181215 歩く道(その3) <小田井と大和街道を少しだけ歩いてみる>
これで3週目です。意識的な歩きを始めて。習慣にするとさほど億劫になりませんね。これで高齢によるさまざまな体の劣化を多少は防ぐことができるかも?
先週は橋本市隅田(これで「すだ」と読みます)で大和国と紀伊国との国堺?から紀ノ川の北岸を一時間ほど歩きました。このとき思いついたことをブログで書き忘れたことがあります(しょっちゅうですが)。紀ノ川はこの当たり段丘構造で自然の崖状になっています。とはいえ岩盤は川底とか崖下部分だけで、おそらくほとんどがいわゆる竹藪状態です。
私が垣間見た恋野橋新設工事と仮設橋工事について、その後毎日記事<橋本・恋野橋
車両通行、仮橋を設置 県、来月運用目指し /和歌山>で紹介されていました。
記事では<現在は準備として南岸から竹やぶを伐採する作業などを進めている。>ということでしたが、私が歩いたのは北岸で、むしろ北岸でユンボが竹藪伐採運搬を忙しくしていましたね。南岸の方は気がつきませんでしたが・・・
また横道にそれました。じつはこの竹藪ずっと続いていまして、これをすかすと、つまり間伐すると、用水路沿い遊歩道としてはとてもすばらしい散策路になるのにと思ったのです。用水管理する人たちの中には、自分たちがせっかく用水管理をしていても、いろんな人が入ってくるとゴミを用水路に捨てて困るなどと不安視して、歩きやすくしたり、眺望景観をよくするため竹藪整序するのに反対する人がいるかもしれません。それは一時的にはありうるかもしれませんが、みんなできれいに使えば、美しい散策路になればそのような不心得者は自然にいなくなると思うのです(簡単ではないですが)。
私なら、そういうボランティアなら参加したいと思うのです。ただ、問題は伐採した竹の処理です。バイオ発電所に持って行ってペイすればいいのですが、運搬費が相当かかりますし、行政からの支援がないと難しいでしょうね。あるいは竹のさまざまな活用法を工夫することでしょうか。私自身もいろいろ試してみましたが、簡単ではないですね。もともと日本は竹の豊かな文化芸術が息づいてきたのですから、蘇りを図ったり、新たな創造を考えるのもいいでしょうね。
前置きがなかなか止まりません。このあたりで今日の歩きの話に移ります。
今日はかつらぎ町の飯降(いぶり)から妙寺(みょうじ)周辺を一時間半ほど歩きました。変わった名前だなと当初、思いましたが、歴史が古いのです。<京奈和自動車道(紀北東道路)遺跡発掘調査一西飯降II遺跡、丁の町・妙寺遺跡の調査一現地説明会資料>など、この地域では縄文時代や弥生時代の遺跡があり、まさに古代の息吹を感じることができます。
とはいえ、今回の目的は江戸中期に灌漑用水路として開削され現在も利用されている小田井用水路の現在を散策することが一つ。同じく江戸初期(万葉時代にあった道と同じかどうかは私にはわかりません)に作られた大和街道を歩くことが一つです。
小田井は、橋本市小田に井堰を設け、取水口にして、末端は根来寺付近まで伸びています。今回はそのほんの一部を歩きました。幅2mくらいあるのでしょうか。護岸の高さは1m強はあるかと思いますが、現在の水深は50㎝くらいでしょうか。灌漑期でない冬にもかかわらず、結構流れていました。環境維持用水として使われているのでしょうか。
用水路沿いに管理用の道があります。そこを歩いたのですが、いろいろと妨害物?があり、スムースには足が運べません。水路上に家や構造物があったりします。それでもまだそばに道や道路があるとちょっと回ればまた水路にでます。
この飯降から妙寺にかけて歩いているとき興味を覚えたことがいくつかあります。一つは中谷川サイホン式水門のあるところです。小田井はいくつもの北から南流する川を横切りますが、ここではサイホン式水門で横断するのです。中谷川はただ普通に南流し、紀ノ川に入り込んでいます。小田井とは表面上交差していません。
