たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

生死をかけたレース <NHK 世界で最も寒く過酷なレース カナダ・ユーコン700km>を見て

2017-12-16 | 人間力

171216 生死をかけたレース <NHK 世界で最も寒く過酷なレースカナダ・ユーコン700km>を見て

 

このNHKBSグレートレースが好きな番組の一つです。気づけば大抵録画して、後から見ています。どれも素晴らしいの一言。人間の可能性と自然の雄大さ・厳しさを満喫できます。しかもお茶の間で。この年になるともう見るだけですね。一昔前ならもしかしてというきもちも湧くかもわかりませんが。見るだけでエンジョイです。

 

このレースでは基本的には人力のみを頼りにしますが、道具は動力付きを除外するものの、結構多様ですね。むろんカヌーあり、パラグライダーあり、スキーあり、マウンテンバイクありと、それぞれがもつ魅力も味わえます。

 

女性のレースや参加者も強者というか、強靱な精神と忍耐強さ、そしてずば抜けた体力を持っていて、どのレースも素晴らしいです。ただ、強いて言えば、NZのレースではちょっと残念な感じはありました。カヌーをパドリングするのですが、日本人参加者はそれまでのずば抜けた身体能力を発揮しながら、いずれも素人の域をでていないパドルさばきで、ちょっとカヌーを甘く見すぎている印象を受けました。とはいえ、それ以外はすばらしいできで、完走し見事でした。

 

さて、タイトルのレース、そういえば以前にも取り上げています。私自身がユーコンや北極圏に少しこだわりがあるためでしょうか、つい取り上げてしまいますが、他のレースもとても面白いので、今度は取り上げるような見方をしてみます。

 

さてユーコンはなぜ魅力を感じるかですが、やはりカヌーイスト野田知佑さんの影響が大きいでしょう。彼はユーコン川を何度か下っていると思いますが、その津わー体験を著した『ゆらゆらとユーコン』といったタイトルだったと思いますが、とても雄大で、ゆったりした、それでいてグリズリーやサケなどとの触れあいを通じた彼の厳しくも優しいまなざしは魅力溢れるものです。

 

それで20数年前ようやく待望のユーコン川をほんの少し下りました。レンタルのシーカヤックしかなかったので、それで切り立った峡谷を一人でのんびりと下りました。カヤックの楽しみを満喫できる川ですね。

 

ただ、レンタル会社の若い人に連れられて河川敷でカヤックに乗り込もうとしたとき、先住民イヌイットの老人が一人形相を変えてやってきて、なにやら怒鳴り散らし、今にもつかみかかってきそうな勢いでした。訳がわからず言葉もわからず(若い人はすでに当時言葉を失っていたイヌイット語のようでした)、少し当惑しました。しばらくして怒鳴り散らした後、その老人は立ち去りました。レンタル会社の若者にどうしたのか聞くと、どうやらこのユーコン川は自分たちのテリトリーだとして、勝手に入ってくるなといって抗議していたようです。酒を飲んで眼も血走り、ひとりぼっちでした。先住民の少なくない男性は、彼のように酒浸りで、仕事もたとえば猟銃使用を禁止されたりして、病気になっていく人が少なくないようで、何人かの女性イヌイットから聞き取りました。残念な事です。

 

それは20数年前のことで、そのころから先住民にも自分たちの言語教育が始まり、いまはだいぶ違ってきているかもしれません。

 

もう一つ私の体験に触れますと、このユーコン準州の首都ホワイトホースまで、BC州北部西海岸にあるプリンスルパートからたしか泥道を一日1000km走り続け、途中、宿泊先もなく、白夜のような、少し白みがかった夜、車中泊をした記憶があります。道路上ではクマと対面したり、大きな野鳥がいたり、いろいろ遭遇がありました。そしてやっとでてきたパンアメリカンハイウェーはホワイトホースへ一本道でした。

 

ハイウェーというのできちんとした舗装した道路かと思いきや、砂利道で砂埃であまりぱっとしない道路、これはゴールドラッシュ時代にアラスカを目指して一攫千金を狙った人たちが通ったのだから、それらしい雰囲気でいいかと思ってしまいました。

 

ただ、そのハイウェイから遠くを望むと、針葉樹が地平線一杯に広がり、その先に三角形の頂の山がぽつんと浮かび上がる景観は見事でした。

 

そんなユーコンですが、たしか夏場に訪れたので、のんびりした気分しか覚えていません。で、このグレートレースは膨大な流量を誇るユーコン川が凍結した「道」をコースにして、マイナス40度前後の激寒を700kmも走り抜くというのですから、これはもう私などは太刀打ちできるようなものではありません。

 

私はカナダ滞在中、中古車のため時々エンジントラブルに遭遇し、その都度、修理工場で修理してもらっている間、バスで研究所に通っていました。そのバスを待つ時間が脅威なのです。せいぜいマイナス20度から30度、寒風が強いと10度くらい下がります。それでせいぜい対応できるのが私の場合5分か、10分です。なんどか胸を突き刺されたような痛みを感じたことがあります。それまでそのような厳しい寒風にされされた経験を持たなかったためでしょうか。

