行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

大麦の中の声。

2015年05月23日 10時08分03秒 | 日記

 

裏の大麦畑です。
ケン・ケンとキジの声がします。でも、キジより穂の背が高くなった麦の中では見えません。

 

 

ざわつく感じがあります。
心に。

きっとまた私のいらぬ心配、だと思います。

 

大それたことを言えば、各地の火山の動きとか、あちらこちらで揺れてること。

子供の頃は、家に帰ると両親がいて、好きなテレビ番組まで何しようかと時間をもてあまして。
母に連れられて銭湯に行って、木の陰の縁台で将棋を打っていた人を見るのが好きだったなぁ。

すぐ近くを機関車が走っていく音・・匂い・・
父が飼っていた秋田犬。2人乗りのブランコ。自転車。
小玉スイカを半分に切って妹とスプーンで食べた味。

そんな記憶と、あっという間に大人になってしまいたいと思っていた嫌な記憶。

今はそれも私だったのかと思ってしまうくらい年齢を重ねて・・

子供たちが自立していく、していくだろう。

両親はもういない。

長く生きても知っている人がいなくなるんだよ・・と呟くお年寄り・・93歳。
ああはなりたくないと思っても固まったまま寝かされるベッドの上。

人口が減っていく。
あと50年もしたら日本ってどんな世界になるんだろう。
子供たちが熟年といわれる時。日本は・・

今より平均年齢も安定しているだろうか。
どこか小さな国のように人口が少ないだけで、安定した生活になっているだろうか。
土地も広く、渋滞のない道路。走る車も少なく排気ガスも少なくなっているだろうか。

でもそこまでいくまでには、今作られている施設や必要のなくなった建物などを綺麗にして整備されなくては。
独居老人の悩み。遠くに住む家族の心配。人が消えれば価値のなくなってしまう品物。

子供たちは、歓声もうるさいと言われ・・静かに遊ぶことを覚え。
競争すること、人と違うこと同じこと、どちらを選択すれば幸せになれるんだろうかと親が悩み。
それに従う小さな子。

学力・知識・技術を持った人間がどれだけ世界を動かすのだろう。
何も取り得がなく、自信もない人は、のん気者だと捨てられていくのだろうか。

価値のある人間・どうでも良い人間・必要の無い人間・・とくくられてしまうのだろうか。

 

 

朝起きて、太陽の日差しを浴びて、さあ今日も頑張ろう。

何を・何のために・・?

そんな目的をも失う時があるかもしれない。
毎日同じことの繰り返し。
こんな生活から抜け出したい・・と思ったとしても、一瞬で開けた窓の外が変わるわけもなく。
足音の持ち主が代わるはずもない。

ここに。ここで生きているのは、過去からの積み重ね。
自分が生きてきたように今がある。
今を悔いるなら自分の過去を見直せば良い。
今を恥じるなら、心を入れ替えれば良い。
今を良くしたいと思うなら、大丈夫、できる。

 

 

私たちは、幸せになるために生まれてきたのだから。
そのために、食べて、音楽を聴いて、芳しい香を感じて、空気で季節を味わって、隣の人と手を繋いで、励まして励まされていくんだから。
100年くらいの人の命を、抱きかかえてくれる地球でさえ、生きているんだから。
一緒に、今も生きているんだから。