でも中谷川の手前まで用水路が来て、突然中谷川で壁にぶつかり、止まっています。でも中谷川の先には用水路が同じような水量で流れています。これがサイホン式なのですね。
現在は、用水路もこういった水門もすべてコンクリートで作られていますが、才蔵が作った当時はむろん土や石ですね。大変だったと思います。で、この水門のいわば上流側と、下流側、いずれも結構ゴミが浮かんでいました。いっぱいというわけではありませんが、誰かがどこかで用水路に投げ込むのか、道路上などに落とされたものが飛んできたのか、それが堰き止められた双方の端っこにたまっています。この程度はがまんできましょうか。
この用水路沿いの建物にもなかなか雰囲気のある屋敷があり、これは背後に紀伊の山々を控えさせ借景になっていて風情があります。近江八幡の有名な町屋ほどの作りではありませんが、板塀越しのマツも立派です。なかに登録文化財もありました。この用水路沿いもまた散策路として十分評価してもよいと思うのです。
ただ、時折気になるのは、嫌な生活雑排水の臭いです。一部ですが臭ってきます。多くは紀ノ川の清流の流れがあって、三尺下れば・・・とまでいかなくても、まあまあの清浄さでしょうか。臭いは生活雑排水に対する対策が十分ではないことの証左でしょうか。たしかに用水路沿いには結構、大きな塩ビパイプが出しゃばるように配置され、時折排水が落ちています。
それとやはり管理がなかなか行き届かないのでしょう。まして冬期ですからね。藻が結構繁殖していました。みんなでやればきれいになるのにと、柳川や松江などを思い出します。むろん観光名所でもあれば、船での遊覧が人気を呼んでいる(管理することでそうなったともいえるでしょう)のとは分けが違うかもしれません。でも、ちょっと見方を変えれば、見事な散策路、潤いある水路景観に、紀州の山々と紀ノ川を見渡しながら歩くというのはなかなか気分がいいものです。そんな考えに立たないでしょうかね。
とはいえ、今日は少し大変でした。用水路沿いを歩いているとき、先には見るからに「ひっつき虫」の雑草が大きく繁殖して立ちはだかっています。ちょっとひるんだのですが、その先には普通の雑草だったので、えいやと雑草を踏み越えていきました。わずか10m余りですが、ズボンの太ももまで全面びっしりとげが刺さってしまいました。
それでこのトゲを採るのに悪戦苦闘していると、近所のおばさんらしき人がやってきて、ここは近道なのよとその私が歩いた平坦なところに行こうとしたので、私はその先にひっつき虫の雑草が一杯ありますよと言って、別の道をアドバイスしました。
このひっつき虫はコセンダングサで、環境省による外来生物法により、要注意外来生物に指定されていますね。ちょっと甘く見てしまいました。こういうところにはいることを前もって予定しているときは別のくっつきにくいズボンにするのですが、今日は普通の道路を歩くつもりでしたので、どうぞくっついてくださいというズボンでしたから、大変な目に遭いました。
まあこの草に責任はありませんが。こういった雑草も刈り取っておけば、歩きやすいですね。実際、その先はしばらく迂回したところ、こんどはきれいに刈り取っている水路沿いの道があり、のんびり歩くことができました。
そうすると妙寺の駅上にでました。この当たりもなかなか風情のある屋敷が並んでいて気持ちよく歩けそうです。
小田井はここまでにして今度は大和街道を東に帰ることにしました。これがまた狭いのです。幅1.5mか2m弱ですね。軽自動車でないと通れないでしょう。でもそこに別の用水路がありました。「七郷井」という用水路です。現在は灌漑用水として利用されていませんが、江戸初期に大和街道を敷設する際、作られたとのこと。まあいえば、小田井用水の先駆け的存在でしょうか。
そんなこんなで、楽しい歩きでした。
今日はこれにておしまい。また明日。
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