もし身内が行方不明になっていて、とある場所から連絡が入り、引き取りに来てほしい・・・と、急に連絡があったら。
もともと住所不定でも、こんなときには警察はぱっぱと動くもので、知らせを受ければ、知らぬ存ぜぬではいかない。
霊柩車で移送、往復の運賃と、告別式無しの荼毘。それでも数十万がかかった。
自分の遺体はそこらへんに捨ててくれと言っていた者がそんな事態を経験して、いかに生が大事なことで、家族に世話をかけることか、が分った。
そんなことが月曜日にありました。
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近くで、新しい工場ができるともっぱらの噂。
ちまちまと内職なんぞしてないで、ちょっとした時間パートに出てはと、三男がそのチラシを持ってきてくれた。
みんな働いているんだょね・・。
こんな自分を甘やかして、したいときにする程度で、仕事をしていると言う気になっている自分が、だらしなく・・・・・・。
だらだらと言い訳をしながら、知人と話すと、誰しも、仕事をすることを薦める。
時間って。
待っているもの・・・なのか、何かをしながら、経過していく。
ある目的までの時間を、ただ待つのは、まだ早すぎると言い聞かせる。
その間、有意義に過ごせて、やっと目的のときが来た時、さらに次の目標を自分に作る。
今の私は腑抜け。
平和でいられるから。
切羽詰った悩みがあるわけでもない。
命に関わる事件の真っ只中にいるわけでもない。
ただ、人の目を気にして、何か言われないうちに内職でもして、その訪れる日を待っている。
屑だ・・・・。
いよいよ、主人の勤務日数も終わりに近づいている。
それと同時に、痛風と膝の痛みが出て、病院に通う。
退職金の話も出てきた。
提示された金額は予想通りの満額ではなかった。
その説明を突き詰めると、無言になり、納得いく説明がない。
主人は、判を押さずに帰ってきた。
主人も、悶々とした感情と、自分の身体が言うことがきかなくなって、なげやり的な感情が口からでる。
身体のためには、たばこも酒もやめなければならない。そんな生活じゃ、生きているのもつまらない、と言い出した。
甘いよ。
人生、酒とたばこだけが生きがいだったのか・?
休みのたびに、麻雀・パチンコと遊びほけていたのはどこのどいつだろう。
家庭を顧みず、仕事だけしていれば、感謝されるとでも思っていたのだろうか。
酒もたばこもやめたくないと嘆いても、止められたとしても、遊ぶ仲間だけはたくさん居るではないか。
本来なら、段々年齢とともに弱るのは当たり前のこと。
それを家族と一緒に支えあい、第二の人生としても嬉々として始めるのじゃないだろうか。
私の父が、長年都内でタクシーの運転手を定年になったとき、私は感謝の電報と記念品と花を持って実家に行った。
まだ長男が乳母車に乗っていた頃。
今でも覚えている。駅で母と長男と、父が乗ってくる最後の電車が着くのを待っていた。
父は、改札口の目の前にいる私たちに気がついて、照れ笑いをした。
そして、あのハンドルで家族を守ってきたと感慨深く車を洗ってきたんだと言った。
そんな年齢に今、自分の夫がなっている。
2年早いとはいえ、それが事実。
夕べ、3人息子が珍しく全員、夕飯に揃った。
みんなで少しづつ出して、何か記念品を贈ろうょ、と言うと、誰も反対せず、何にしようかと、しばし話し合いがあった。
今が一番幸せなんだと言い聞かせつつ、それにどっぷりと浸かって、駄目な人間になるのは・・・・私のような気がする。
そんなことを思いつつ、また内職にとりかかろうか。