170523 里山と生き方 <住・LIVING 雑草を生ける 野にある魅力を・・・>を読んで
さていつまで続くのか、暗闇の中での目覚めが常態化しつつあるようです。ま、黄泉国に行く予行演習とでも考えておけば気分は楽です。
親鸞は自分の遺体の処理について、鴨川に放擲しろといったとか言われていますが、その師匠・法然の場合は次のような話しが残っているようです。
<法蓮房信空が「お亡くなりになったら、どこをご遺跡と定めましょうか」と聞くと、「遺跡を一所に決めてしまうと、遺した教えがあまねく伝わり広まることがありません。ですから、念仏申している人が居る所は、身分の貴賎を問わず、浜で海藻を採ったり漁猟する人たちの粗末な家屋までもが、すべて私の遺跡です」と語りました。>(藤本淨彦著『法然』より)
遺体の処理・埋葬する場所と、顕彰なり供養する場所とは中世の墓制では違うこともあったので、わざわざ遺跡といった表現なのでしょうか。でも親鸞も法然も、遺体あるいは遺骨のありかにこだわっていなかったように思うのです。二人の信念からいえば当然かもしれません。
それはともかく日が昇り、外を見ると斜面地では少し繁茂してきた雑草が刈り取られていました。でもわずか直径1mくらいの小さな塊だけ残されていました。そこには細長い緑色の茎の先に、紅路の小さな花がたくさん咲いていていました。草刈人も気がとがめたのか、あるいは野草の美しさに魅了されたのか、刈り取る心持ちにならなかったのでしょう。
野草の名前は遠目なので、比定が叶わず、名も知らぬ花としておきましょう。そういえば、わが家の花たちも、すでに買って植えた苗は200を軽く超えますが、ほとんど名前を覚えられません。覚えることで認知症を回避しようと行った甘い考えも起こりません。名前を知らなくても、それなりに大事にすればいいかなと思っています。その意味では雑草といい、野草といっても、またガーデニングの店で買った名前のある花も変わりがないのです。
ところで、本日のお題と見出しの毎日記事<住・LIVING雑草を生ける 野にある魅力を、少しずつ>がどう関係するのか、まだいまひとつ、私の頭の整理が出来ていませんが、なんとなくこの記事を見て野草を取り上げるだけではぴんとこず、なんとなく「里山」の歴史と人との関係を考えてみようかと思ったのです。
さて毎日記事は、東京・銀座の花屋さんが野の花がもつ魅力を演出しているのを軽やかに取材しています。
花屋の<「野の花司(つかさ)」で生け方の教室を持つ小森谷厚さん(55)>が手ほどきを示しています。
<。生け方も自生する姿をお手本にし、流派や基本形はないという。
生ける器は何でもいい。古いつぼや筆を入れる筆筒(ひっとう)、薬の空き瓶やおちょこ、急須でも構わない。かごや木の皮でも、見えない位置に水をためる小さな器(おとし)を置けば生けることができる。ただし、野の草花はたたずまいが控えめなので、色や柄が自己主張する器は避けたい。
摘む時は、水で中をぬらしたポリ袋を持参するか、根っこごと持ち帰る。しおれたら新聞にくるんで水につけ、1~2時間置いてしゃっきりさせてから生けよう。>
実際に野の花を生けた写真を掲載していますので、その自然体がいいです。おそらく田舎の人なら少し関心のある方ならやっていることかもしれません。私も田舎にやってきたとき、野に咲く花の生き生きしている姿にほれぼれしました。
こういった生け花もいいですが、野草の庭造りをしている人も結構いるようで、たとえば<野草の庭・茶庭づくり風(ふわり)日本の庭づくりを提案>もその一つでしょうか。風流があっていいですね。
ところで粋な話をしているときに少し堅い話も。道端の野草を取ったからといって問題になることはないでしょう。むろん個人の住宅敷地だとこれはまずいかもしれません。ゴミのように不要物と理解されればいいんですが、草はなんといっても土地の「定着物」と扱われますので、勝手にはどうかと思いつつ、多くの野草は無価物と評価され、窃盗とかそういった問題にはならないと考えるのが常識的でしょうか。でも正当な理由もなく住宅敷地に侵入の点ではやはりアウトでしょうね。
それはともかく、野草であっても、植物採取で問題となることがあります。場所と種類ですね。これを取り上げた植物学者のウェブ情報<国立公園における採集許可の申請方法>がありました。この種の規制は、都市公園でもありますので、要注意です。私は屋久島、白神、釧路湿原など、世界遺産登録前に訪れていますが、「自然環境保全法」「自然公園法」「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」「文化財保護法」に「都市公園法」(11条)による規制があることは百も承知していましたので、当然、美しい花や枝葉があっても、かわいらしい石があっても触れるだけで我慢したのです。
