たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

リーダーの倫理 <擁護論盛り上がる明石市長暴言問題を考える>を読みながら

2019-02-03 | 国・自治体のトップ 組織のあり方 民主主義とは

190203 リーダーの倫理 <擁護論盛り上がる明石市長暴言問題を考える>を読みながら

 

今日はこれで4つめのブログとなりました。さすがに疲れてきましたので、パスしようかと思いつつ、簡潔に取り上げておこうかと思います。

 

毎日朝刊記事<アクセス筋が通っているからこそパワハラ 擁護論盛り上がる明石市長暴言問題を考える >は、連日話題になっています。あえてとりあげることもないかと思いつつ、なにか釈然としないものがあり、一言触れておきたいと思うのです。

 

とはいえ、今朝の毎日記事は少し色合いが違います。

<明石市に寄せられた意見は?

 2日に兵庫県明石市長を辞職した泉房穂(ふさほ)氏が、道路用地買収で職員に「(立ち退きのため)火をつけて捕まってこい!」と怒鳴った一件。「地上げ屋」のような暴言で発覚時は批判が渦巻いたが、日を追うごとに擁護論が盛り上がった。この現象、どう考えるべきなのか。【宇多川はるか】>

 

ちゃんとグラフにして、批判論が漸増気味であるのに対し、擁護論が急速に延び、4日目にして逆転しているようです。

 

それがどうやら地元紙、神戸新聞の記事が影響しているとか。

<地元紙の神戸新聞が早い段階で当時のやり取りを詳報したこともあり、流れが変わる。同紙は「あっこの角で人が巻き込まれ死んだわけでしょ。だから拡幅するんでしょ」「難しければ私が行って土下座でもしますわ」など、罵倒に続いて交通事故防止を力説する泉氏の言葉を紹介。>

 

ちょうど偶然、伊兼源太郎氏の著作『事故調』を読んでいる最中で、これは明石市人工砂浜陥没死事件を題材に明石市長を含む市職員の陰湿な体質?と地元神戸新聞の立ち位置などを背景に、変わり種の主人公の内心を通してプロットが進んでいくのです(まだ読み始めたばかりでどう進展するかは?)。ひどい公務員内でのパワハラなどが当たり前のように表現されていて、今回の事件を見ながら、えっこれって明石市の体質?なんて驚きの感覚で、思ってしまいました。まあ、事件は2000年に発生し、小説は14年に刊行されたものですが。

 

ところで、記事では、弁護士の見解をわざわざ紹介しています。

<ハラスメント訴訟を多数手がける笹山尚人弁護士は「訴訟で加害者側は『業績が厳しい中で叱咤(しった)激励した』などと弁明するが、正しい目的でも相手の人格を否定し、傷つければハラスメントだ。どんな理由であれ行為自体が人格権侵害かが法的に判断される」と指摘する。>

 

また、<パワハラ対策のコンサルタント・・・>の意見として<「交通死亡事故の抑止」という正当な理由があっても、パワハラが免罪されるわけではない。さらに2人は「政策がいいので頑張れ」「一生懸命やっているからこその発言」など、業績や人物を評価して暴言に目をつぶる擁護論を問題視している。>としています。

 

私もこれらの見解に異を述べるつもりはありません。

 

ただ、交通事故抑止の正当理由と前置きすることには少し躊躇を覚えます。だいたい交通事故の原因が道路狭小であったとか、角で見通しが悪いとか、と断定できるのでしょうかね。むろん法的には道路の欠陥ということが事故の原因であれば、死亡者の遺族から国家賠償責任を負わないといけないのは市になりますね。まあそういうことではなく、そういう理由で事故が多発するおそれがある、その結果として死亡事故が発生した、だから拡幅工事は喫緊の課題だった、それを促進させたのだから正当理由ありといった論法でしょうか。

 

しかし、交通事故原因が道路の狭小、角など道路形状によるとしても、解決策は必ずしも道路拡幅しかないとはいえないように思います。まだ状況がわからないので、ここはあいまいにならざるを得ませんが、交通施策はハードでも多様な手法があります。拡幅だけが唯一の手段ではないでしょう。また、仮にそうだとしても、さまざまな交通誘導策で危険を回避する措置は可能です。少なくとも暴言を許容するような正当理由は、私には今のところ考えがたいのです。

 

