虜となった人が多く暮らす街だ。

日本の皇太子の訪問に、「アンチ・アキヒト」という不穏な空気が高まった。

そのため、急きょ訪問した大学の学長宅に滞在したほどであった。

また、イングランド北部のニューカッスルでは、元捕虜団体の抗議で明仁皇太子の訪問は中止に追い込まれた。


 しかし、26歳の若き女王と英王室は明仁皇太子を温かく歓待した。

ダービー競馬を明仁皇太子が観戦していることを知った女王は、自身のスタンドに招いたという。
 
 明仁皇太子が美智子さまと結婚したときには、女王からお祝いに銀製の茶器一式が贈られた。

 ロンドン五輪などでユーモアを見せた女王。「おてんば」な素顔は、昔からであったようだ。

 76年に明仁皇太子と美智子さまが訪英したときのことだ。

 英国のロイヤル・アスコット競馬を観戦中に、女王が明仁皇太子のひざの上に置かれたレースカードに突然、手を伸ばした。



1976年の英国訪問 大勢の観客が出迎えるなか、英女王の馬車で競馬場のコースを走る美智子さまたち


 びっくり仰天する明仁皇太子を尻目に、女王は自分の競馬予想を書き込みだした。母の皇太后が、女王のいたずらをたしなめるというオマケもついた。

 他方、英国やオランダでは元捕虜団体が日本に対して補償と謝罪を求めており、戦争が残した溝は埋まらないままだった。 

 イギリス政治外交史に詳しい君塚直隆・関東学院大学国際文化学部教授は、こう当時を振り返る。


「89年の昭和天皇の大喪の礼で、オランダのベアトリックス女王は、国内世論を鑑みて王族を列席させなかった。英国も国内世論の厳しさは同じでしたが、夫のエディンバラ公フィリップ殿下を列席させる配慮を見せました。

