161113 ハラスメントを考える 暴力とハラスメント
今日は快晴の日曜日。紅葉狩りの人だかりをふと想像してしまいます。紀ノ川下流にある根来寺の紅葉はそろそろ色づいてきたのかなと思いながら、庭の楓が赤みがかっているのに気づきました。
午前中私は相変わらず、スギ・ヒノキの枝打ちを続け、竹林とのほどよい隙間を作っています。さて私の行為は、木々に対する人間の勝手な虐待、暴力とならないのか、とふと感じることもあるのです。アルド・レオポルド風にいえば、森や木の声を聞けということでしょうか。
私たちが行っている様々な行為は、場合によっては、自然に対して大いなる虐待、ネグレクト、暴力となっていないといえるのでしょうか。動物はもとより植物も人間とは異なる何らかの感情をもっているとも言われます。差別的取扱も含め精神的な虐待も結果としてあるかもしれません。
振り返って、日々の報道を見ていると、現代の人間社会には、時として、平穏で安らかに人生を送っている人、家庭がどれだけあるのか不安になることもあります。
楽しい話題ではないですが、家庭を見てみると、夫婦間、親子間、児童・幼児に対するもの、あるいは高齢者に対するもの、障害者にたいするもの、さまざまな形態で、いろいろないじめ、虐待、暴言、暴力、ネグレクト、性的虐待を含むさまざまな強要など、あげればきりがないほどです。
そして職場ではパワハラ、セクハラ、マタハラ、アカハラ、ドクハラなどなど、一般的に、また、それぞれの職場環境に応じていろいろなハラスメントが日常的に行われ、時にニュースとなります。
幼児や児童の立場に立つと、家庭内、児童養護施設内、学校内の、さまざまな環境で、危機にさらされています。高齢者も、家庭内、介護施設や特養施設、いずれの場所もこのような危機から万全の安全を確保されているとはいいがたいかもしれません。障害者も、とくに知的障害や認知症の人たちは、施設内において快適な状況に保たれているか、ご本人に理解できない、意見を言えない状態であることから、より不安が増します。
とはいえ、このような問題に、政府や各自治体は、次々と虐待等の防止立法の措置や対策を講じてきたので、あからさまなハラスメントや暴力は少なくなったかもしれません。
しかしながら、これらのハラスメント・暴力は、より本質的な問題が根底にあり、その解明や根絶は容易に解決の糸口が見えない状況だと思います。
まずは、そのような行為をする人については、自らの行為がハラスメントや暴力に当たることを自覚してもらい、法的にも道義的にも許されないことと意識してもらうことが大事でしょう。その行為を楽しんだり、自分の不満のはけ口としたり、自分の経済的利益のみを追求する姿勢がいかに愚かで、相手を傷つけることが自らの人生を貶めるものか、自覚することが大切ではないかと思うのです。こういうと、差別的発言や侮辱的発言を堂々と行ったトランプ氏は成功しているではないか、大統領にもなるではないかとといった反論を含め、いろいろな反論があるでしょう。
でも私たちは、異なる価値観、時には異質の言動をする人とも共同社会を築いていかなければいけないのではないかと思うのです。一人、孤島の生活もいいですが、そうでない限り、相手の気持ち、とくに発言しない、自分の意思を表現できない人そういう人に対して、十分にその心をくみ取る努力が必要ではないかと思うのです。それは自然に対する思いに負けないものです。それが個人の尊厳を掲げる憲法の精神ではないかと思うのです。
とはいえ、いうは安し、実行はなかなか大変です。そういう意味では、いろいろな場で、具体的な配慮と工夫が必要でしょう。たとえばJFEスチール(株)が行っている取り組みも一つの参考になるでしょう(2012年厚労省ワーキンググループ報告添付)。
こういった取り組みは、各職場で意識化する有効な作業と思いますが、他方で、病院などでは、患者向けに暴言禁止のパンフを壁に貼付しているのを見ることがあります。たしかに学校でのモンスターペアレントと同様に、病院、企業などに不条理なクレーマーがいることは確かです。しかし、そういう事例は医師患者の関係からいえば、逆の問題の方が多いように思うのです。こういう病院では患者の権利宣言などは貼っていないように思います。医師・看護師を含め病院職員側の患者に対する言葉のハラスメントは、多くは放置されているように思い、残念です。
ところで、このようなハラスメントが起こる要因の一つとして、学校であれば、その加害児童の周辺に、あるいは加害教師であればその職場環境に、企業であれば、企業の効率性を優先し社員の安全配慮を軽視する体質に、施設であれば過酷な作業環境に、家庭であれば経済的貧困という環境をあげることができると思います。そういった外的要因の解消・軽減策も大事でしょう。
問題が広がりすぎて、抽象的になってしまいました。ただ、ハラスメントや暴力を受ける側は、周りの人も含め生への希望を失わせるほど、危険であることを私たちは理解しておく必要があると、改めて指摘しておきたいと思います。
枝打ちを終えて、わが家の前の小川沿いの道を歩いていると、鮮やかな緑・青の小鳥が川面に佇んでいるのに気づきました。カワセミです。時折やってくるのです。しばらくその美しい飛行や獲物を狙って川面を探る様子に見とれて、時を忘れていました。
わが国の自然は美しい。維新前後に来訪した異邦人は、わが国の貧困な生活を酷いと苦言を厭わなかった人でも、その景観美を堪能し、心が清らかになったことを認めているようです。このような自然美をもち、また、作り上げる一助となった先達をもつ私たち、改めて心の安らかさを自然に求めてはどうかと思うのです。加害者・被害者ともにです。
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