だいたい運転者も狭隘道路であれば利用を回避したり、渋滞があれば我慢するのがマナーでしょう。より安全に配慮して慎重な運転が求められるのです。無理な運転をすることが問題ではないかと思います。ちょっと事情が分からないのに、ここまでいえるかは留保付きですが、私は暴言を容認できるほど、交通事故対策としても拡幅工事、その前提の用地取得の緊急性を認めることに疑問を感じています。公共サービスを担う公務員の首長として、本来模範的な言動が求められるはずです。脅し文句で人を動かすのでは、公共サービスは一向に公共性を身につけることができないように思うのです。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


歯は大事、さてどうする <歯と健康 食べる楽しみ、歯科医が支援>を読みながら

2019-02-03 | 医療・介護・後見

190203 歯は大事、さてどうする <歯と健康 食べる楽しみ、歯科医が支援>を読みながら

 

以前、横須賀に居住していたころ、終末期を自宅で過ごす活動に取り組む団体に参加していましたが、内科医や看護師はもちろん、歯科医の方も参加していました。当時、歯の重要性も分かってなく、歯科医の役割も分かっていなかったので、若干、どんな役割を担っているのかなと思いつつ、その歯科医の方が熱心なので結構刺激を受けました。

 

今朝の毎日記事<セカンドステージ歯と健康 食べる楽しみ、歯科医が支援>は、その当たりのさわりを紹介しています。

 

斎藤義彦記者は冒頭、<かみ、食べ、飲み込むという口腔(こうくう)機能が衰えがちな高齢者の支援に歯科医が取り組んでいる。口腔機能が低下すると栄養不足や肺炎など全身の病気に結びつくためだ。歯科スタッフが口腔機能の維持・向上を試みる現場を訪ねた。>との書き出しで、その多彩なチームプレイを取り上げています。

 

私自身、これまで特養とか老人ホーム、老健とかを訪ねる中で、口腔ケアの必要性とか、歯科衛生士の定期的なケアとかを聞かされてきましたが、一度も直接その場面を経験したことがないので、実際のところはよく分かっていません。斎藤記者は現場報告とまでいきませんが、概要がわかるように記事にしています。

 

高齢者の場合、誤嚥性肺炎の危険があり、その結果死に至る重篤状態になることはよく聞きますが、そのメカニズムをしっかり理解しているわけではないので、改めてこの記事を記憶しておきたいと思うのです。

 

<「食べられなくなった人はケア態勢の整わない施設や在宅で放置されている。>と<日本歯科大口腔リハビリテーション多摩クリニックの菊谷武院長>は指摘して、再び食べられるように<訪問歯科モデルを広げたい>と話しています。

 

私は日本の多くの高齢者が置かれた状態は食べられなくなったら、ゼリー状の食事を提供してもらい、ますます全身が弱り、誤嚥性肺炎の危機の淵に追いやられていないか、気になっています。

 

菊谷院長の活動は是非とも広げてもらいたいものです。それではその活動の一端を取り上げます。

<菊谷院長は高齢者や障害者の食の支援を目的に「口腔機能」のリハビリテーション専門クリニックを2012年に開設。75歳以上の高齢者を中心に月延べ150人を訪問診療する。歯科で先進的な取り組みだ。>

 

その取り組み概要は<歯の治療や食べること(摂食)、飲み込むこと(嚥下)の検査にとどまらず、言語聴覚士、管理栄養士ら多職種チームで、何をどのような形で食べるべきか、実現可能な提案を行う。重度の患者には食べる能力を維持させる。>とのこと。

 

で、具体的な例として終末期で自宅に戻った患者さん対応が紹介されています。

<女性は昨年10月、入院先で治療が難しいとされ、看取(みと)りも視野に自宅に戻った。長女の介護で徐々に少量を食べられるようになったが、1月下旬、むせて熱も出てきた。女性が飲んでいる高カロリー栄養剤を菊谷院長がチェック。「とろみが足りない」ととろみ剤で粘度を上げるよう指示、一緒に作って指導した。>と、まさに訪問歯科医でないと難しいでしょうね。

 

また、老人ホームで寝たきりの女性の例も。

<院長はある老人ホームの寝たきりの女性(81)を訪ねた。高カロリーの点滴で栄養を確保し、口からほとんど食べていない。本当は少量のゼリーから始めて徐々に食べられる可能性もあるが、ホーム職員は「現場だけで対応するのは難しい」と難色を示す。院長は今の職場の態勢でもできるよう「棒付きのあめ玉から食べさせて」と職員に提案した。>。施設では個々の利用者の状態に応じた対応が職員数の不足で難しいでしょうけど、均一に取り扱うことでは適切な介護サービスができなくなるおそれがありますね。

