以前、紹介したことのある、五日市 剛さんの 『しあわせへの気づき』
定価は300円。
いつも売ってるわけではないのです。
宗教的な要素はないようです。
でもなるほどな~って思う事柄が47ページの厚さの中に収められています。
アップしていいのかどうか難しい事は分かりません。 (著作権とか…。)
でも皆さんへも幸せな気持ちのおすそ分けしたいな~~って思うんですよね。
だから今日はここのページを
イスラエルのおばあさんとの会話で
とても心に残っているのが 「 怒らないこと。どんな時も 」と言う言葉
僕は「う~~ん」とうなりましてね。
正直言って僕は腑におちませんでした。
「 人間であるからには誰だって怒ることくらいあるんじゃないですか 」と
言い返すと、おばあさんは、
「 怒らなくていいのよ。この世に正しい怒りなんて有るかしら? 」
とにっこり。 そしてこう付け加えました。
「 怒ってばかりいるとツキは逃げて行っちゃうわ。 怒れば怒るほど、あなたが
せっかく積み重ねてきた運やツキがね、どんどんなくなっていくのよ。」
柔らかい表現ではありましたが、当時 怒りんぼうの僕にはちょっとショックな言葉でした。
う~ん、どうも納得できません。
「 でも、誰かから誹謗・中傷を受けたときや理不尽な事件に巻き込まれた時なんて、
誰だって強い憤りを感じますよ。 相手に苦言を呈したいときなんかどうしたらいいんですか?」
それに対して、おばあさんは、
「そんな時は魔法の言葉。 すぐ自分に“ありがとう”と言うの。 すると、
それ以上腹が立たないし、怒り言葉は引っ込んじゃうわ。 そのあと、
ちょっと間をおいて、別の言葉で相手に優しく伝えなさい。これでOKよ 」
と言いました。なるほど、ムカっときたり 嫌な事があったら
”ありがとう”
まずはこれなんだ。そして間をおくことが大事。
……軽く深呼吸でもしてみようか。
当時怒りっぽい僕には、とても的確なアドバイスでした。
と、言うのです。
私もどうしても腑に落ちませんでした。
実は先日、お嫁さんとちょっとしたことでトラブルがありました。
その時 私はこの文章を思い出しもしました。
でも、やっぱりこの言葉が腑に落ちてはいなかった私は
自分に向かって“有難う”と言ってみたのですが何とも納得できなかったので
怒りを感じたら自分へありがとう…。なんで? としか思えないのです。
怒りを感じたり腹が立ったり自分が正しいと思ってるとき
すぐありがとうって言うのよって言われても冗談じゃない。としか思えなくて。
今日の有難う なんて毎回ブログの中で行ってみてはいるものの、
それは自分に向かって感謝の気持ちではないので
どうしても納得が いかないのです。
恥ずかしいことですが、何べんもありがとうと繰り返して見ても
やはりお嫁さんが間違ってると言う気持ちは収まらず
正さなければ気がすみませんでした。
人や物事に対して感謝の気持ちを持つと、言うことは
とても心が解放されることだと言うのは
自分が 『今日の有難う』 を書き出すようになって経験済みなのですが
意味もなく自分に向かって自分のために 『有難う』 と
言うのがどうしても納得いかないのです。
そんなことで納得できるはずがなくて
その気持ちをそのまま お嫁さんに
「それはあなたが 間違えてる」と 言ってしまったのです。
今にして思えば 姑の方が強いに決まってる。
それは自分が嫁として姑との関係の中で経験済み、なのに
言ってしまったのです。
そして、そのあとの後悔、自己嫌悪は大変なものでした。
我が家のお嫁さんは、世間にも少しは名前の知られたピアニストです。
彼女のプライド、指導者としての自信、そう言うものを私は
木っ端みじんに打ち砕いてしまったのかも知れません。
その後しばらくどちらからも連絡を取れずにいました。
でも昨日、車の事でどうしても連絡を取らなくてはならなくなり
緊張しながら連絡しました。
こんな思いをするのもイスラエルのそのおばあさんには、
承知済みの事だったのかも知れません。
そう考えると、確かに正しい怒りなどないのかも知れません。
彼女も連絡のしようがなくていたみたいで
電話の向こうから戸惑った緊張した、彼女の声が響きます。
でも根が正直な(???)私は、素直に彼女に詫びました。
強い姑の立場なのです。
哀れな仔羊をいじめるなんてできません。
彼女も普段の堂々とした自信に満ちたピアニストではなく
嫁の立場で、「言いすぎました。」と話してくれました。
これですべてがオープン・クリアになったとは思いません。
でも私の方は 心が少しは軽くなりました。
今日のありがとう
【自分で自分にありがとうと言う】と言う事。
正直 まだ納得できないのです。
でも少なくとも自分が正しいと思っても
決してそれがそのまますべての人に当てはまるわけでも
世間の中で正当に評価されるわけでもないと言う事。
ましてや ジェネレーションギャップと言う事もある。
世代の違う人たちにとって常識になるとは 限らない。
自分に感謝することの意味はまだわからないけど
自分をほめる事は出来る。
「偉かったね、お嫁さんに自分から
ごめんねって言えたのは、偉いよ。」
ほめてつかわす。 (なでなで)
(●^o^●)
そうね。私も姑となった今、結構気をつかってます。
母《姑)もやはり姑なりの気づかいをしていたと思います。
相いれないってことあるでしょう?
私はダメでしたね。
だから余計に自分はあのようになるまいって思ったのですけどね。
因果応報かも…。悲しいけど。
私はもう垣根を作ってしまったの。
ひととおりのことはありました。
姑となった今
気を遣ってたのは私だけじゃなく
お姑さんも同じだったんだな~と思うの。
佐藤勝彦氏はね
書、画、陶芸、木彫などの作品を発表しています。
絵や陶器の中に 彼なりの言葉が踊っていて
「なんもかんもお前のため」は、
20年ほど前に求めた一枚の絵の中に書かれてる言葉なの。
また いつの日か いくつか書いてみてもいい?
そうだよな~って納得したり、うんうんそうなのよって思ったり。
やはり姑で苦労した人は違います。
それが現在進行形なんですよね?
私も姑には苦労させられたはずなんです。
なのに亡くなってしまったら、なんかどうでもよくなってしまって
今は忘れてしまいました。
でも嫌だなと思った事…。
それをお嫁さんにはしないよう気を付けようっとは思ってます。
反面教師と言うヤツですね。
ありがとうございます。
自分だけは嫁とトラブルになるような事にはなるまいと思ってました。
だから好きなようにさせてましたし、これからもそれは変わらないと思います。
嫌な事したら息子が嫌な思いをするでしょうし、二人いる娘達が
嫁ぎ先で辛い思いをするのも嫌だし、決して私は嫌な姑にはなるまいと思っています。
でも自分では有りませんからね、心をすべて同じにとは難しいものです。
私も【ありがとう】とは言えないです。
ぐっと我慢した自分を誉めてあげる。かな?
怒りは、エネルギーが要ります。
それを一時、抑えることには少しのエネルギーで良いかも、
一時抑えて、ゆっくり考えます。何とか、妥協点が見つかるときは良いんですが、
後でその怒りを蒸し返してぶつけるのは難しくって、
結局、我慢してしまいます。そして、相手との距離が広がっていく気がします。
勝手に広げるのですから、向こうは何だ?でしょうね。
バジルさんみたいにはっきり言えるエネルギーを持った人に
憧れを持ちます。でも、やっぱり、疲れるよねぇ
姑(ハハ) は理不尽な怒りをぶつける人で、
そこに理屈など、ありません。勿論、間違ってたなどとはおっしゃいません。
それを受けて立ったら、修復不能になったでしょう。
やっぱり、ごめんねって言えたバジルさんは偉い。私だったら、言えないと思う。
それに、「姑(かぁ) さんの○○を見習いたい。」って、
言ってもらえる何かを持ちたいとも思っています。
虚栄心ですよね^^
そうなんです、姑(ハハ) のようにはなりたくない。って、思っています。
悲しすぎます。たぶん、夫はそんな姑(ハハ) を見て、
何度か、がっかりしてることでしょうから、
長~~~い、愚痴でした。
お会いした時ちょっとお話したこと…。
あの時の事をまだ引きずっているのです。
人間って凄く罪深く出来てるのかも知れません。
欲も虚栄もすべて捨てれたらどんなに楽で解放されることか…。
あの時、誕生日から性格診断みたいな事してくださいましたよね?
