たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

子が育つ環境のあり方 <男性保育士 おむつ替え、是か非か>を読んで

2017-01-31 | 家族・親子

170131 子が育つ環境のあり方 <男性保育士 おむつ替え、是か非か>を読んで

 

今朝も昨日ほどではないですが、次第に冬が遠のいていく風情を感じます。最近まで凍てついた田畑の土と草はホワイトブラウン色か、明るい透き通るシルバー色でした。今朝はダークブラウンになりつつ、あちこちでグリーンの彩りが目立つようになりました。カナダ中部では6月頃にならないと見ることができず、長い冬を感じますが、その待ちに待った鮮やかな変化をとても楽しみにしていました。

 

ところで、兼行法師は春をどうみていたのか少し気になって、徒然草に当たってみましたが、西行や良寛のように、あまりそのようないわゆる日本的情緒感が私にはうかがえませんでした。たとえば第166段では

 

人間の、営み合へるわざを見るに、春の日に雪仏を作りて、そのために金銀・珠玉の飾りを営み、堂を建てんとするに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ多し。

 

春に雪仏、ま、雪だるまをつくるようなものと、人の何かを一生懸命作り上げる姿を無益だとでもシニカルに批評しているのでしょうか。これでは待ちわびた春を楽しんで興じる遊びも喜びも、兼行法師的にはつまらんということでしょうか。それと同じが世間の文明なり当時での近代化努力なのでしょうか。

 

もう一つ、兼行法師が子どものことを語っていないか確認したのですが、これまたあまりないようで、世の無常を説いた人らしいというか、当時の子どもに対する思いやりがあまり見えてきません。とはいえ、親鸞のように幼くして両親を亡くし、心配した親族が9歳の彼を仏の道に入らせるわけですが、その後天台座主となる慈円に得度してもらっているわけで、やはり親族は子を大切に育てようとしていたことがうかがえます。

 

ところが、兼行法師は、あまり触れていない世の中の子への接し方について、あるいは子の成長についても、上記に類似した無常観を示しているように思えるのです。第188段です。

 

或ある者、子を法師になして、「学問して因果の理をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教のまゝに、説経師にならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。輿・車は持たぬ身の、導師に請ぜられん時、馬などへにおこせたらんに、桃尻にて落ちなんは、心憂かるべしと思ひけり。次に、仏事の後のち、酒など勧むる事あらんに、法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、早歌といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境に入いりければ、いよいよよくしたく覚えて嗜みけるほどに、説経習うべき隙なくて、年寄りにけり。

 

これはなんでしょうね。その子は一生懸命、仏教徒の道を歩もうと努力しているのですが、世間との付き合い上、その時々に習い事を研修することに努めていくうちに、仏教そのものを学ぶ機会を失って生涯を終えるという、当時の世慣れした仏教界を皮肉ったのか、子どもの生き方を危ぶんだのか、ふと考えてしまいます。

 

この段で兼行法師は、ではどうしたらいいかという観点で、次のように言っています。

 

されば、一生の中、むねとあらまほしからん事の中に、いづれか勝るとよく思ひ比くらべて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事を励むべし。一日の中うち、一時の中にも、数多の事の来たらん中に、少しも益の勝らん事を営みて、その外をば打ち捨てて、大事を急ぐべきなり。何方をも捨てじと心に取り持ちては、一事も成るべからず。

 

また、最後にも

 

一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るゝをも傷むべからず、人の嘲りをも恥づべからず。万事に換へずしては、一いつの大事成るべからず。

 

たしかに一生の大事を見いだせば、その子はそれに邁進し、充実した人生を送れると思います。しかし、それはほんとに叶うことか、多くの人は一生悩むのではないかと思うのです。悩まないで生きるのもいいですが、悩み続けるのも、人間ではないかと思うのです。

 

千日回峰行を2度行った酒井雄哉大阿闍梨のことばは、なにか一所懸命に大業に精進するときも、終えた後も、同じような気持ちで歩き続けている用事思えるのです。彼の「人の心は歩くはやさがちょうどいい」という言葉と、そのタイトルの著作での発言は、そういう印象を受けます。

 

とながながと前置きを書いてしまい、いつ終わるか自分でも多生不安になってきたので、この辺で見出しのタイトルに戻りたいと思います。

 

毎日朝刊によると、<男性保育士が働きやすい環境を作るとして千葉市が4月から10年計画で実施する「市立保育所男性保育士活躍推進プラン」を巡り、激しい議論が起きている。熊谷俊人市長(38)がプラン作成の背景に「娘の着替えを男性保育士にさせないでという親の声があった」とツイッターで発信したことがきっかけだ。>とのこと。

 