 

以上とは異なり、<国で開発され藤田医科大が翻訳、アレンジした><「口腔アセスメント(OHAT)>も紹介されています。

<唇、舌、唾液など8項目について「健全」や「病的」など3段階で簡単に写真で判定、採点できる。このホームで15年に導入したころは6~7点の人も多かったが、徐々に下がり、今は平均点は1点台だ。歯や口がケアされ適切に食べると、口の中の細菌や飲食物が気管から肺に入って起きる誤嚥性肺炎を減らせる。OHATの点数が低くなると同時にホームからの肺炎による入院は半減した。>たしかに唇、舌、唾液といった個々の器官について個別にチェックすることで、客観的な指標になりますし、普段の介護の中で、漫然と口腔機能の善し悪しを見るのではなく、客観的かつ持続的なフォローアップができそうです。

 

その他<普段の食事の様子を観察し、何をどう食べるのが最適かを探る「ミールラウンド」>という観察方法も紹介されています。

ここでは<お昼時。食事する入居者の周囲に歯科医師、歯科衛生士、看護師、管理栄養士、介護士ら10人以上が集まる。>そして<食事に約40分かかり、体重が減ってきた女性(88)の首に特殊な集音器を付け、飲み込み音を全員で聴く。>

 

そして<日本歯科大の佐々木力丸・歯科医師が車いすのリクライニングを15度ほど倒すと飲み込みが早くなった。重度の認知症で周囲の物を何でも食べてしまう男性(78)は、誤嚥性肺炎を繰り返している。異物を食べないよう男性にはガムをかんでもらっている。>というのですが、これはミールラウンドとどう関係するのかぴんときませんでした。さまざまな専門家が合同して集音器の音を聞きながら、飲み込みを確認し、現状を相互に理解して、今後の対応を考えることは一つの方策として合理性があると思うのですが、リクライニングやガムを噛むことしたことが、この成果と言えるのか判然としませんが、まあ、みんなで見れば気づくことも多いでしょうね。

 

 

読みながら書いたので、分かったようなそうでないような・・・まあ、できれば自分で食事できなくなったら、死の作法を考えたいと思いたいのですが、それまでは口腔機能をできるだけ維持できるよう、しっかり対応したいと思うのです。また介護を受ける方には、口腔機能の維持・改善についてどのような配慮がなされているか、注意を払いたいと思うのです。

 

おしまい。


AIと銀行の現在 <大手銀 システムも売れ 手書き伝票AI解読、貸出先財務分析>を読みながら

2019-02-03 | AI IT IoT

190203 AIと銀行の現在 <大手銀 システムも売れ 手書き伝票AI解読、貸出先財務分析>を読みながら

 

AIの認識力・分析力は、少し以前にNHKAI超入門?でしたか、その番組で、すでに相当な領域に達していると知りつつ、なかなか私たちの実生活に役立つところまで実感することが少ないと思うこともよくあります。

 

たとえば、スキャナーとOCRは、私が90年代後半利用し始めたのですが、たしかに印字されたものは相当進化したと思うのですが、手書きとなるとまったくダメという印象です。まあ、私の悪筆は私自身が時折、難渋するくらいですから、それは例外としても、事務系の人が手書きしたものなんかはとても整った文字になっていますが、これでも再現力は確率性が実用的でない印象です。

 

とはいえAIの進化を遅れて認識している私のような、田舎のおっさんが現状を理解しているはずもないので、今朝の毎日記事<大手銀システムも売れ 手書き伝票AI解読、貸出先財務分析>は興味を持ちました。

 

まず<大手銀行が自社で開発したシステムを、地銀に販売する動きが広がっている。ITを使った新サービスの開発競争が激化する中、早期にシステム開発コストを回収したい大手行と、自前の開発力に乏しい地銀との利害が一致した。従来の親密行の枠組みを超えた大手行間の勢力争いが激しくなりそうだ。【古屋敷尚子】>

 

都銀は、これまで合併の連続で、私自身、元の名前がどうだったか、現在の名前がどうだか、時折判然としなくなることがあります。その合併の要因の一つは、ビッグデータ活用の構築とか、AIシステム開発など多額の投資を必要とするところ、資本力のある都銀でも世界的に太刀打ちできないのでしょうね。