 

でもこのグレートレースでは、それに近い状態を700kmも続けるのですから、他のグレートレースも厳しいですが、人間の体力の限界という意味では最大レベルではないかと思うのです。ま、私の場合ははじめから降参です。

 

ながながと余談が前置きになりました。さてレース本番に入ります。

 

レースは31名エントリーで、完走できたのは12人。これだけみても厳しさがわかりますね。日本人も一人、柿沢さんという若い方がエントリーしていました。この激寒に耐えるため、冷凍室を借りて訓練までしていましたが、残念ながら凍傷のおそれがあり、途中棄権しました。

 

私はトップ3人の勇者と、2人の女性を取り上げたいと思います。トップはイタリア人の道路清掃を行っている還暦アスリート、エンリコ・ギドニーさん。2番目はエンリコさんと終始トップを争った地元カナダの写真家・デレク・クロウハマクさん(40代?)。そしてイタリア人で弁護士のハノさん。この3者の闘いは壮絶で、それでいてお互い配慮し合いながら、度重なる絶望的な状況を突破して完走しています。

 

ハノさんは、他の二人がマウンテンバイクであるのに、また過去走りでトップを取った人がいない中、ランだけで頑張り続けました。それでも途中で両足のふくらはぎなどがぱんぱんに腫れ上がり、歩ける状態でなかったにもかかわらず、休養を取った後あえて一歩を踏み出しました。

 

その理由は、自らの意思もあるでしょうけど、ワイフに言われてと健気に語る姿がよかったです。日々の練習では、妻に小さい子どもの世話を任して深夜遅くまで行っていた、妻子の思いやりをおもんばかって、ワイフの意見に答えようというのです。そして厳しい寒さの中では、2歳?の娘がようやく発した言葉を自分で発して、勇気を奮い立たせていたというのです。なにかうれしくなる話しです。人の心が自然の厳しさの中でも、あるいは社会の厳しさの中でも耐えうる、支えになるのが何かを示してくれているようにも思えます。

 

デレクさんは地元の写真家で、厳しい条件をよく熟知していることや、若さもあり、最後まで表情に余裕があるので、彼が一番になると思っていたら,途中でそれまでの無理がたたって、動けなくなり、途中泊で予想外の長時間睡眠となり、挽回できませんでした。

 

そしてやはり一番驚いたのは還暦選手・エンリコさんです。とりわけ彼は、バイクのチェーンが凍結して動かなくなり、それでもあきらめず、何十キロも先にある中継点を目指すのです。そこまで行くと、自転車部品メーカーに連絡できるというのです。その中継点にそんな部品があるのかと思っていたら、そこから連絡して、待つこと12時間ようやく部品が到着したのです。え、これからトップを目指して走るのと驚きです。でも彼は自信というか、すばらしいエネルギッシュな、不屈の闘志を持っていました。

 

彼の言葉はいくつも心に残るものでした。いま自分が行っている清掃という仕事に満足していない、しかしそのマイナスエネルギーやストレスがかえってこのレースで集中してプラスのエネルギーになるというのです。ものは考えよう、というどこかで聞いたようなセリフがふと浮かびます。彼のもう一つの言葉、ちょっと失念したのですが、その不屈の精神を支えるような、穏やかな心の中を吐露したような内容でした。

 

さて、最後に二人の女性です。一人はなんと4人の子どもを世話する主婦で、イギリス人のクックロジャスさん(60前でしたか)。年齢的に最後のチャンスとしてこのレースを選んだそうですが、たしか5位くらいではなかったでしょうか。主婦強しです。イギリス人の富裕層の女性は知りませんが、一般の女性は主婦でもパートなどで共働きが多く、とてもしっかりしてるように思うのです。彼女のこの極寒レースに耐えうる体力は並大抵のものではないと思うのです。

 

そして忘れてならないのは、最年少の29歳の女性、地元ガイドをしているジェシーさんです。彼女は、レース開始まもなく、途中で寝袋に入っている男性を見つけ、どうしたのかと声かけるのです。他の選手は先を急いでその脇を通り抜けます。彼女は泰然として、その男性がおなかの具合が悪い、これ以上続けられないというのを聞いて、大会本部に連絡して、レスキュー隊を待つのです。1時間以上でしたか、2時間くらいでしたか。ずっと経って待っているのですから、当然、極寒で体調にもよくないですね。私には到底まねできません。

 

レスキューが来て対応するのを見て、出発した彼女、当然ながら最後尾となりました。その後次第に順位を上げ、完走も遂げ、たしか11位(後ろから2番目?)でしたか。これは立派です。ご両親でしたかゴールで待ち構えていましたね。いい娘さんをもって幸せですね。

 

グレートレース、厳しいですが、人間ドラマもとても興味深いです。

皆さんも機会があったら、たくさんのレースのどれかを楽しんでみてはどうでしょう。むろん見るだけでなく、チャレンジもいいでしょう。


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