【人類は火星へ火星へと寄せ波のように押し寄せ、やがて地球人の村ができ、町ができ、哀れな火星人たちは、その廃墟からしだいに姿を消していった……。
火星への最初の探検隊は一人も帰還しなかった。火星人が探検隊を、彼らなりのやりかたでもてなしたからだ。つづく二度の探検隊も同じ運命をたどる。それでも人類は怒涛のように火星へと押し寄せた。やがて火星には地球人の町がつぎつぎに建設され、いっぽう火星人は…抒情と幻想の詩人が、オムニバス中・短篇によって紡ぎあげた、SF文学史上に燦然と輝く永遠の記念碑。】
住めなくなった地球、住みたくなくなった地球を捨て、住む場所・(自分達だけの?)希望を求めて「平和な火星人の住む火星」に移住・・・・、いや移住ではなく「友好的に侵略」しようとした地球人。
火星人(相手)の文化を無視し、地球(自分)の文化を押しつけていることに気がつかない。友好的な押しつけも「侵略」である。平和に共存するにはどうすればいいのか。
愚かな人間は、どこに行っても愚かな人間のままなのか。火星人は言語が無くてもテレパシーで会話できる。けれど、地球語しか知らない地球人は相手の文化や立場を「理解」できない。
>「いや、べつに知りたいわけじゃない」と、厚いくちびるを突き出して隊長は言った。「もう知ってるんだから」(二〇三〇年 地球の人々)
ワタシたちは地球から初めて火星にやって来たんだから、火星人に祝って欲しいだって?
救いようのないバカ。ああ、地球人って・・・憐れ
この物語(寓話)からは大事なことが学べる。希望は、学ぶことにのみある。
火星の話、SFだからこそ、客観的に冷静に観る(学ぶ)ことができる。
人間としてとても反省させられ、示唆に富んだ、それに味わい深い物語。しみじみ寂しい(侘びしい?哀しい?)お話でした。名作です!二度三度読んで、じっくり味わいたいと思います。(多分書ききれない)
ほんと、人間はこのままでは(人間を改めないと)マジやばいと思う。
>「何をそんなに一生懸命、見ているの、パパ?」
「パパはね、地球人の倫理や、常識や、良い政治や、平和や、責任というものを、探していたんだよ」「それ、みんな地球にあったの?」「いやいや、見つからなかった。もう地球には、そんなものはなくなってしまったんだ。・・・・・」(二〇五七年十月 百万年ピクニック)
何万年何百万年と輪廻を繰り返しながら学んでいくしかないのかな。その前に地球は人間に破壊されてるかもね。
星5つ
地球人が我が物顔で火星を侵略していく。
地球上でも同じことが繰り返されていますね^^
したっけ。
それか、ちゃんと読めない。
自分中心にしか物事をみることができない地球人が多いですね。人間というのはそういうものなので仕方ないっちゃあ仕方ないけど、それでも何とかしなくちゃ。