170404 自然への作法 <山林寄付 高齢化で増加><さだまさし「ビフォーアフター」>を読んで
今朝は少し冷え冷えした感覚になりました。和泉山脈が見える紀ノ川南岸から北岸の和泉山脈の麓に移って最初の朝でした。窓からは高野の山々がちょうどいい具合によく見えます。眼下には鎌倉流に言えば谷戸が広がり、柿畑、田んぼの中に家が点在しています。目の前にはスギ・ヒノキの林があり、身近に感じることが出来ます。ウグイスの鳴き声はもちろん、いろんな野鳥がここでも元気に早朝を楽しんでいます。
今日もすでに夕方6時を過ぎています。仕事が片付かず、なかなかブログの時間がとれません。まだ指先の痺れを感じながらですので、今日も600字コースです。毎日記事を読んでもどうも気乗りしません。毎日のウェブ情報を見ると、見出しの記事が目に入り、これなら少し興味がそそられます。ついでに見逃したさだまさしさんの島改造番組をウェブ情報だけ見て少し色を染めてみようかと思っています。
さて、毎日記事は<山林寄付高齢化で増加 自然保護団体に>という見出しで取り上げて、山林・原野などの寄付が増えていて、寄付先が自然保護団体が多いとのこと。
取材したのは5つの公益法人で、<日本ナショナル・トラスト協会(東京都)▽埼玉県生態系保護協会(埼玉県)▽トトロのふるさと基金(同)▽天神崎の自然を大切にする会(和歌山県)と大阪自然環境保全協会(大阪府)>でした。最後を除き、私にはいずれも懐かしいというか、それぞれの活動には興味を抱き、仕事で関係した団体もあります。
それはともかく、以前から山林の荒廃、放棄が問題になっていることをなんどか指摘し、所有者の責任問題としても取り上げてきた私としては、こういった寄付方式も一つの解決策であると思います。しかし、それで事足りるわけではありません。
私自身、20年以上前に、大先生の事務局の立場で、著名な各界の専門家に参加を募り、自然保護活動の実践的な団体を立ち上げる、下働きをしたことあります。メンバーには元環境庁長官をはじめ、日本ナショナルトラスト協会名誉会長など多様な人材の参加があり、私もいろいろ実践計画を練ったことがありますが、いろいろな事情と私の力不足も影響して、うまくいきませんでした。
私の計画では、山林の荒廃に対して、実践的な保全管理する運動体になる必要があると考えたのですが、参加していただいた方があまりに著名で、なかなか参加できないことはもちろん、実践活動してもらいたい若い人が集まるような組織作りができなかったのです。
このことは、私が関与していた団体でも、ときに10haくらいの山林の寄付があり、私も場所の確認、境界の確認を兼ねて調査に訪れたこともあります。私としてはそれを単に放置するのではなく、適切に管理することを訴えたのですが、会の中では少数派で、結局断念しました。また、メンバーになった人の中に林業家がいて、彼の森林保全への情熱を受け、彼のやり方を支持したのですが、これも受け入れられませんでした。この点、上記の別の組織でできないかと私なりに計画したのですが、甘かったです。
鎌倉に居住していたとき、鎌倉風致保存会に入会し、その里山や放棄林などの維持管理の手伝いをしたことがありますが、やはり素人ばかりの集まりで、適切な管理を行うには、大変な努力が必要でした。
そのほか、四半世紀以上前から里山管理を行う団体に参加してきたのですが、自ら実践的に行うことはありませんでした。
このようにいろいろ私のつたない経験を書いているのは、単に自然保護団体に寄付することだけでは、問題の解決になるわけではないということを理解してもらいたいからです。
自然に対する考え方の違いもあり、どのような保全が望ましいかといった基本的な考えも根本的なことから、枝葉末梢まで、異なることもあるでしょう。それでも実践することにより、なにが望ましいか、自然との対話で試行錯誤しながら、絶対の解はないものと思いながら、やっていくのが自然への作法ではないかと思うのです。
で、当地にやってきて、私一人で私なりに山林保全の真似事のようなことを続けてきました。地域では密林状態が整備され喜んでくれる方もいます。お世辞でしょうけど、褒めてくれる方もいました。私として自然とはなにかを学ぶいろいろな経験をしてきたように思います。といってもほんの、わずかな一面でしかありませんが、私なりに充実した期間でした。それもいつかまた復活するまでお預けです。
所有するということは、その対象に対して、全身をもって責任を負うことが、本来の所有権思想と考えています。このような考えは異端かもしれませんが、それが私の考えです。対象が家なら家、宅地なら宅地に対して所有者としての責任のあり方は背景・環境によっていろいろでしょう。しかし、権利だけを主張するのであれば、所有権者として失格ではないかと思うのです。
責任を果たせないのなら、適切に対処できる団体などに寄付することがベターかもしれません。しかし、その団体が適切に対応しないのであれば、それは別のより望ましい団体に委ねる必要があると思うのです。
こういう意見は、少数派なんでしょう。でもここでさださんを登場させてみたいと思うのです。さだまさしという名前を知ったのは、数十年前、京都に滞在しているとき、その後馴染みになった喫茶店のマスターが私のことを彼に似ているというのです。それでどんな人だろうと調べてみたら、グレープのカセットテープを見つけ、聞いてみたら、とても惹かれ、ちょうどその頃、中島みゆきも「時代」で売れ出したばかりで、二人の歌はその後私にとって大事な心の友達になっています。
と関係のない私的な話になりましたが、さださん(まったく会ったこともありませんが、さん付けしたくなるのです)は、売れた歌の印税2000万円で島を買い、「詩島」となづけたそうです。でも映画製作で失敗して大借金をして、島の管理を長年放置して、ようやく再生を遂げたとのこと。これぞ所有者としての長い、長い苦労の中で思い続ける責任であり、夢ではないかと思うのです。
そろそろ時間となりました。今日はこれでおしまいです。
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