171205 花と禅その7 自分を振り返り<あるがままの姿をとらえ>と<たゆまずやることをやる>
美しいストライドが張り詰めた空気をきって伸びやかに進む、まさに二人の女性アスリートの姿がなんどもTV画像に映し出されました。
毎日朝刊の記事を引用します。<スピードスケートのワールドカップ(W杯)第3戦最終日は3日、カルガリーで行われ、女子500メートルの小平奈緒(相沢病院)と同1500メートルの高木美帆(日体大助手)が日本新記録で優勝した。>
この試合の前でしたか、高木美帆選手の練習風景をNHKがアップでフォローしているのも垣間見たことがあります。たしか風の抵抗を抑えるため、低い姿勢のままストライドを伸ばす方法に変えたのですが、そのためかえって前方に押し出す力が弱まってスピードが伸びないことで悩んでいたようでした。
見た目ではさっぱりわかりません。でも本人だけがわかる微妙な体の姿勢と風の抵抗の中で、滑らかなスピードに乗るという感覚があるのでしょうか。それこそトップアスリートのみが感じる領域なのでしょう。日々切磋琢磨して自分の心と体、60兆の細胞の隅々までに神経伝達物質が行き渡っているときに到達する心境なのでしょうか。
そういえば私も高木選手が産まれた頃、このカルガリーのリンクのそばを時折通っていました。リンクには経ったことがありませんが、一度くらい滑ってみたいと思ったこともありますが、私のような素人ではとても滑れるようなリンクではなかった記憶です。
私はスポーツならなんでも好きですので、若い頃はスケート、スキーも好んでやっていました。弁護士の仕事で霞ヶ関に出かけるときは、日比谷公園の向かいにある名前を思い出せない、たしか特別街区で容積率譲渡が行われた区画だったと思いますが、そこに冬場小さなスケートリンクが設置されていました。そこで体力の低下を防ぐのと、ビルの谷間でスピード祈って走り回る爽快感を時折味わっていました。中年のおじさんが、若い人に交じって滑っているのですから、通行人から見たらあまり雰囲気のいいものではなかったかもしれませんね。
とはいえ、コーナーで太ももを打ちに入れる感覚は、体全体で緊張感を感じることができ、全身を使ってエネルギーがスケートを押し出し氷の表面に伝わっていく感覚は素人でも気持ちのいいものでした。しかし、高木選手や、小平選手の全身から太もも、ふくらはぎ、スケートにみえる、研ぎ澄まされた修練の結果はほれぼれします。
これこそ、平井住職の「あるがままの姿になりなさい」かなと思ってしまいます。高木選手の話を聞いていると、まさに自分への問いかけ、自分の心と体との対話の中で、より高き目標を突き進む姿がとても美しいですね。
この点、平井住職は、このように述べています。
「相手にこだわるのではなく、自分にこだわることに徹した、といってもいいでしょう。そうして、こだわりを持って自分を見続けることによって、あるがままにそうある姿、すなわち、自然の自分に近づいていったのではないか、という気がするのです。」
高木選手をはじめ多くのアスリートは目標に向かってこだわりをもっています。しかし、そのこだわりは、執着とはちがう別物ではないかと思うのです。
平井住職の言葉をまた引用します。
「力強い透徹したまなざしで、自分の生き方を、心の在り様を見続けていく。それがほんもののこだわりです。」そう、ほんもののこだわり、それが自然(じねん)なんでしょう。
ところで、平井住職は、「あるがままの姿」を別の表現で、「人は、何もしないで『咲く』ということはありません」とも述べています。
イチロー選手がバッターボックスに向かうときの一連の決まり決まった特異な動きを照会しながら、そのひたむきの努力を取り上げ、「たゆまず、やることをやってこそ、花は咲くのです。」と断言されます。
むろん平井住職も、イチロー選手の見えないところでのひたむきの努力は、このTV画面に映るわずかな動作の数十倍、数百倍の規律を持った練習なり日常的鍛錬を踏まえてのことをも承知の上で取り上げているのでしょう。
そして自分はできないとか、評価されないとか、入試は不合格、就職は不採用とか、会社が倒産、賃金が引き下げられたとか、いろいろな不満、苦情を他人に向けることがありますが、平井住職の言葉をも少し心の中で暖めてはどうかと思うのです。
「嘆く前に「何もやっていない」自分を認めましょう。」人は無から生まれ、何かをして少しずつ成長し続け、日野原重明氏ではないですが、死ぬまでなにかを求めし続けることこそ、自分の花が咲いてくれるのではないでしょうか。
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