たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

特集ワイド 紀行作家・バードが称賛した日本 富国強兵と違う明治 貧しくとも「豊饒」 「相互扶助」根付いていた時代

2018-02-21 | 日本文化 観光 施設 ガイド

180221 バードの魅力 <紀行作家・バードが称賛した日本・・・「相互扶助」根付いていた時代>を読んで

 

今日も手の感触が芳しくないようです。とはいえ昨夕の毎日記事は、私が好きなイザベラ・バードを取りあげていましたので、少し無理して頑張ってみようかと思うのです。

 

その記事<特集ワイド 紀行作家・バードが称賛した日本 富国強兵と違う明治 貧しくとも「豊饒」 「相互扶助」根付いていた時代>は小林祥晃記者が紀行先を訪れるなどして熱い思いで書いたもののように思えます。

 

私もこれまでバードについては何度もこのブログあるいはfbで取りあげてきました。原書初版本の翻訳『完訳 日本奥地紀行』全4巻を含めなかなか全部を読み切れないでいますが、随所に彼女の鋭い洞察やユーモア、差別的取り扱いへの鋭い観察などがちりばめられていて、感心させられています。

 

さて記事ではバードの紀行文が改めて注目されているそうです。

 

<「日本奥地紀行」は、46歳の時、東北と北海道を約3カ月かけて馬や人力車で旅した記録だ。米沢盆地では、豊かな自然や農業の繁栄ぶりを絶賛した。>

 

<積雪は1メートル近いが、白壁の日本家屋の町並みが美しい。バードは道路脇に石造りの水路が設けられたこの集落を気に入り、著作でこう表現した。<低い山並みの麓(ふもと)に金山は夢に誘われるような感じで広がっていた>と高く評価しています。

 

他方で<バードは、日本の称賛ばかりではなく、山深い地方の生活や文化は「文明開化に程遠い」とリアルに描く。<(宿の部屋の)蚊帳は完全に蚤(のみ)の巣だった><男たちは何も着ていないに等しい><女たちも上半身は裸で、腰から下に身につけているもの[腰巻(こしまき)]も非常に汚く>といった具合だ。>

 

バードの凄さは、殿様が宿泊するような立派な本陣宿もあれば、蚤シラミが縦横に走る、食事もまともに出ない宿とも言えないようなところでも、それを受け入れ丁寧な観察を続けるところでしょうか。むろんアイヌの集落への道程やそこでの宿泊もとても英国貴婦人が行くようなところではなかったのです。

 

最近注目を浴びていることについて、<なぜ、注目されるのか。バードに関する論文がある文芸評論家、川村湊さんはまず、異文化に飛び込み、見たまま感じたままをつづった体験記としての面白さを挙げる。「女性芸人のイモトアヤコさんが未開の地を体当たりで旅するテレビ番組が人気ですが、バードの著作とつながりがあるように感じます。未知の土地での新鮮な驚きや発見こそ旅の原点。ネット上の観光情報に飽き足りない現代人は、そこに魅力を感じるのでは」>という解説を上げています。おそらく小林記者はそれも否定しないけど、違うと思っているのではないかと推測します。私もそうですから。

 

まず、バードはそもそも日本が平和で安全なところであることを自ら証明しようとして、女性一人(通訳の若い身勝手な男性一人が付きそう)でも、西欧人の誰もが訪れない東北の奥地へ、さらにアイヌの集落へ、訪れるのです。

 

そこはどこも西欧的な文化的・衛生的な生活環境がまったくないところでしたが、それにひるんだり、もうやめたなんて言わないで、頑張り抜くのです。話し相手も、文句を言う相手もいない、助けを求めることもできない中、新天地を目指すのです。通訳とは相性が悪く、まともに一緒に同行できる状況ではなかったと思われますが、他にそんな奥地に連れ添うような通訳は一人もいなかったのでしょう。

 

そのうえ、バードは重い持病をもちときには馬にも乗れないほどの苦痛に耐えながら、あるいは馬も登れないところでは歩いて進みながら、決して旅行をあきらめないのです。

 

バードの生きた19世紀中葉から後半は、ビクトリア時代でイギリス全盛期でしたでしょうが、ジェーン・オースティンが『高慢と偏見』で描いた18世紀末から19世紀初頭と女性の地位はあまり変わらない冷遇された時代であったと思います。それはバードより少し遅れて登場したあのピーターラビットで有名なビアトリクス・ポターも女性の自由な活動が許されない中で、自立の道を童話を書くことにより獲得したのと同じくらい大変だったことを忘れてはいけないと思うのです。

 

でもバードは断固として、一人の女性、一人の人間として、未開の土地を、ある種宣教師的な気持ちで臨んでいたのかもしれません。彼女の視線は客観的に冷静に対象を観察し、しかも背景事情をも考慮しながら、記述しており、その内容は極めて高い価値をもつと思うのです。

 

小林記者は<民俗学者で学習院大学教授の赤坂憲雄>の言葉で、バードの重要性を次のように書いています。

<バードも横浜で<印象的だったのは浮浪者が一人もおらず(中略)みな自分の仕事をもっていること>と書いている。>とか、バードは<子供の顔も、大人の顔も、すべての顔が穏やかで、満ち足りた感じがした!>と、人々が貧しくとも笑顔で生きていることにも感銘を受けた。赤坂さんは「当時の社会は、緩やかな相互扶助の仕組みを持つ、安心感のある社会だったのだと思います。乞食もいたのでしょうが、排除するのではなく、食べ物を分け与えるなど、見えないセーフティーネットに守られていた」と見る。>とか。

そして<「長い間、人々の間に根付いていた独自の相互扶助のシステム、それを壊してきたのがこの150年だったのではないでしょうか」>

 

政府が喧伝する<「明治150年」事業を行う内閣府は「明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要」>ということに対する異なる視点をバードが提供しているというのです。<バードが見た「日本の強み」は、日本人が生活の中で培った文化のように思える。>

 

得るものがあれば失うものもある。得たものだけに注目し、その原動力の輝きだけに焦点を当てるのでは、二の舞になってしまうでしょう。その失ったものをしっかりと認識し、今後の私たちのあり方にどう活かすか、が問われているのでしょう。

 

最近バードを読んでいませんので、あいまいな記憶で書きましたが、読むたびに引き込まれてしまいます。また、別の機会に違った視点で考えたいと思います。


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