180910 電気依存症? <北海道震度7 全面停電、暮らし打撃>を読みながら
今朝は雨。少し靄っています。幻想的な雰囲気と感じます。雨は嫌という人が少なくないかもしれませんが、結構好きな人もいるのではと思います。イギリス人なんかそうではないでしょうか。あんなもやった空の下でずっと生活しているのですから。そういえばカナダは完走していて雨はあまり降らなかった記憶です。
日本の文芸には雨を題材にしたものがそれなりにあるように思います。そういった芸術的な感覚も才能も持ち合わせていませんが、雨の情景はいいです。今朝も久しぶりにカメラを取り出しカシャカシャと写真を撮りました。でも暗いので、手ぶれしていけません。無精してはだめですね。とりあえず3脚を持ち出したものの、ベランダに出るとぬれそうなので、結局、1脚にしてブレを少し抑える気分で、雨に濡れた里山風景を再び撮りました。
黒い甍と白壁の集落、その周囲にちょうど稲穂が垂れて黄緑色に染まった田んぼ、背後の崖には竹林が家並みを崖崩れから守るかのように囲んでいます。スギとヒノキのいつもは乾いた葉っぱが水に潤んで活き活きした様子に見えます。そうですね沢に生えるコケのように。そのスギとヒノキの背後には広葉樹の林が靄に包まれながらもうっすらと輪郭を示して借景としておつなものです。
こういう情景は、幕末に日本を訪れた多くの西洋人が堪能し、心地よい趣になったと思います。なかには最も幸福な国と評した人もいましたね。その当時の日本は、産業革命や19世紀初頭の電気の実用化の嵐も知らず、まさに近世に開花した里山文化にエネルギーも水も物資も依存していたように思います。それは戦後しばらくまで、田舎では当たり前であったと思います。
しかし、世の中、便利な世界を求め、電気はその先端的なものですから、あらゆる生活・産業の場面で利用されてきました。オール電化住宅といったことも珍しくなくなりました。AIやロボットは工場から生活にまでどんどん普及してとどまるところを知りません。
でも大丈夫でしょうか。電気を生み出す電力源は安全にコントロールできるでしょうか。一時は原子力に大きく傾いていたエネルギー政策に疑問を抱いていたら、福島第一原発事故が起こりました。
私は電気に頼りすぎる社会、電気をいくらでも消費してやまない社会、そして最大限ピーク時消費を必死に支えようとするエネルギーシステム、そのベース電源に一時なりかけた原子力発電に、それぞれ危惧感を抱いていました。
私はもし電気が満足に使えなっても暮らしていける心構えをもっておく必要があると考えていました。ま、できれば電気がなくてもいい生活でしょうか、それが理想かたわごとかは一応おいておいて。そんな気持ちで取り組んだのが自然農でした。電気がなくても、電力を使う機械がなくても、食料を確保できる方法を自分がどの程度できるか試してみました。
川口さんのやり方は私の感覚に合っていました。ただ、私のやり方が未熟で、できあがった米や野菜は子どもたちにはとても食してもらえませんでした。ま、米の中に石が入っていたり、害虫にやられて一部黒ずんでいたので、それも仕方ないことでした。でも味は結構いけていました。わずかの経験で終わりましたが、いつか電力供給に支障をきたすようなときがあっても、一応の心構えというか、対処は可能かなと思わせてもらいました。
その後に福島第一原発事故が発生したときは、計画停電の危機などもあり、これで日本人も少し変わるかなと思いましたが、災難も時の経過とともにそのときの意識は忘れ去られるようです。
いつもながらの長い前口上となりました。
さて9月8日付け毎日記事<クローズアップ2018北海道震度7 全面停電、暮らし打撃 冷水シャワー/現金引き出せず>は、いかに電気が社会の動脈となっているかが分かります。
その記事では停電の影響を表で示していますが、それ以上の影響だったでしょう。
<震度7の地震は300キロ以上離れた地域を含め、北海道全域を停電させた。管内の通電がほぼ全てストップする「ブラックアウト」は日本の電力会社では前例がない。日常生活だけでなく、主要産業の酪農業も深刻な影響を受けた。多くの地域で通電が回復したが、地震初日は道内のほとんどの世帯が電気のない不安な夜を過ごした。空気のように存在しているはずの電気。停電に翻弄(ほんろう)された人々を追った。>として、個々の影響を具体的に取り上げています。
日常生活は電化が進んでいる人ほど、影響が大きかったわけです。
<札幌市の公務員、植松義智さん(33)の自宅は地震の発生から40時間を超えた7日夜になっても、停電が続いていた。オール電化の一戸建て。日没とともに室内が真っ暗になる。テレビを見ることもできず、2日連続で、午後7時に家族で布団にくるまることになった。時折、外から消防車や救急車のサイレンの音が聞こえ、体で感じられる余震もあり、電気に頼り切った生活の危うさが身に染みる時間を過ごしている。>
被災中に軽々しくはいえませんが、電気のない生活を少し経験していたり、聞いていたりすると違うと思うのです。私は30年前、ボルネオの先住民集落で滞在したことがありますが、電気のない生活の一端を経験しました。水は天水です。漆黒の夜を満喫できました。不便ですが、それは別の世界というか、真の世界を知るきっかけになるかもしれません。
物理的には影響がない、地震による損傷がなくても機能しない例はたくさんあったようです。
<少しでも電気を使用していれば、機能しなくなる事例は枚挙にいとまがないほどだ。滑走路が大きく被災していなくても、発券ができない航空便はストップした。ガソリンスタンドは揺れによる被害が全くなくても、ポンプが電動式のため、給油ができない状態が続いた。現金自動受払機(ATM)で現金は下ろせず、クレジットカードや電子マネーも使えない。余震の動向を探るはずの地震計も、停電時に備えた予備の電源が切れると、使用不能という弱点を露呈した。>
TVでも見ましたが、スマホの充電を多くの人が最も求めていることが分かりました。充電して使えるようになった、他との連絡ができるようになったということでしょうか、そのときの笑顔や安堵の様子は、少し驚きでした。
<特に多くの人が困惑したのはスマートフォンの電源。コンビニでは予備の電源が売り切れ、携帯ショップには充電の列もできた。ガソリンの残量を気にしながら自家用車を動かし、シガーソケットでスマートフォンを充電した人もいる。>
私なんかは、しょっちゅう、スマホがどこにあったのか忘れてしまうほどです。最近は少し気にかけるようになりましたが、それでも電話くらいしか使わず、アプリとかネットとしては利用しないので、さほど重視するものと考えていません。
だいたい昔は電話もそれほど通じてなく、手紙での連絡が普通で、災害列島日本において、日本人はそういう生活をしてきたのです。携帯やスマホが身近になったのは20年も経たないように思います。それをいまでは後生大事にする、それなくしては生活がままならないような生き方もどうかと思うのです。こんなことを言うと、総スカンをくらうかもしれませんね。ま、このブログはマイナーで少数しか見ていないので、大目に見てくれると思いますが。
ともかく電力供給をピークに合わして対応しようとしていますが、他方で電力消費に節度というか節制というか、そういう意識を育てる工夫と努力が足りないように思うのです。
私のような考えは、いずれは電力のない地域でしか暮らせなくなるかもしれません。ま、それが本望かもしれません。といいながら、今のところ、事務所ではエアコンを使い、このブログでネット環境を享受し、自動車にも乗りと、言行一致とはとてもいえません。将来のはかない夢になるかも・・・
今日は体調も今ひとつ。少し長くなりました。この辺でおしまい。また明日。
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