たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

道物語その1 里道の活用を考える

2016-11-12 | 日記

161112 道物語その1 里道の活用を考える

 

今朝はいい日和。一昨日枝打ちしていて、ブリ縄の枝が折れて木から転がり落ちた際、左手を打ち腫れ上がってしまったため、昨日は一休み。今朝は痛みが和らいだので再開。こんどは新しい枝を選んで脚の支えにしたので、しっかりと枝打ちができました。木の上からの見晴らしは格別です。枝打ちすると、樹木の間も見通しがよく、木々自体、そこから見通せる風景もいいです。いつかこのよう樹林を誰も楽しめる道を作ってみたいとずいぶん以前から思っていたことを思い出しました。

 

鎌倉に住んでいた頃、裏山が祇園山といって、鎌倉武士がつくった特徴的な都市構造の一要素である、自然の要害(世界遺産登録を目指す重要な要素)の一画が身近な存在でした。時折その稜線を歩いていまいましたが、鎌倉中心街のそばにありながら、その喧噪が嘘のように静寂で、ただコゲラ、シジュウカラなど野鳥のさえずりと、私の落葉や落枝などを踏む音だけがこだまするのがとても安らぎを覚えたものです。

 

ちょうどその頃、大佛次郎が提唱した古都保存運動を継承していた風致保存会が、市民参加をへて新しくうまれ変わろうとしていたときで、私も参加しました。今後の運動について議論するのですが、百家争鳴で、みなさん、熱心な議論をするのですが、なかなかおさまりがつかない状態でした。

 

そのとき私は、鎌倉には多くの里道、赤道が残っており、これを活用して、世界遺産に向けた保全策と、新たな観光資源にしてはどうかと意見を述べましたが、結局、大勢が参加しやすい、いくつかの案が実施されることになり、私の案は没になった記憶です。ただ、この里道は、鎌倉の緑地がさまざまな開発にさらされていたとき、保全策の一つとして大いに役立ったのではないかと思っています。そして私自身も、誰も知らないような鎌倉の赤道を、というか、ほとんど道とはいえない藪漕ぎをしたり、小さな沢を渡ったりして、鎌倉の隠れた魅力を堪能していました。あるときは、突然、遠くに富士山が見事な姿で眼前に現れたりして、この赤道らしき山道を歩くのは仕事の息抜きには最高でした。

 

さて翻って、紀ノ川沿いにある小高い山々を見ていると、それ自体すばらしい景観に思えるのです。少し山腹にそって作られた農道を歩くだけでも、清々しい心持ちと、南側だと和泉山系の山並み、北側だと高野や紀伊の山々が、そして樹林が和やかな気分にしてくれるのです。眼下を臨めば、ときおり大きく蛇行する紀ノ川の流れが、そして河畔林や田園風景がやはり気持ちを涼やかにしてくれるのです。

 

最近、黒河道(くろこみち)が高野七口の一つとして世界遺産追加登録となったことがニュースになりました。高野山の寺僧にハタゴンボなど地元の野菜を届ける、いわば高野山の隠れた動脈だったかもしれません。高野七口の歴史的な比較検討がどこまで進んでいるのか、気になるところですが、ともかくこのような古道の再生・復活は喜ばしいことと思います。

 

とはいえ、私が里道(赤道)などとともに、新たな散策路を考えているのは、この紀ノ川沿いの岸辺、山並みは、とても魅力的な21世紀的なフットパス(歩く道)になると愚考するかからです。

 

イギリスは、所有権思想を中心とする資本主義を進めたリーダー国でしたが、いくつものさまざまな権利を裁判例で認めてきました。その一つが「歩く権利」です。ご承知の通りイギリスは大地主所有地が国土をカバーしてきましたが、民衆はその私有地内を自由に歩く権利を主張し、裁判で認めさせ、法律をつくり、全土にフットパスを張り巡らせています。

 

英連邦、コモンウェルスの一つ、カナダ・ブリティッシュ・コロンビア州都ビクトリア市に滞在しているとき、その一旦をいろんな場所で経験しました。海岸は、長い散策路が作られ、一部は木道が整備されているところもありますが、まったくの自然の崖状態のところもあります。でも自然を愛するカナダ人は気に留めません。

 

川は自然に近い状態で、大量のサケが遡上するのを間近に眺めることができる近郊もあります。

 

わが国では、川は人工の河川敷をのぞき、いつの間にか釣り師か、バーベキューを楽しむ一部のひとだけ利用する場所になってしまったように思うのです。残念なことです。

 

山は木々が放置され、誰も管理をしようとしないということすら、気に留められなくなって長い年月を経ているように思います。

 

そこは多くの人の安らぎの空間になりうる場所ではないかと思うのは私だけでしょうか。一本の小道をつくるだけで、人が入り、自然の中に育まれる感覚を得ることが可能になる舞台の一つではないでしょうか。そうなれば、山の管理も次第に進むように思うのは甘い考えかもしれませんが。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