 

その都銀(記事では大手銀行と呼んでいますので、都銀という名前はもう使わないのでしょうかね)について、これまでの都銀系列を越える2つの動きが紹介されています。

 

一つは<みずほフィナンシャルグループ(FG)は1月30日、手書きの口座引き落とし書類を自動で読み取る人工知能(AI)システムを、来年度から地銀に販売すると発表した。読みにくい文字でも、崩し方のパターンや文脈から類推し、正確に電子データ化できる。>です。

 

たしかにNHKの超AI入門では膨大なマンガコンテンツ・データを瞬時に解析し、瞬時に一定の価値基準で多様な表現を示すことができる超能力?が証明されていましたので、手書きのくせなどAIの認識力なら簡単かもしれません。

 

<これまでは電気料金やクレジットカードなどで手書き書類の形式が異なるため自動化が難しく、行員が手入力していた。作業時間や人員を大幅に削減できるという。>

 

それは相当な費用カットになるでしょうね。また筆跡鑑定も、以前は警察の鑑識課のプロが経験を生かしてその筆跡の特徴を分析していましたが、科学的には今ひとつ説得力がない場合もあったかと思います。その意味ではこういう分野もAIの活躍場面かもしれません。

 

ただ大手銀行の新システムとしてはちょっと軽い印象です。それだけこれまで手書き書類を必須化していることで、その電子化に多大な時間とコストがかかっていたということですか。手書きが必須かどうかも、今後検討されるかもしれません。電子取引が当たり前になれば、これも暫定的な取扱の便宜にすぎないかもしれません。

 

といって現在の若者世代は別にして、450代以上は結構手書きにこだわるかもしれませんね。その間はすべての電子取引化は無理でしょうね。他方で、ペン入力が代替手段としてより高性能化、普及するのかもしれません。私が最初に使い出したのは20年近く前だったように思いますが、その後なんどか挑戦しましたが、これも結構認識力が伸びません。そうですね、音声入力の方がかなりの精度になってきた感があり、これが暫定的な代替手段かもしれません。この話はこれで終わります。

 

で、もう一つの、財務状況分析は興味深いですね。

<三井住友銀行は来年度から、預金口座の入出金をAIで分析し、貸出先の財務状況の悪化や改善の変化を捉えるシステムを地銀に販売する。既に10行の導入が決まっており、事業会社への販売も視野に入れる。>

 

預金口座の入出金だけで、財務状況の悪化・改善の変化を捉えることができるとしたら、それこそ願ったり叶ったりですね。でもそんなことがどの程度有効なものか気になります。たしかにビッグデータで、預金の入出金状況と、過去の倒産例とかについては、ビッグデータ化して、その傾向を解析できるような気もしますが、預金の入出金は企業にとって重要な資金繰りの動きではあるものの、資金ショートの可能性は見えても、確実性の点ではどうでしょう。たいてい取引先銀行はいくつかかかえているでしょうし、競合銀行はお互い情報をださないでしょうから、不完全な情報になりませんかね。まあ、そういう偏見はおいておいて、どのような財務分析を行うのか、チャンスがあれば見てみたいものです。

 

だいたい商工中金やスルガ銀行の事例も含め、銀行の貸付審査・管理は、改めて見直しが必要なところが少なくないかもしれません。この件はここでおしまい。


豊かな生活?ゴミの山? <マイクロプラスチック 微細、河川も汚染>などを読みがら

2019-02-03 | 廃棄物の考え方

190203 豊かな生活?ゴミの山? <マイクロプラスチック 微細、河川も汚染>などを読みがら

 

最近少し賑やかです。ツグミの集団が毎日のようにやってきます。今日は日曜日なので少しその様子を眺めていました。集団を構成しているのは230羽くらいでしょうか。ツグミの他にいつものヒヨドリが一回り大きい姿をときに現れますが、さすがに量に圧倒されてかすぐに飛び立ちます。ツグミたちは杉木立の中でひなたぼっこをしたり、法地斜面の凍結した白色から薄茶、ときに少し緑がかかった雑草の中に嘴を差し込み、虫を捕っているようです。のどかな日和です。といっても外は5度くらいでしょうか、そよ風のせいか日が差し込むと少し暖かさを感じますが、やはり寒いですね。ツグミを含む野鳥はこの程度は平気ですね。

 

