190404 誠実さとは <馬酔木の花言葉>と<津村記久子さんの読書日記>
アセビの花を見ても、特段の感慨がわいてくるほどの感受性をもちあわせていない身にとっては花言葉を知ってもぴんときません。
事務所の中にはいろいろな花が飾っていますが、たいていは二週間ないし四週間程度のおつきあいです。結構数が多いといった理由などで、その違いを感じる前にいなくなります。無骨者との批判は甘んじてうけます。それでブログのテーマを考えてもろくなものが浮かばないこのごろですので、短いおつきあいの花を紹介していこうかと思うようになりました。
今日はアセビです。花言葉は<アセビ(馬酔木)の花言葉と育て方は?>によれば
<アセビの英名は「Japanese Andromeda(ジャパニーズ・アンドロメダ)」です。アンドロメダとは、ギリシャ神話に登場するエチオピアの王女。>とのこと、えっ星空に大きく広がる女神とは知りませんでした。
ギリシア神話ではペルセウスが海神から王女を救い結婚するのでしたか。
<神々の怒りをかって岩にはりつけられていたところを英雄ペルセウスに救われた人物です。>映画では美しい王女と二枚目の英雄が登場しますか。
で、<このペルセウスとアンドロメダのエピソードに由来して、「犠牲」「献身」という花言葉がつけられました>
「犠牲」というのはアンドロメダのことでしょうか、ポセイドンの脅威に自ら生贄になって張り付けにされたのでしたか。「献身」というのはペルセウスの王女に対する愛情を自らの死を賭して海神ポセイドンに向かっていくのですから、そういってもいいのかもしれません。まあ、ストーリーは、昔々読んだものをなんとなく記憶している程度ですので曖昧ですけど。
アセビというとそれを食べた馬が酔っ払ったといった話を聞いた記憶がある程度で、とてもそういった美しい男女の愛を示すような話とはかけ離れていますね。
ところが、<「禁断の恋」を彩る和歌たち 古墳~奈良時代編>では、次のような万洋酒の歌を紹介しています。
磯の上に 生ふる馬酔木(あしび)を 手折らめど 見すべき君が 在りと言はなくに
大伯皇女
<大伯皇女の弟大津皇子は謀反の疑いで処刑されてしまいました。
大津皇子は処刑の前に、大伯皇女のいた伊勢に立ち寄るなど、とても仲の良い姉弟でした。
大津皇子死後、大伯皇女がうたった和歌です。馬酔木を折ってみたけれど、見せるべきあなたがいない―
大伯皇女は弟への哀傷を胸に抱いたまま、独身を貫き亡くなりました。>
大伯皇女(おおくのこうじょ)と大津皇子は、天武天皇と最初の妻である大田皇女(皇后にはなっていませんね)の間に生まれた姉弟ですね。大田皇女が早くなくなり、その妹が天武の妻・皇后、後の持統天皇となったわけです。天武天皇の跡継ぎにはその子、草壁皇子をとの強い思いが仲のよい姉弟に不幸な結果を招いたのでしょうか。
大伯皇女は、伊勢で斎宮となったのも、天武天皇の意思というより皇后の意思であったかもしれません。
それにしても同母の姉弟が愛情を抱いていたのだとすると、大伯皇女も叶わぬ恋と思い、斎宮になることを承知したのかもしれません。たしか母の父にあたる天智天皇も同母妹への愛情を隠さなかったとか。当時、恋愛は自由であったらしいですが、同母の場合は禁忌でしたか。でもそれだけ純粋に愛情抱きあっていたのかもしれません。
そんな大伯皇女がアセビを手にとって、弟への愛の歌をうたうのは、それだけアセビには誠実さのようなものが感じられたのかもしれません。
そういえば透き通ったように見えるアセビを見ていると、純粋さとか、誠実さとかをふと感じてしまいました。
ところで、津村記久子氏が昨夕の毎日記事で(ウェブにアップされていないので簡潔に紹介します)、メイ・サートン著『独り居の日記』を紹介して、「生活を語る人」の誠実さを感じて、「本書に救われる人はたくさんいるだろう。」とか、「実は独身者の必携の書だと思う。」とか語っています。その内容のいいところを引用していますが、少し長いのでタイピングが面倒なこともあり、カットします。
いつか読んで見たくなりました。今日はこれにておしまい。また明日。(ウェブ情報を見たら、どうやら契約をしているようです、いつ?かは覚えていませんが)
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