たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

養子制度と親子 <最高裁初判断 相続税対策で養子認める>を読んで

2017-02-01 | 家族・親子

170201 養子制度と親子 <最高裁初判断 相続税対策で養子認める>を読んで

 

今朝は再び寒気が戻ってきたみたいですが、アメリカのトランプ乱気流に比べれば、穏やかな分で新鮮な朝を楽しむことができます。

 

さて、見出しの記事を見ながら、親子とか家族というものをちょっと考えてみたいと思います。すると良寛さんの子どもたちと心ゆくまで楽しむ姿を目に浮かべたくなりました。

 

手毬をよめる

 

冬ごもり 春さりくれば 飯乞ふと 草のいほりを 立ち出でて 里にい行けば たまほこの 道のちまたに 子どもらが 今を春べと 手まりつく 一二三四五六七 汝がつけば 我はうたひ あがつけば なはうたひ つきて歌ひて 霞立つ 長き春日を 暮らしつるかも

 

かへしうた

 

霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ今日もくらしつ

 

良寛さんだけが特別だったとも限らないように思うのです。維新時に訪れた異邦人は、日本人の子どもをとても大切に育てる、好きなようにかってをさせる(彼らが行うしつけの厳しさはない)姿に驚きの気持ちをもって多くの人がその様子を描いています。それは母親だけでなく父親も仕事を終えると一緒に遊ぶ姿が描写されています。現代のような家族が隔離された中での長時間労働も、過労も見えません。

 

さて、毎日朝刊記事に戻ってみますと、中身はありふれた節税対策の養子縁組が有効と言った、相続をめぐる相続人間にとっては深刻かもしれませんが、親子の愛情とかとは縁のない問題です。最高裁の判断も、民法の養子縁組制度の趣旨にそって、その意思が双方に有効に成立しているかどうかといった点から合理的に導き出された結論で、もっともだと思います。相続税対策の意思があったからと言って、養子の意思が仮想のものでなければ、民事上の有効性にはなんの支障もないと考えるのが筋ではないかと思います。

 

国税庁は、民法上の養子縁組制度や特別養子縁組制度とは、相続税法や基本通達により、実の子かどうか、その有無によって養子の数を制限する取扱をしていますが、これも相続税制度の趣旨にのっとり、合目的なものではないかと思います。個別具体的には問題のある令もあるかもしれませんが、一般論としては、たとえば相続税節減目的のために、養子を5人も10人も、あるいは何十人もとなると、それはおかしいと考えるのが当然でしょう。相続税制度による所得の再分配として格差是正の有効な措置である以上、基本通達のような限定的な扱いはある程度やむを得ないと思います。

 

で、毎日記事の最高裁判決はこの程度にして、養子縁組制度・特別養子縁組制度について、少し考えてみたいと思います。

 

欧米の映画、とくにアメリカ映画を見ていると、アメリカの養子縁組・里親制度が興味深く感じます。たとえば、他人の生まれたばかりの子や、虐待を受けた子について、養子縁組が行われている、それを仲介するシスターなどが登場する場面が中心テーマの一つであったり、単に男女関係の一コマであったり、自然な形で描写されているのを見ます。

 

たとえば、『噂のモーガン夫妻』(英: Did You Hear About the Morgans?)はサスペンス風コメディ映画です。その中で、別居中の夫婦が殺人場面を目撃し、証人保護プログラムで、プロの殺し屋から逃れるため、片田舎に隠れされるのですが、子どもが欲しかった妻が無断で養子縁組の申込をしていた修道院に断りに連絡を入れたことにより、殺し屋に居場所が発覚され、襲われるというサスペンス劇を展開するのに重要な一場面があります。子どもができない夫婦、その場合にシスター(尼僧)などが養子を斡旋するシステムがあるというのが自然にでています。

 

もう一つは養子縁組の実際のやり方をリアルタッチで描き、その展開が最後まで驚きの展開をする、『愛する人』(原題: Mother and Child)はとても衝撃的です。私自身は、90年代に魅了されたアネット・ベニングがはじめまったく本人と理解できないくらい嫌みでやつれた姿で登場したのに驚きました。それはともかく3つのストーリーが平行して展開して、ショッキングな悲劇的結果の後、最後に映画らしい見事な親子・家族像をラストシーンで終わります。

 

その中で、養子縁組あっせん機関(adoption agency)のスタッフ?として優しそうなシスター(修道院の中のような印象もある)が登場します。この中で複層的にこのあっせんシステムが重要な役割を果たすのですが、その一場面を取り上げたいと思います。若い黒人の夫婦が子どもが授からず、このシステムに加入します。未成年の黒人少女(相手の男性とは別れたようで登場しません)が妊娠していて、このシステムに登録して養親を求めています。売り手市場で、少女が養親希望者を選択するのですが、その選択基準がとても厳しく、それまでの申込を全部却下していました。その風雨も不安ですが、まるで怖い面接官のような態度で少女は夫婦を試します。そして次の段階では夫婦の家を訪れ、家族や友人がどうかを確認します。そうしてようやく養親として承認して、この誕生を迎えます。その後二転三転しますが、それは映画をみていただければと思います。

 

ここでは、一人で育てられない親のため、また、養育環境が十分でない生まれてくる赤子のために(に限らないと思います)、養子縁組あっせん機関が、非常に中立的、一歩退いた形で、あっせんを進めています。もう一つの平行して進むストーリーで、生まれてくる子と、母親とのコンタクトは直接できないように、また、いずれもどこで住みどういう名前かも両者が同意しない限り、分からないようになっています。法制度を確認していませんが、わが国の特別養子縁組制度のように、縁組みした親子のみが親子として認められるように思われます。

 

わが国では、これに似たようなあっせん組織がいろいろあるようですが、特別養子縁組制度も一般の養子縁組制度もあまり活用されていないようです。家制度の名残でしょうか、まだまだ血縁のつながりを重視しているためでしょうか。

 

他方で、子育てを考えないで生んでしまった両親、その結果、見捨てられたり、虐待される子の存在は、一向に減らないようです。また、児童養護施設などでは、両親の愛情を受けないままに生育することになり、その子にとって一時的にはやむを得ないとしても、最適でも、ベターな状態ではないと思います。

 

相続税対策の養子縁組といった議論は、本来のあり方ではないと思っています。これを節税対策や相続上の相続分を増やす目的で、あれこれ指導することより、もっとあるべき姿、制度論を考えてみることが先決ではないでしょうか。

 

今日は和歌山まで往復し、相手方代理人が遅れてきて、時間が余計にかかったことで、帰りが遅くなり、この内容もなかなか詰め切れないで、駆け足(いつものことかでしょうか?)で、何を言おうとしたのか、舌足らずになりましたが、ウェブ情報などを参考にしていただければと思います。


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