たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

景色を見るとは <「ジオ・ジャパン絶景列島を行く」>と<白川義員“天地創造”を撮る><天空の旅人 錦秋列島を飛ぶ>を見て

2018-02-15 | 心のやすらぎ・豊かさ

180215 景色を見るとは <「ジオ・ジャパン絶景列島を行く」>と<白川義員“天地創造”を撮る><天空の旅人 錦秋列島を飛ぶ>を見て

 

昨夜、NHKの<「ジオ・ジャパン絶景列島を行く」第1集「九州・沖縄」>を見ました。和久田さんが一時間のナレーションを通しでやっていました。印象はさらに発展することを期待できる魅力を感じます。

 

ところで、先の列島誕生に続いて、今度は現在の日本列島について、各地域ごと、その絶景ポイントとその成り立ちの地球物理学的な要因を明らかにするものです。

 

撮影された場所は、いずれもプレートテクトニクスの大変動が見られる、また現在も動いている様子を感じることができるところで、興味深いものでした。その成り立ちがフィリピン海プレートに高温部分と低温部分が分かれていて、それが九州と西南諸島とのところで分かれ、前者が火山活動を活発にして、後者は火山活動がなく、珊瑚礁が広がるという大きな違いを見せているとのこと。

 

九州に活火山が多い、しかもカルデラ火山がまるで東北方向に一直線のように並んでいるのも不思議ですが、基本的にはフィリピン海プレートの熱いマグマがその下に沈み込んでいるために、マグマだまりができて、このような現象が起こっているようです。

 

興味深かったのは、フィリピン海プレートが深く沈み込んでいる西南諸島の裏側に当たる東シナ海では、日本列島が大陸から分離する構造と同じ現象が起こっていて、現在西南諸島1200kmのうち1000kmが深く沈み込んでいて、トラフを形成しているという点です。いずれは大陸プレートから離脱するような海溝が生まれるのでしょうか。

 

しかもそのトラフは島原半島近くまで延びていて、その影響はさらに進捗する可能性があるとのこと。その方向をみるとまるで中央構造線帯の東西線に結びつくような印象を抱いてしまいそうです。

 

景色を見るにしても、外形的な形状や美しさだけで満足できる場合もありますが、その成り立ち、要因をしり、それが将来どう変化するかも予想することも、興味が尽きません。

 

ところで、同じく撮影する場合でも、写真家というか、撮影する人の意識、能力などさまざまな条件により、ずいぶんと違う見方をするものだといつも思うのですが、その例として、以前の録画していたのをたまたま先日同時に見たので、この二人を勝手に比較してみたいと思います。

 

一人は白川義員氏、世界的に著名な写真家で、そのスケールの壮大さはいつ見ても桁外れな方だと思うのです。もう一人はまだあまり名前が知られていない(私人が初めて見た)多胡光純氏です。

 

白川氏はすでに高齢ですが、一方の多湖氏はこれからの青年といってよい方です。私が見た<NHK 白川義員“天地創造”を撮る>では、まず最初の舞台として北アメリカ大陸コロラド高原を取りあげ、彼がどのようにして対象に迫り、対象を切り取る視点、時間、方法を密着取材で取りあげていました。

 

コロラド高原はグランドキャニオンで有名ですし、たいていの人はその壮大な太古の眺めに圧倒されます。私もその一人ですが、撮影した写真もどこかにいってしまうほど、おざなりの写真で、私自身愛着もないほどです。体験するだけでも十分かなと思うのです。

 

しかし、白川氏の撮影は、緻密な計算の元、経済的にも多額の費用を投じていることがわかるものです。地上から眺めた風景に満足せず、空撮を試みるのですが、さすがにドアを取り除き、風圧をものともせず、かなり厳しい条件で高齢とはいえ鍛えた体で、一瞬の映像を切り取る姿は見事です。

 

私もチャーターしたセスナ機で、ドアを外してもらってビデオ撮影したりカメラ撮影したりしたことがありますが、その風圧は尋常でなく大変です。まして空高く上がれば、その厳しさはシャッターを切るだけでも大変です。その気体の揺れに対応するのも能力です。若ければともかく、白川氏のプロ意識は、さすがと思いました。

 

白川氏が描きとる自然の造形美は太陽の輝く一瞬でしか捉えられない絶妙の美です。その大地が地球大変動を経て作り出した見事な曲線美や多彩な色彩美、メモをとらなかったので、うまく表現できませんが、言葉で紡ぐことのできない、やはり鑑賞してなんぼの世界でしょうか。

 

これに対し多湖氏は、<NHK 天空の旅人 錦秋列島を飛ぶ>の中で、みずからエンジン付きパラグライダーを操作して、空から錦秋列島を北海道から沖縄まで撮影していく企画を実践していました。

 

これまた風圧の影響が大変なものですし、地上と高い空中だと気象条件は一変しますので、見えていたものが見えなくなったり、見えてなかったものが突然現れたりと、変化に富むものです。

 

で、私は多湖氏のアプローチにとくに感心したのは、地元の人たち、子どもも含めて多様な人たちとの交流を大事にする点です。この点、白川氏はまさに従来型のプロ写真家でしょうか、孤独に向き合い、あまり人との交際をしている印象はありません。

 

多湖氏の場合、紅葉を追って南下する作戦ですから、ちょうど訪れたときに紅葉でないこともあります。たしか下北半島だったと思いますが、まだ緑豊かな世界でした。で、その撮影を辞めて、とある小学校に舞い降りたところ、在学生全員で4名が全部やってきて、楽しい遊び時間となりました。

 

その後十和田湖が紅葉となったということで転戦するわけですが、そこにあのときの小学生から手紙が届くのです。その中に、彼らが撮影した、多湖氏が狙っていた場所の見事な紅葉の写真が送られてきました。

 

こういう景色の見方もあるかな、それもすばらしい景色の鑑賞方法だと納得してしまいました。

 

景色をどうみるか、どうそれに近づくか、どう感じるか、それぞれのやり方があるでしょう。白川氏のように絶対的な景観美というか存在感をつかみ取るのも一つです。多湖氏のように自らの命の危険をかけながらも空撮を続けつつも、各地域の人との交わりを大事にすることでその景色が生まれる人の暮らしを活かすやり方もあるでしょう。

 

私のfb仲間(もう2年くらい離れてしまっていましょうか)に、カヤックで日本一周をした人がいますが、彼は早く一周するのではなく、各地の地元に立ち寄り、その地の人と交流を深めながら続けていました。その写真なり動画がネットでアップされるので、各地にファンも多く生まれたことでしょう。こういう海からの景色も多様でとてもすばらしいものです。

 

そろそろ帰る時間となりました。今日はこれでおしまい。また明日。

 


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