この付近にも小河川がながれていますし、柿畑にくわえて、野草、雑草が生い茂るところが一杯です。でも整った自然を感じさせてくれます。それこそ維新前後に来日した西欧人が驚いた日本の原風景を若干、思い描くことができましょうか。

 

ところで、今朝の毎日記事、いくつか関心のある内容でしたので、仕事をする代わり?少しブログを多めに書いてみようかと思います。まず第一がプラゴミ問題にします。

 

二つの記事で、一つは①<マイクロプラスチック微細、河川も汚染 日本近海流出 1立方メートル2.53個 東京理大調査>、もう一つは②<プラスチック危機川のごみ、対策急務 ポリ袋、注射器など散乱 脱使い捨て、家庭から>です。

 

マイクロプラスチック問題は、これまでもブログで取り上げてきましたが、海洋汚染が中心でした。でもその発生源はむろん陸上です。といっても海辺でプラゴミを投棄したり、あるいは海洋投棄するといったことは全体の割合からするとごく一部ではないでしょうか。すると陸上起因の場合海に面しているかどうかも関係しますが、基本は全世界が潜在的に対象となりそうです。わが国は遅くとも60年代後半、とくに70年代にかけてのゴミ戦争や、90年代のプラゴミ(廃プラを含む)のリサイクル対策の促進を通じて、プラスチック排臭対策が相当進んだと、だれもが思っているのではないでしょうか。他方で、途上国は中国の一昨年までの先進国からのその輸入・処理など問題行動があり、その他の途上国ではもっと深刻ではないかと思ったりしていませんか。

 

でも問題の本質を理解していなかったようです。マイクロプラスチックは、工場系はもちろん家庭の中からも、国策として各地で普及した公共下水道や、各種の代替施設を通じて数え切れない河川に排出していることがわかりました。

 

上記の①記事では、<日本近海を漂う微細なマイクロプラスチック(MP)の汚染源が、中国や韓国などアジア諸国から漂着したプラスチックごみだけでなく、国内の河川からのごみも影響しているとの調査結果を東京理科大の二瓶泰雄教授(河川工学)らのグループがまとめた。日本近海はMP密度が世界平均より高い「ホットスポット」といわれており>とその一端を示しています。

 

上記の東京理科大調査結果では、<調査は2015~18年、中部、近畿地方を除く北海道から沖縄までの全国29河川のMP密度を調べた。>ということで、基本的な特徴として<平均すると1立方メートル当たり2・53個で、日本近海の平均3・74個に近かった。>として河川寄与度を推定しています。また<最大値は千葉県の大堀川の13・6個。利根川は8・7個、埼玉県の荒川では4・6個を検出した。>というのです。

 

ここまではそうかと思いつつ、最期の結論というか推論については若干首をかしげました。まず、<レジ袋や発泡スチロールの容器などが原因とみられる。>というのですが、たしかに私が昨日歩いた和歌川でも両方とも目につきました。目立ちますね。でもMPは本来目に見えない物質ですね。目につくと言うこととMPの原因と決めつけるのはどうかと思うのです。その点は、最近のレジ袋やストロー問題も少し一つの製品をだけとりあげて魔女狩り?しているような印象を感じています。それでよいと思う、それ以外はOKという風潮を生みませんかね。

 

つぎの上記最大値の河川から、<人口密度や市街地率が高い地点ほどMPの密度が高く、都市部での汚染が深刻だった。>というのですが、柏市を流れる大堀川がそれに当てはまる?と不思議です。柏市や松戸市周辺は、流域下水道が昔整備されておらす、江戸川など周辺河川の汚濁がひどかった(30年くらい前の話)ですが、その後においても、少なくとも上記の視点が当てはまるか疑問です。利根川や荒川もそうですね。鶴見川はたしかに市街地化が著しいことは確かですが、それでも全体の河川の中で特別という印象はもちにくいですね。原因は別のところというか、もう少し調査分析が必要ではないかと思うのです。

 

他方で、二瓶氏が指摘する<「例えばバケツや洗濯ばさみなどのプラスチック製品を長時間屋外に置いていても劣化してMPとなり、空気中を漂って河川の汚染につながる場合もある」と注意を呼びかける。>という点は、ほとんどの人は意識していないと思いますので、そこは注目しておきたいと思います。

 