四半世紀以上前に、こういった規制と規制基準をほとんどの土地利用法制について省令まで調べて表にしたことがあります。いまと違ってウェブ情報でさっと見つかるわけではなく、当時の各省庁所管の六法などを頼りに、鉛筆なめなめではないですが、時間をかけて表にしたのを思い出しました。いまだとたとえば自然公園法とか同法施行規則とか、すぐに見つかりますし(六法を買わなくてよくなりました!)、検索も簡単です。
でも法制度のどうかというより、実際に許可申請するとなると、さきの植物学者が指摘していますように、大変な書類作成作業が待っています。それが面倒だから、いや許可事由もないのに、植物を採取することはぜひ避けてほしいと思うのです。屋久島など自然環境保全地域を訪れましたが、外国だと通常、環境省などのレインジャーがガイドしてくれるのですが、残念ながら、民間ガイドに依頼しました。むろん彼らは相当の知識を持っているので、それはそれで信頼できるのですが、我が国ではレインジャーが不足している一方、公園事務所での許可などの書類審査作業が多すぎて、現地調査や監督という役割が十分果たせていないのです。それで盗掘も結構多く見逃されています。
となかなか里山の話に入れないのですが、そこに行く前に、野の花を使っての生け花や庭造りもいいですが、私の場合は山自体を野草の楽園のようになればと思ってしまうのです。いま全国に放置され、荒廃している、山林・農地の面積はどのくらいあるのでしょう。後者は40万haとかなり前から同じ数値が農水省で発表されていますが、現状把握ができていない中、あまり信頼性のある数字とはいえないでしょうね。もっと増えていると思っています。前者の森林となると、それこそきちんとした統計があるのでしょうか。私がこう表現を初めて聞いたのは80年代半ば頃でしょうか。いろいろな林業地を訪ね、首長や森林組合などからヒアリングしてきましたが、森林管理が行われていない状況はどんどん悪化する一方のように思えるのです。
最近は林業再生ということで、搬出間伐補助事業が相当増えてきて、その点では間伐による森林の適度な育成に役立つようにはなってきたかと思いますが、植林から枝打ちや下刈など、将来に向けた森作りとなるとお寒い状況ではないかと思うのです。
その一因としては、東日本と西日本の森林の経営なり管理は相当違うので、一概にはいえませんが、西日本では戦前から残っていた地域共同体(あるいはその構成員)による里山管理がほぼ壊滅状態になっているのでないかと思っています。それと野の花とどう関係するかなんですが、里山を生かしていると、野の花が快適に生育する環境が生まれるのではないかと思うのです。
で、野の花の再生は、森林が利活用されることにより可能となると考えていますが、それには、担い手を見いだす必要があると思うのです。野の花を見て歩く人は少なくないでしょう。ウォーキングやハイキングの好きな人は大勢いるでしょう。元々、里山は中世には後山(うしろやま)といわれ、その頃から地域の農民にとってコモンズ的な方法で、利用されてきたのではないかと思うのです。
それが明治政府、さらには戦後の施策により、私有権の対象として個人所有となったところに、問題があるように思うのです。コモンズとして蘇らせることにより、里山・森林がもっている本来の多様な機能を多くの人が享受してその恵沢を楽しむことができるのではないかと思うのです。
野の花もその一つです。精神的に悩み苦しむ人の憩いの場所、癒やしの場所にもなり得ると思うのです。いや、そういった里山再生のための活動こそ、真のハタラクになるかもしれません。
政府は、特区制度の効用として、法人が耕作放棄地で農業を行うことで一石二鳥的な自慢をしているようですが、それ自体の効用を否定しません。しかし、問題は自民党を生み出した農地制度にどっぷりつかっている状況では、真の農地・森林の改革が困難ではないかと思うのです。岩盤はどこにあるか、もう少し検討してもらいたいと思うのです。
そして、いま岩盤にくさびをいれ、人の多様性を受け入れ、また種の多様性を保存・発展するには、コモンズ思想の具体的な実現こそ必要ではないかと思うのです。それが実現したとき、野の花は真に美しく咲き誇り、老若男女、障害のある人ない人、人種の差別、性差を超えて、生き生きしたコモンズの世界が広がるのではないかと、甘い夢かもしれませんが見ています。
今日はこれでおしまい。
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