この『恩』があるわけです。本来ならば、上皇ご夫妻が自らお別れをなさりたいと思います。

しかし、ご年齢を考えると難しい。エリザベス女王の国葬には、異例であっても天皇陛下が列席なさるのが相応しいと思います」


■大衆紙は「ジャップ」と批判するなか…

 平成の代替わりを経て明仁天皇となっても英国の日本への批判は止まなかった。むしろ戦後50年の節目である95年ごろから、その声はさらに強まった。

 明仁天皇が「天皇」として訪英への訪問が実現したのは、平成が始まって10年目のことだった。

 この時式部官長だった苅田吉夫さんは、かつて記者の取材にこう振り返っている。


「英国との親密度を考えれば、訪問はもう少し早く実現してもよかったかもしれない。しかし、下地を整えるのに時間が必要だった」

 アジア各地の劣悪な環境の下で長期にわたり強制労働をさせられた元捕虜のほかに、収容所には女性や子供も含む民間人もいた。心の傷は簡単に癒えるものではなかった。


 両陛下の訪英直前まで、両国トップは、不測の事態を招かないよう、手を尽くした。

当時の林貞行駐英大使も、前任者の時期から日本の民間団体とも協力して、和解への努力を続けてきた。

英大衆紙「サン」に捕虜の扱いを謝罪する橋本龍太郎首相の寄稿文が掲載され、両国首相の会談で協力を確認。

だが、多くの英国紙には捕虜問題を訴える記事が並び、一部大衆紙は「ジャップ」と批判した。


 そうしたなか実現した98年の英国訪問。



98年、平成の天皇皇后両陛下の英国訪問。パレードの沿道で馬車列に背を向けブーイングをして抗議する元日本軍捕虜の英国人たち


 ロンドンの大通りザ・マル。バッキンガム宮殿に続く800メートルの沿道は、天皇、皇后両陛下のパレードを待つ日英市民らで埋め尽くされた。

さらに、旧日本軍の元捕虜団体も沿道に並んだ。両陛下の馬車に背を向け、シュプレヒコールを浴びせた。 

 不穏な状況にもかかわらずテロや両陛下に危害を加える事件は起こらなかった。


 エリザベス女王と王室が盾となって平成の天皇と皇后を守ったからだ。

 馬車のパレードの先頭はエリザベス女王と明仁天皇、2台目の馬車には夫のフィリップ殿下と皇后美智子さまが乗る形を取った。

馬車の周囲には、大勢の近衛騎馬隊が整然と隊列を組んだ。

 元英国兵らの抗議を受け、戦争の傷痕を確認する旅となった。

そんな中でも女王との友情は揺らぐことはなく、出国の際は女王が最後まで名残を惜しんだ。


皇室も英王室も長い歳月をかけて相手と交流を重ねることで、国と国の信頼へとつないでゆく。

政治家による外交と比べるともどかしいかもしれない。しかし、静かな交流が大きな力へと変化することもある

 上皇さまが手紙で、「Dear Sister」と呼び敬愛したエリザベス女王。

偉大な英国女王の国葬は、19日に執り行われる。

(AERAdot.編集部 永井貴子)














チャールズ国王(ロイター)
2022年12月27日 13:06東スポWEB


 25日にチャールズ国王が君主として初めて行ったクリスマスの国民向けスピーチが、王室によるクリスマススピーチの中で過去最高の視聴者数を記録したことが分かった。

演説は故エリザベス女王やウィリアム皇太子夫妻について触れたが、ヘンリー王子&メーガン妃の名前は出てこなかった。


 約8分間の演説でチャールズ国王は、エリザベス女王の死去により自身が国王に即位したことで「ウェールズ公」と「ウェールズ公妃」の称号を継承したウィリアム皇太子夫妻が、その直後の9月にウェールズを訪問したことを、「王室と地域住民との交流の精神を示す良い例をなった」と称えた。


 だが、31日にネットフリックスで新たなドキュメンタリーが公開され、来年年明け早々には挑発的なタイトルの回顧録「スペア(予備)」を出版するヘンリー王子やメーガン妃について、国王はひと言も言及しなかった。


 英BBCによると、チャールズ国王のスピーチを放送したクリスマスの特別番組を見た視聴者は1060万人(英国民の約15%)に上り、エリザベス女王の時代に始まった同番組史上過去最高となった。

「BBC1」での平均視聴者数は810万人で、民放のITVでは158万人、「BBC2」では約92万9000人だった。


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【イタすぎるセレブ達】カミラ王妃の息子、ヘンリー王子の主張に猛反論「誰が何と言おうが、母は愛する人と結婚した」

2023年04月24日 | 国際社会
イタすぎるセレブ達 2023.04.23 10:58 NEW!
writer : tinsight-ikumi



カミラ王妃について「父との結婚は王妃の地位に就くことが目的」「メディアに王室内部の情報をリークしていた」などと言いたい放題だったヘンリー王子


カミラ王妃(75)の息子トム・パーカー・ボウルズ氏(48)が、ヘンリー王子(38)の発言に反論した。

王子は自身の回顧録『Spare』で、カミラ夫人(当時)が父チャールズ皇太子(当時)と結婚したかったのは王妃の座を得るためだったと主張。

夫人が自身のイメージアップを図るためにメディアと情報交換をしていたと綴っていた。

これに対して、トム氏は「誰が何と言おうが、母は愛する人と結婚した」と王子の意見を完全に否定した。


カミラ王妃は、1973年から1995年まで結婚生活を送っていたアンドリュー・パーカー・ボウルズ氏(83)との間に、長男トム氏と長女ローラさん(45)をもうけている。

カミラ夫人(以下、当時)はアンドリュー氏と結婚する前からチャールズ皇太子(以下、当時)と交際していたが、その後も密会を続けていた。

皇太子は1981年にダイアナ妃と結婚し、のちにウィリアム王子(以下、当時)とヘンリー王子が誕生したが、その後もカミラ夫人との関係を維持していた。


カミラ夫人がアンドリュー氏と離婚した翌年、1996年にはチャールズ皇太子とダイアナ妃の離婚が成立。1997年にはダイアナ妃がパリで事故死した。

その後、皇太子とカミラ夫人は交際を公にして2005年に結婚している。

今年1月に出版されたヘンリー王子の回顧録『Spare』では、兄ウィリアム王子と共に父チャールズ皇太子に対して、カミラ夫人と「結婚しないで欲しい」と懇願したことが綴られていた。

