181026 仏作って魂入れず <社外取締役 複数9割超 「リーマン」後、経営透明化>を読みながら
今日はなにかと忙しく過ごし、いつの間にか業務時間を過ぎています。疲れもあってブログを簡潔に済ましたいと思います。
今朝の毎日記事<社外取締役複数9割超 「リーマン」後、経営透明化 東証1部>では、取締役会における経営統制の強化・透明化を図る動きを取り上げています。
要は、社外取締役の複数選任がその対策とされています。きっかけはリーマンショックです。
<上場企業の09年3月期の決算は、金融危機に伴う世界同時不況で総崩れの様相を呈した。これを契機に、安定した収益を持続する上で経営体制の一段の強化が求められ、「取締役会の実効性への関心が高まった」>
安定した収益の持続性が経営体制強化の方向性であり、取締役会の実効性が目指されたのです。
さらにこの問題対応を社外取締役に絞ったような形になったのは次のような動きでしょうか。
<経済団体などが企業統治の改善を相次いで提言し、政府は13年の成長戦略に社外取締役の導入促進を盛り込んだ。東証は15年、上場企業の行動指針「コーポレートガバナンス・コード(企業統治原則)」の適用を開始。社外取締役の複数選任の基準を定め、企業側も対応を急いだ。>
長い間会社法上の取締役会が機能不全というか、法律が要求する経営コントロール機能を果たしていないことが問題にされてきたのに、ようやく光が当たったかのような状況になったのでしょう。
従前、取締役と言えば、その会社で長年従事し、成績を残した、あるいはトップに認められたように、従業員から選ばれてきた人がほとんどでした。株式持ち合いとか融資先金融機関から派遣されたといった場合は例外であったと思います。
かりに社外取締役がいてもいなくても、ほとんどが社内出身取締役ですので、どちらかというと経営問題を討議する場にはなっていなかったのではないかと思います。それではどこで議論するかというと、経営会議とか、取締役会の上に主要人物だけの会議体があり、そこで実質的な討議が行われ、取締役会はその結論を会社法上の体裁を整えるような実態が結構多かったのではないかと思います。それは私が上場企業の会社を研究する活動をしていた80年代から90年代初頭のころでしたが、その後もそれほど大きな変化があったのかなと思っていました。
90年代の後半ころからくらいでしたか、コーポレートガバナンスとか複数社外取締役制とか、話題になっていたような記憶ですが、実質はどこまで変わったのでしょうか。これを採用し最先端を走り優良企業のトップともいわれていた東芝は、その後の顛末を見ると、いかにずさんな経営体であったか明らかになりました。トップすら、原発事業を含めよく理解しないまま、経営していたのですね。この破綻について、第三者委員会では、取締役会、むろん社外取締役の責任というか、役割もほとんど議論の対象にならなかったように思います。
記事もその点、わきまえていて、<取締役会の意思決定などでこうした機能が十分に確保されていないとの批判もくすぶり、制度設計は道半ばと言える。>そうですね、仏作って魂入れずとなりかねないというか、社外取締役を取り入れただけではほとんど変わらない危険が現在の上場企業にあると思うのです。
社外取締役制度そのものについて厳しい見方として<大和総研の鈴木裕主任研究員は「会社のために身を削って働く意識に欠ける人もいる」と、資質を備えた人材は限られているとの見方を示す。人選の過程や報酬算定基準で不透明な部分もあり、制度を改善する余地は大きいという。>
そのとおりと思いますし、他方で、社外取締役だけの問題ではないと思います。
また、東芝の不正会計の問題が指摘されていますね。これはいくら社外取締役を増やしても解決にはならないと思います。不正会計の温床が現在の企業活動の拡大そのものにあり、それをフォローできる会計対応になっていないように思うのです。
今日ちょっとこの記事を見て適当な意見を述べているので、問題対応になにが決め手になるなんてたいそうな議論はとてもできませんが、企業統治は長い時間をかけて試行錯誤を繰り返しながら、提案、計画、実施、検証、さらに見直しといったありきたりながら、セオリーをしっかりやることがまずは必要でしょうか。
30分程度でまとめ?てみました。今日はこれにておしまい。また明日。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます