ばらくてブログ――おうたのかいオブさんのおおばらブログ――

おうたのかい作曲・歌唱担当オブさんが、日々のあれこれをてきとうに綴る、まとまりもとりとめもないいかがわ日記

シロウト考え休むに似たり(11)予備校の新聞広告を見ていろいろ考えちゃったりする(その2)

2016-04-09 14:15:21 | シロウト考え休むに似たり
このご時世、「有名難関大学に入る=幸福」ということにはならないのでは

 しかし、今のこのご時世、わざわざ予備校で勉強して「有名難関」大学に入れたからといって、その先のバラ色の人生が確実に保障される、というわけではないのが難しいところです。「東大出ててもバカはバカ」などという言い回しもすでに社会に定着しています。
 ついでに言えば、地方の県の多くの受験校では(新潟ももちろん含む)、東大をはじめとする「難関」大学合格率を上げることに血道を上げていますが、あれもどうなんでしょう。うかつに首都圏や関西圏あたりの「難関」大学に生徒を入れてしまうと、そのまま大都会に職を確保して居着いてしまい(何しろ有名企業や大企業は大都会に集中しています)、地方には「優秀」な人材がいなくなる、ということになっちゃうのでは。と思っていたら、もうすでにそういう傾向ははっきりしている、と、どなたかが雑誌で書いていました(どこかの県の元知事だった気がします)。
 「難関」大学に生徒を進学させることが目的化し、その結果、地域を支える優れた人材がどんどんいなくなり、その地域はどんどん衰えてしまう、というのは、なんだかタチの悪いブラックジョークみたいですね。

地域の維持・活性化のためには、地元の大学や専門学校をもり立てるべきでは

 そもそも、今の大学の学費は高すぎます。はっきり言って異常です。私がN大学文理学部の学生だった1980年代前~中盤、学費は初年度で60万円(入学金20万円含む)、2年目からは40万円でした。それから30年以上経過し、物価上昇率はそれほどでもないのに、学費はなぜか約3倍になっています。年間100万円を軽く超える学費や、首都圏のバカ高いアパートの家賃や食費など衣食住の経費を、子どものためにきっちりつぎ込める家庭は、今日の経済状況では多くないでしょう。当然ながら学生さんたちの多くは日本学生支援機構の奨学金(という名の教育ローン。約7割の受給者は年約3%の有利子奨学金です)を受給し、アルバイトもこなしながら大学生活を送っています。学生の本分たる「学び」がきちんとできているのか、とても心配ですし、そこまで苦労して大学を卒業しても、果たして望むような就業ができるのかも、実は不透明です。
 それなら、地元にだって大学や専門学校はあるんですから、地元の学校をもり立てていくほうが、地元に貢献できる人材育成や地域の維持・発展、そして地方自治の観点からもはるかに有意義だと思います。
 それを、やれ偏差値が低いだの、やれ誰でも入れるだの、大会社には就職できないだの、とわざわざ地元の大学を貶めてどうしますか。どんな有名大学に入学したって、そこでちゃんと学ばなければ、みんな「バカ」に戻るんです。「難関」大学に入学したって、そのことが「偉い」わけじゃない。どんな大学でも専門学校でも、「学びの場」であることに変わりはありません。そこでちゃんと学ぶことの方がずっと大事です。きちんと学べば、どんな人でもしっかりと成長し、本人の人生が豊かなものになり、結果として社会や地域も活性化していくと思うのです。
 だから、みんなで地元の大学や専門学校をもり立てていきませんか。もちろん、大学・専門学校自体の、教育内容をよくする努力が前提にはなりますが、県民みんなで県内の大学・専門学校とその学生を、金銭的な援助も含め、さまざまな形で応援していく。そして、地元の大学・専門学校でしっかり学び、力をつけ、地元という「足下」を見つめ、理解する学生を増やす。その学生が、就職や起業という形で地元に残り、地元を活性化させる。そういうことの積み重ねによって、中央に依存しない、「東京」の思惑に振り回されない、自立した地域を作り出すことができるのではないか、と思う今日このごろです。
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シロウト考え休むに似たり(11)予備校の新聞広告を見ていろいろ考えちゃったりする(その1)

2016-04-09 13:33:54 | シロウト考え休むに似たり
 春の新聞広告は、予備校が目立ってましたね。「東大・京大合格者」だの「難関大学入学者」だの「国公立医学部合格者」だのがうれしそうな表情で、その予備校で自分はいかに学習し合格できたか、などということをコメントしています。苦しい浪人時代を乗り越え、希望の大学に合格できたわけですから、それは大変めでたいことです。

もともと勉強が得意な人が「難関」大学に合格するのは「当たり前」なのでは

 しかし、高卒後2年間の労働者生活を経てから、某巨大大衆大学を4年半かけて卒業した私は、そういった広告を見るたび、どうにもやさぐれた気分になります。
 それは、私の学力が不足していて、「有名難関ブランド大学」に入学できなかった恨みやひがみである、というわけでは決してありません( ← ほとんど説得力がない)。私が気になるのは、その予備校で学習したことにより「難関」大学に合格した、という若者のほとんどが、全国でもよく知られた有名受験高校や、少なくとも各地方を代表するような受験高校の出身であるということです。
 それって、もともとお勉強が得意な人たちが、たまたま浪人しちゃったんで予備校に通い、恵まれた学習環境の中で明確な目標意識を持ち、その学力を十分に発揮した結果だってことですよね。
 そんなのあたりまえじゃん。
 そういう生徒ばかり集めてりゃ、そりゃ「難関」大学に合格する生徒は多いでしょうとも。
 でも、それでは、その予備校の指導力が優れてる、という証明や宣伝にはならんでしょう。

明らかに「学力」が足りなかった人を伸ばせてこそ、その予備校の実力を証明できるのでは

 とはいえ、少子化が進行し、大学入学人口もどんどん減っている昨今、予備校の経営もたいへんそうです。代々木ゼミナールなど、新潟校はなんとか生き残りましたが、全国の多くの予備校をたたんでしまいました。「生き残り」を考えたら、とにかく「難関」大学合格実績を強調するしかない、ということは、それなりに理解はできます。そういう実績を強調するためには、初めから学力があることがわかっている生徒を確保した方が話が早い、という意識が予備校各社にはあるんでしょう。
 しかし、もし予備校各社がその実力をアピールしたいのなら、そういう「合格してあたりまえ」な学生を前面に出すのではなく、受験界では全く無名な高校や、いわゆる「偏差値」が低くて大学受験とは無縁そうな高校出身の学生の学力を伸ばし、そういう学生をおおぜい希望の大学に入れている、というような実績を宣伝すべきではないでしょうか。もしそういう宣伝がなされたならば、高校時代までは学力が不足していたために不遇を託っていた若者が、その予備校で人生をやり直してみよう、と思ったり、その予備校で勉強して一発逆転してやろう、的な野望を持ったりする若者が増えたりし、結果としてその予備校の経営も安定する、ということになるのではないか、という気がするのですが。(この項つづく)
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