本日の出来事。
義父の一番下の妹(叔母さん)が、余命半年と宣告された。
二世帯住宅、一番下の息子さん家族と生活をしているが、嫁いだ長女が引き取りたいと言ってきている。
そのために、兄弟みんなが引っ越す前に顔を見に行こうということになったらしい。
しかし、本人にはその宣告は伝えていない。
我が家のお見舞いをしたついでに寄ったということにしようと、作戦を練る。
いよいよ、当日。本番。
最寄り駅に東京から2家族がやってくる。
私は、近くに住む・義父の兄を車に乗せて、最寄り駅で待つ。
スタンバイOK。
が。東京からの1家族が来ない、電車から降りない。
自宅に電話すると、出たと言う。そのまま皆で、1時間待ってみる。
待つ2本の電車から降りてこない。電車に乗る前に何かあったのか・・? と不安がよぎる。
・・・・・もしかしたら・・・
その叔母さん宅の駅まで行ってしまったのか・・?
案の定そうだった。
しかも、主人の車は、その時点でバッテリーが上がるという失態。
とりあえず私の車に乗って、義父の施設に行く。
主人は、車屋さんに修理してもらい、その電車を降りずに、メインの叔母宅まで行ってしまった叔母を迎えに行った。
全員が義父の部屋に到着すると、義父の顔は歪み、「みじめだ」と呟いた。
そして、今日は、全員の名前を口にできるほどだった。私のことも今日はちゃんと名前で呼んだ。
お昼ご飯は完食。
余命を宣告された叔母も、義父を見舞っていた。
周りにいる兄弟たちは、2人の兄妹を複雑な思いで見ていたに違いない。
まさかみんなが、自分を見舞いに来たとは露知らず、義父をいたわり言葉をかけている。
その叔母宅に行くメインの目的がなくなり、私たちも遅い昼食をとった。
それぞれが思いを隠して、和やかな時間が続けば良いと思いながら、たわいの無い話をしていた。
最寄り駅から見る富士山。
わが町からも天気の良い日には遠くに見える。 ※ トリミングしています。
ここからはぼやきです。
主人は、叔母が見る見るうちに悪化していくことが不憫だと言う。見ていられないという。
それは確かにそう。
自分の叔母で、近くにいることで関わってきていた叔母さんでしょう。
・・・・・そんなことを言う主人の、その先の言葉を私はついつい、期待してしまう。
「お前も大変だったな、つらかったろう。」という言葉を。
しかし、それは全く無い。
人の気持ちは催促するものではない、催促してもらったものは嬉しくはないだろう。
結局、自分の姓の家の囲いの中だけにいるんだなぁ・・と改めて納得した。
私のここでの20年。どんなに涙や文句を飲み込んで踏ん張ってきても、届いていない。
ここでの頑張りは息子たちが知っている。一緒に頑張ってきた。
主人は、実家の前の道を通って勤め先に行っていながらも、実家の1人寝たきりの母の様子を覗くことは一度も無かった。
どうなんだ? の声かけもなかった。
しかし・・それは。
母の兄がこういった。
「そうされるのは、こちらが好かれていないからだ。」
結局はそういうことなんだなぁ・・・・と、自分で納得した。
気持ちは催促するものじゃない。行くなといわれても、心配なら、行きたいと想う相手なら行くものなんだ・・・と。
私がその何百倍も母を思い心を寄せたんだ。それで良いんだと私は自分に言い聞かせるょ。