ヘンリー王子とウィリアム王子はのちにカミラ夫人と初めて対面するが、この時のヘンリー王子は夫人が自分達の「意地悪な継母になるのではないか」と不安を抱き、「何か残酷なことをするのでは」といった先入観があったそうだ。


同著では、カミラ夫人が王子達との会談を行った直後、王位継承者である父と結婚して“王妃”の地位に就くことを目的とする長期戦を開始したと主張。

夫人が自身のイメージアップを図るため、メディアに王室内部の情報をリークしていたと暴露した。

ヘンリー王子はこれを「王冠を目指すキャンペーン」と表現し、「パパのお墨付きだったんだろう」と付け加えていた。

こういった王子の発言に対し、カミラ王妃の息子トム氏が反撃に出たのだ。

フードライター兼評論家として活動するトム氏は、ポッドキャスト『The News Agents』が現地時間20日に配信したエピソードにゲスト出演し、母が結婚したいきさつについてヘンリー王子の主張を真っ向から否定した。


「誰が何と言おうが、私は気にしません。

決して、チェスのエンドゲームのようなものではなかったのです。彼女は愛する人と結婚した。その結果、こうなったのです。」


カミラ王妃は5月6日に執り行われる戴冠式で、チャールズ国王の隣で“王妃”として王冠を被せられる予定だ。

式典への招待状では、カミラ王妃の称号がこれまでの「クイーン・コンソート」から「クイーン」に変更され、今後は正式に「クイーン・カミラ」と呼ばれることになった。


『The News Agents』の司会者が「母親を“クイーン”だと思うことに、違和感がありますか?」と尋ねると、トム氏はこのように答えている。

「そうでもないですよ。なぜなら彼女は今でも私達の母親ですから。

“私達”というのは私と妹のことで、王室による“私達”とは意味が違うんです。

彼女は私達の母親なんです。」


さらに戴冠式を前にしたカミラ王妃について「不安を抱いているのでは?」と問われたトム氏は、「母が担う役割は大変だ」と理解を示すも「彼女が文句を言ったことはない」と答えた。


続けて「このように歴史的に重要な場では、誰でも不安になると思います。

もし私が古代のローブを纏って外に出なければならないとしたら、怯えきってしまうでしょう」と明かした。


ロンドンのウェストミンスター寺院で執り行われる戴冠式礼拝では、トム氏と元妻の長男フレディ・パーカー・ボウルズさん(13)が、いとこのガスさん&ルイス・ロープスさん(双子でともに13)と共にページ・オブ・オナーとしてカミラ王妃に付き添う予定だ。


画像3枚目は『The Royal Family 2023年4月4日付Instagram「As the countdown to the Coronation continues,」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 寺前郁美)


















4/23(日) 15:36配信


英王室のツイッターより


イギリス王室のウィリアム皇太子夫妻の二男のルイ王子が、23日、5歳の誕生日を迎え、新たな写真が公開されました。 

母親のキャサリン妃に押してもらいながら、手押し車に乗ってほほえむルイ王子。この写真は、ウィリアム皇太子の二男のルイ王子が、23日、5歳の誕生日を迎えるのにあわせて公開されました。 

これまで、ウィリアム皇太子の子どもたちの写真は、キャサリン妃が撮影したものを誕生日にあわせて公開するのが恒例となっていましたが、今回はプロのカメラマンによる撮影だということです。 

ルイ王子は、去年亡くなったエリザベス女王の国葬には参列しませんでしたが、イギリスメディアによりますと、来月行われるチャールズ国王の戴冠(たいかん)式には、出席する予定です。 写真:英王室のツイッターより

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最終更新:4/23(日) 16:56日テレNEWS