今日は湿度もあって温かいです。
今はくもり空になっています。
朝、内職を納品したあと、道路側のフェンス足元にあるマツバギクの枯れたものを処分し、切り詰め作業をしました。
ブロック塀の上なのでどうしても、ここ数年の猛暑にはいくら多肉植物とはいえ、枯れるものが出てきました。
今、班長を務めていますが。
ひと月づつ交代で、ゴミの収集場所の管理をします。
今月がその当番です。
町指定のゴミ袋を使い、名前を書くことが決められてはいますが、ひと月に数回ほかの街からゴミを置いていく人がいます。
それから、生ゴミのほうは、たぬきかいたちかはたまた、何かが悪戯をします。
その後処理をしたりします。
マツバギクを切っていると区長さんが、『ごくろうさま~』と、声を掛けてくださいました。
生ゴミの方も、扉を厳重にしたおかげで、今朝は無事でしたと、確認。。
夏つばきの今です。薄く皮が剥がれてその色合いが綺麗です。^^
形のあるものと無いもの。
商品になるものとならないもの。
たとえば保険。
毎月1度定期的にセールスレディがやってくる。
内職で時間に追われている時には、その無駄話のようなものをするのが億劫です。
セールスレディは、見直しの資料を作ってきてくれます。
長男に、次男に。。年金を増やしませんか? もっと、大きく癌などを保障できるものにしませんか? と。
これが欲しいと思っていたら、飛びつきますが。
今すぐに欲しくない、考えてもいないものを、どうだどうだと勧められても、断ることのストレス。
断わられる方のストレス。
万が一の時に役に立つでしょう。
それが無いときに払い込んだ金額はどれほどでしょうか・・・・
宗教もまたしかり。
自分には何も悩みなど無い。楽しいし、健康だ。
勧めてくる人は、良い人だし、断るのにストレスを感じる。
こんなことは無いだろうか。
無宗教であることがカッコイイように思う人もいるし、諸国では、思想無き人は信頼がおけないとも言われ。
どんな宗教であれ、自分や周りが切磋琢磨しつつ、人として成長しようとするもの。
道徳心や、生きる上での人の有りようを教えていく。
ただ、賽銭をあげて願いが叶うことを信じている人は少ないだろうと思うが、その賽銭を盗もうとすることは、滅相も無い。
また、自分の努力で勝ち取った入試・合格。
だけど、貰ったお守りのおかげだねといわれ反感を持ったとしても、それを破り捨てる度胸もない。
そんななかで、一つだけを信仰している人を見ると、変わり者だとか、ついていけないとか思われるのもあり。
○○○○国。
我が息子が捕らえられている家族の皆さんの心痛いかばかりか・・・・・
それは、拉致されている家族のいる方たちもまた同じ苦しみを抱えて生きていらっしゃる。
多くの理解者、支えようとする方々が幾百人周りを囲んでいても、そこにたった一人、たった一人だけ自分の息子が姿を現せばその苦悩は消えうせる。
いまどんな思いで時間を過ごしているのでしょう・・・・・