このご時世、「有名難関大学に入る=幸福」ということにはならないのでは
しかし、今のこのご時世、わざわざ予備校で勉強して「有名難関」大学に入れたからといって、その先のバラ色の人生が確実に保障される、というわけではないのが難しいところです。「東大出ててもバカはバカ」などという言い回しもすでに社会に定着しています。
ついでに言えば、地方の県の多くの受験校では(新潟ももちろん含む)、東大をはじめとする「難関」大学合格率を上げることに血道を上げていますが、あれもどうなんでしょう。うかつに首都圏や関西圏あたりの「難関」大学に生徒を入れてしまうと、そのまま大都会に職を確保して居着いてしまい(何しろ有名企業や大企業は大都会に集中しています)、地方には「優秀」な人材がいなくなる、ということになっちゃうのでは。と思っていたら、もうすでにそういう傾向ははっきりしている、と、どなたかが雑誌で書いていました(どこかの県の元知事だった気がします)。
「難関」大学に生徒を進学させることが目的化し、その結果、地域を支える優れた人材がどんどんいなくなり、その地域はどんどん衰えてしまう、というのは、なんだかタチの悪いブラックジョークみたいですね。
地域の維持・活性化のためには、地元の大学や専門学校をもり立てるべきでは
そもそも、今の大学の学費は高すぎます。はっきり言って異常です。私がN大学文理学部の学生だった1980年代前~中盤、学費は初年度で60万円(入学金20万円含む)、2年目からは40万円でした。それから30年以上経過し、物価上昇率はそれほどでもないのに、学費はなぜか約3倍になっています。年間100万円を軽く超える学費や、首都圏のバカ高いアパートの家賃や食費など衣食住の経費を、子どものためにきっちりつぎ込める家庭は、今日の経済状況では多くないでしょう。当然ながら学生さんたちの多くは日本学生支援機構の奨学金(という名の教育ローン。約7割の受給者は年約3%の有利子奨学金です)を受給し、アルバイトもこなしながら大学生活を送っています。学生の本分たる「学び」がきちんとできているのか、とても心配ですし、そこまで苦労して大学を卒業しても、果たして望むような就業ができるのかも、実は不透明です。
それなら、地元にだって大学や専門学校はあるんですから、地元の学校をもり立てていくほうが、地元に貢献できる人材育成や地域の維持・発展、そして地方自治の観点からもはるかに有意義だと思います。
それを、やれ偏差値が低いだの、やれ誰でも入れるだの、大会社には就職できないだの、とわざわざ地元の大学を貶めてどうしますか。どんな有名大学に入学したって、そこでちゃんと学ばなければ、みんな「バカ」に戻るんです。「難関」大学に入学したって、そのことが「偉い」わけじゃない。どんな大学でも専門学校でも、「学びの場」であることに変わりはありません。そこでちゃんと学ぶことの方がずっと大事です。きちんと学べば、どんな人でもしっかりと成長し、本人の人生が豊かなものになり、結果として社会や地域も活性化していくと思うのです。
だから、みんなで地元の大学や専門学校をもり立てていきませんか。もちろん、大学・専門学校自体の、教育内容をよくする努力が前提にはなりますが、県民みんなで県内の大学・専門学校とその学生を、金銭的な援助も含め、さまざまな形で応援していく。そして、地元の大学・専門学校でしっかり学び、力をつけ、地元という「足下」を見つめ、理解する学生を増やす。その学生が、就職や起業という形で地元に残り、地元を活性化させる。そういうことの積み重ねによって、中央に依存しない、「東京」の思惑に振り回されない、自立した地域を作り出すことができるのではないか、と思う今日このごろです。
しかし、今のこのご時世、わざわざ予備校で勉強して「有名難関」大学に入れたからといって、その先のバラ色の人生が確実に保障される、というわけではないのが難しいところです。「東大出ててもバカはバカ」などという言い回しもすでに社会に定着しています。
ついでに言えば、地方の県の多くの受験校では(新潟ももちろん含む)、東大をはじめとする「難関」大学合格率を上げることに血道を上げていますが、あれもどうなんでしょう。うかつに首都圏や関西圏あたりの「難関」大学に生徒を入れてしまうと、そのまま大都会に職を確保して居着いてしまい(何しろ有名企業や大企業は大都会に集中しています)、地方には「優秀」な人材がいなくなる、ということになっちゃうのでは。と思っていたら、もうすでにそういう傾向ははっきりしている、と、どなたかが雑誌で書いていました(どこかの県の元知事だった気がします)。
「難関」大学に生徒を進学させることが目的化し、その結果、地域を支える優れた人材がどんどんいなくなり、その地域はどんどん衰えてしまう、というのは、なんだかタチの悪いブラックジョークみたいですね。
地域の維持・活性化のためには、地元の大学や専門学校をもり立てるべきでは
そもそも、今の大学の学費は高すぎます。はっきり言って異常です。私がN大学文理学部の学生だった1980年代前~中盤、学費は初年度で60万円(入学金20万円含む)、2年目からは40万円でした。それから30年以上経過し、物価上昇率はそれほどでもないのに、学費はなぜか約3倍になっています。年間100万円を軽く超える学費や、首都圏のバカ高いアパートの家賃や食費など衣食住の経費を、子どものためにきっちりつぎ込める家庭は、今日の経済状況では多くないでしょう。当然ながら学生さんたちの多くは日本学生支援機構の奨学金(という名の教育ローン。約7割の受給者は年約3%の有利子奨学金です)を受給し、アルバイトもこなしながら大学生活を送っています。学生の本分たる「学び」がきちんとできているのか、とても心配ですし、そこまで苦労して大学を卒業しても、果たして望むような就業ができるのかも、実は不透明です。
それなら、地元にだって大学や専門学校はあるんですから、地元の学校をもり立てていくほうが、地元に貢献できる人材育成や地域の維持・発展、そして地方自治の観点からもはるかに有意義だと思います。
それを、やれ偏差値が低いだの、やれ誰でも入れるだの、大会社には就職できないだの、とわざわざ地元の大学を貶めてどうしますか。どんな有名大学に入学したって、そこでちゃんと学ばなければ、みんな「バカ」に戻るんです。「難関」大学に入学したって、そのことが「偉い」わけじゃない。どんな大学でも専門学校でも、「学びの場」であることに変わりはありません。そこでちゃんと学ぶことの方がずっと大事です。きちんと学べば、どんな人でもしっかりと成長し、本人の人生が豊かなものになり、結果として社会や地域も活性化していくと思うのです。
だから、みんなで地元の大学や専門学校をもり立てていきませんか。もちろん、大学・専門学校自体の、教育内容をよくする努力が前提にはなりますが、県民みんなで県内の大学・専門学校とその学生を、金銭的な援助も含め、さまざまな形で応援していく。そして、地元の大学・専門学校でしっかり学び、力をつけ、地元という「足下」を見つめ、理解する学生を増やす。その学生が、就職や起業という形で地元に残り、地元を活性化させる。そういうことの積み重ねによって、中央に依存しない、「東京」の思惑に振り回されない、自立した地域を作り出すことができるのではないか、と思う今日このごろです。