プラスチック製品の使用に慣れ親しんだ人なら、だれもが太陽光などで劣化し変形したり、壊れやすくなることは知っていますね。でも屋外で劣化の結果MPとなって空気中に浮遊することはあまり知られていないと思います。それこそこの問題こそ、啓蒙するための努力が必要ではないかと思うのです。

 

容器包装リサイクル法などにより、一定のプラスチック製品はリサイクルという処理工程で再び再利用されると、勝手な思い込みで、どんどんプラスチック製品を買い求め利用し続けているのではないかと思います。私自身がいつの間にかそういう非難されるべき立場に立っていることに愕然とします。リサイクル法ができるまでは、プラスチック製品をできるだけ利用しないようにしていたつもりが、いつの間にか無意識にリサイクルされていると思い込み、便利で安く軽いという三拍子そろったものですから、ついつい選んでしまうというか、買い換えてしまう傾向を作ってしまったのかもしれません。

 

レジ袋を使わなければよい、ストローを再生可能なものにすればよいとか、そこにだけ注目して、プラスチック製品全体の使用に見直しを感じないところに、大きな落とし穴を感じています。

 

ところで、荒川は以前、私がカヌーツーリングしていた拠点ですが、2の記事では<荒川河川敷でNPO法人「荒川クリーンエイド・フォーラム」(東京都江戸川区)などが実施したごみ拾い>というように、割合、昔ならNGO,現在はNPOが活発に環境保全活動をしています。

 

梅田啓祐記者はこのゴミ拾いに同行し取材記事を披露しています。<高さ2メートル以上に成長したヨシの茂みをかき分けると、ペットボトルや食品のポリ袋などのプラごみが散乱していた。約100人の参加者が人海戦術で回収するが、次から次へとポリ袋やカップ麺の包装容器が出てくる。発泡スチロール容器は、手でつかむとぐずぐずと細かく崩れ、破片が風に舞った。これがMPになる。>まだ荒川にはヨシ原が結構残っていて、野鳥も多いのですが、その中にMPが散在しているようです。注射器もでてきましたね。

 

家庭からのMP排出は相当な量になるでしょう。その意味で、家庭からの排出対策をすることがこれからの賢い?生活者というか、未来を考えた生活者と言えるのかもしれません。

 

梅田記者は高知でその取り組みをしている翻訳家の服部氏を紹介しています。

<服部家では、コーヒー豆や裏山で摘んだ野草、自家製のパンをガラス製の容器に入れて保存している。基本的にペットボトル飲料は買わずにステンレス製の水筒を携帯する。雄一郎さんが使う歯ブラシは竹製。使えなくなったら庭のコンポスター(生ごみ処理機)に入れ堆肥(たいひ)に。麻子さんは水だけで簡単に汚れが落ちるメラミンスポンジを「便利だが、食器をこするたびにポロポロとかけらが流れている」と使わない。「こうした取り組みだけでもプラごみは減らせる」と雄一郎さん。ごみの量は月間2リットルしかない。>

 

これには私は白旗を揚げてしまいました。以前は夜遅くまで飲んでいたりして、歯みがきをしないことも普通だった(極めて不衛生!)のですが、最近は食後に必ず歯ブラシをしっかり使うようになりました。歯ブラシも頻繁に取り換えるようになりました。しかし服部氏の指摘するように、まさに歯ブラシは問題のプラスチックですね。毎回磨いているうちに、摩耗して、見えないMPが歯や口の中の汚れと一緒に排水溝へ、そして公共下水道を流れ、最終処分場を経て河川に排出されていますね。スポンジもそうなんですね。いやいやプラスチック問題に長く(最近は遠ざかっていますが)関わってきたのにまったく理解していないことが分かりました。

 

ゴミとして排出されたプラスチックの中継地点などでは、これを圧縮して固めて外に積んだり、倉庫内に置いておく場合でも外気を遮断していないのが普通ですから(相当異臭が出ることも関係するでしょう)、MPはいつも空中を浮遊し、中には吸着性のあるものと塊になって、どこかに滞留したり、落下したりして、なんらかの環境汚染ないし健康被害の要因になる可能性も考えてよいかもしれません。以前は包装物の内容物や吸着したものによる環境汚染を考えていましたが、MPの存在は脅威です。

 

今朝の毎日記事では、多種類化学物質過敏症といった大気汚染物質による影響までも視野に入っていませんですが、今後はそういった視点も検討してみる必要を感じています。

 

この件は、今後も検討課題です。私の生活スタイルもどう変えうるかもですが。