知里幸恵さんのこと

2016年03月23日 22時24分11秒 | 日記

ご無沙汰ばかりで…。

昨日、ブログ友から連絡があって…。

ありがたいことです。パソコンを開くきっかけを作って下さり

こうして書き始めています。

先日、道南地方へ車で家族旅行に行ってきました。

そのことから書き始めてみようと…。

東京は桜の開花宣言がありましたが、

北海道は今日も雪が降りました。

気温は少し上がって-3度。

 

タイトルの「知里幸恵さん」。

ご存知の方はいらっしゃるでしょうか?

私は知りませんでした。

偶然車の窓から『知里幸恵さん』の記念館が

登別にあると見つけた娘が行きたいということで

寄り道することになりました。

娘が小学校の国語の教科書に彼女の詩が乗っていたらしいのです。

とても好きでずっと記憶に残っていたらしい。

私はと言うと何の知識もなく、おまけにちょっと疲れ気味で

家族に付き合って時間つぶしに入場しただけ。

…のつもりだったのです。

おおよそ記念館、博物館にはフムフムという感じで

知識を詰め込んで帰って来るだけの私なのですが、

この『銀のしずく記念館』には深い感動を覚えました。

知里幸恵さんはアイヌ人としてアイヌ語を初めて文字に表し

日本語にも翻訳した女性なのです。

この方の人となりはをぜひ読んでください。

帰って来てから、頂いてきたいろんな資料を読んでいて

知里幸恵さんの弟が北大の言語学者知里真志保さんであることや

金田一京助さんとも深いかかわりがあることを知り

ちょっと驚きました。

資料館に展示されていた彼女のご父母様にあてたお便りなどは

心が洗われる思いで読ませていただきました。

世の中にこんなに美しい心を持ち続ける事のできるモノなのだろうかと

しみじみ感じ入ってしまいました。

金田一京助さんからいただいたノートをとても大事に

まるで活字のようなローマ字をには目を見張ってしまいました。

 なぜローマ字かというと、アイヌ語の独特な発音を表現するには

ローマ字での表記が最も適していたからなんだそうです。

 

梟の神の自ら歌った謡


「銀の滴降る降るまわりに,金の滴降る降るまわりに.」という歌を私は歌いながら

流れに沿って下り,人間の村の上を通りながら下を眺めると

昔の貧乏人が今お金持ちになっていて,昔のお金持ちが
 
今の貧乏人になっている様です.

 

これは知里幸恵の『カムイユカラ』の最初に収められた

フクロウのカムイユカラの冒頭の部分です。

 

彼女の事は 自分の備忘録としてまたの機会に書きたいと思います。