私自身は、保育園に子どもを預けたのは、二児目の出産で里帰りした妻に代わり、長男を一時保育園に入れたときくらいしか経験がないので、あまり保育園の経験がないため、その実態はよくわかりません。そのときの印象は、一度も両親と離れたことがなかった子がはじめて保育園で他の児童と一緒になることの不安を感じているのは分かりました。私が仕事で少し迎えが遅れたときなどは、私の方がとても不安になった記憶があります。それでも長男は泣き出すこともなく、けなげに待っていて、かえって親子の感情を強くいだけたかなと思っています。とはいえ、長男はこのときの保育園の印象が必ずしもよくなかったのか、幼稚園に通うことに躊躇し、4歳児か5歳児になってようやく入園しました。

 

このときの保育園は短期だったので2箇所か3箇所と転園したこともあり、他の園児との親しむ関係が作れないままに終わったことも影響があったかもしれません。保育士や園自体について不満とか感じることはありませんでした。

 

私の狭い経験談ではなんの役にも立ちませんが、保育園開設に係わる相談を受けて対応したことがあったり、他方で、保育士の方で依頼人になった人がいて、仕事上係わったことから、多少は気になっています。また、無認可保育園での死傷事故も時折新聞で賑わったこともあり、最近ではとりわけ首都圏での保育園不足、待機児童の増大が問題になっていること、他方で、女性の社会参画に支障を来している問題も無視できないと思っています。

 

そういう状況で、千葉市の「市立保育所男性保育士活躍推進プラン」は、画期的な企画ではないかと思っています。大きな問題を抱えている東京都や横浜市の対応は、どちらかというと、施設の増加や保育士の給料や処遇の改善といった、どちらかというと物的資源や人的資源の改善にとどまっています。

 

保育士の能力アップや、評価をあげることこそ、重要ではないかと思うのです。むろんその中に、性差による差別は、合理的出ない限り避けるべきです。看護職はすでに看護婦という女性だけから男性が参加する看護師となりました。介護士も昔は女性の仕事と意識されたように思いますが、男性の参加により、より充実した業務サービスがおこなえるようになったと思います。

 

ある職業や資格は、性差による合理的な差別が認められる場合を除き、さのサービスの向上、その能力や評価、給与・報酬をアップするためには、男性でも女性でも自由に取得でき、仕事に就けることが望ましいと思います。

 

保育士の場合、給料が低い、処遇条件が悪いといった問題は、首都圏など保育士不足・待機児童が増大の問題解消策として、一時的に改善が見られているようです。

 

しかし、それは本質的な解決に近づくでしょうか。親が安心して預けられる保育園、あるいは幼稚園、こども園といった、子どもにとって人生最初のコミュニティ環境を子どもの健康で創意工夫や自立心、助け合いの精神などを育む場所として、望ましいあり方として構築していけるか、そのような形式的な改善ではとても覚束ないと思うのです。

 

それは保育士のスキルアップや、資格への評価向上が必要でしょうし、男性の参画も不可欠と思います。

 

幼女や女の子のおむつの交換を男性保育士が行うことに違和感のある親の意識はわかないではありません。しかし、両親のおむつを替える男女の介護士などの存在を、現代社会では必然としています。いやお風呂に入れること自体が両性の協力が不可欠でしょう。

 

むろん児童ポルノや盗撮、わいせつ行為といった現代の性風俗がはびこるネット社会において多様な問題も起こっていることは確かですので、それへの対応は厳正にする必要があります。しかし、医師や看護師が男性であっても、幼女などに対処するのを違和感を感じる人は少ないと思います。保育士の仕事に対する意識や評価を改めていく運動も大事だと思います。それらが現在の保育行政ではあまり具体化されていないように思うのです。

 

千葉市のプランでは、<プランでは、男性保育士も女性と同様、子供の性別にかかわらず着替えやおむつ交換をする▽男性用トイレや更衣室を設置▽男性が孤立しないよう希望があれば2人以上の配属に努める>

 

またおむつ交換もオープンな状態で行うなど、両親の不安や懸念に配慮する工夫も一つの施策だと思いますし、それ以外にも具体化の中で不安な声を吸い上げて配慮する仕組みを期待したいです。

 

いずれにしても、厚労省の保育関係の多様な施策を見ても、保育士がこれから必要とされる業務内容や能力について、あまり議論されていないように感じます。昨年発表の「切れ目のない保育のための対策」も、残念ながら保育児童の安全安心で心豊かな成長を確保するという視点で、それを担う保育士の姿が見えてきません。

 

人生の出発点で、優れた保育士や保育環境で育った子どもは、兼行法師が懸念するような心配の多くは回避され、伸びやかで豊かな人生が送れるのではないかと期待しています。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