今にしてピッタリだなってコメント書きながら思ってます。
長崎はやっぱり体に有ってた気がします。
あれ以来体の調子がとてもいいのです。
雨がよかったのでしょうか?
また行きたいです。
いつも子供たちには言って来たのに、いつの間にか自分は忘れてしまったのかって
勿忘草さんのコメントにこの言葉を見つけてドキンってしました。
私は世に言う姑にはなるまいって、生意気にも思っていたのに
何と言う不遜な事だったかと
なんか穴が有ったら入りたい心境です。
私も、ムカッときたことをぐっと我慢できた時に
自分をほめてあげよう。そう思いました^^
そんな自分にありがとうと言うよりは
よくやったね!自分♪
と言う方の方が合っているような。。。^^;
たぶん、おばあさんの言われる「ありがとう」
は、怒りを抑えるひとつのおまじないの言葉みたいなものなのかしら。
それを効力のあるおまじないの言葉にできるかどうかは
やっぱり自分の心の訓練なのかもしれませんね。
いくつになっても訓練は必要ですね。
私も頑張ります^^
そんな事を考えさせて下さったバジルさんに
ありがとう^^
そんな中で少しづつ歩み寄れればいいのではないですか。
“ごめんね”と“ありがとう”をいつでも言える心を持ちたいものです。
思いがずっと後をひきます。
しっかり誰かと討論してはっきり納得したいです。
困ったしつこさです。
お嫁さんは、優しいよく出来た人だと思います。
ピアニスト独特の自信家で有る所がちょっと鼻につく事あります。(内緒です(~_~;))
でもあの自信がなければ人前では弾けませんよね。
そうできれば、ぶつかることはないでしょう。
出来ない私は、バジルさんと同じように後で気まずい思いをしたこともあります。
自分は弱い・・・と思っていても嫁姑の間では、姑は強い立場なのでしょうね。
たった今の、東京の気温33度ですって。
もう6時半を過ぎたのに気温下がらないのですね。
信じられない日本列島の長さ。
私の所は日中27℃まで上がったのですが今はひんやり、秋風みたいな冷たい風です。
熱中症には気を付けて下さいね。
私も適当にパス出来ればどんなに良いだろうって思います。
どうしても一度つかかったらその部分の通りを良くしないと先に進めない。
どうにも損な性格です。
何十年もそんな性格を引きずってやってきてます。
だから人よりいつも倍の時間をかかってしまう事もあります。
真面目と評価してくれる人もいますがドジと思う人もいます。
損な性格と思います。
本当にそうなんだなって思います。
所で
佐藤勝彦さんの「なんもかんもお前のため」
ってなんですか?
佐藤勝彦さんと言う作家さんがいるのですか?
不勉強で分かりません。
教えてくれませんか?
もし私の気持ちがすっきりするならよんでみたいです。
只今 思考力に 欠けています・・・
又 後日 ゆっくり 読んで ゆっくり コメントします
取り敢えず 足跡だけ・・・(笑)
怒っていて自分に“ありがとう”は納得いきません<<
ですよね?
私も何回読んでも納得できないのです。
でも言ってしまってからの後味の悪さは正しい正しくないの比ではありませんでした。
自分の娘なら、あらいいすぎた?ごめんねって済ませれるかも知れないけど
そうはいきませんものね。
ものすごく自己嫌悪を感じてしまい、しばらく頭を抱え込んでしまいました。
嫁姑問題って難しいですね?
つくずくうんざりしてしまいました。
バジルさんはとっても真面目に受け止めるから余計になかなか納得が行かないのだと思います。
私のように適当なノー天気人間は「あっ、そう!」と簡単に受け入れちゃいますね。
時々自分でも矛盾していないかな?と疑問を持つ事もありますが
「気にしない~~気にしない~~」と
昔から、悔しい思いや、悲しい思いを裂けるために自然に身に付いたのかもしれません。
バックオーライで たっぷり拝見しました。
ひまわりさんのところも 沢山読ませて頂きます 待っててね。
自分で自分にありがとう・・・ね~~
出来るかな?
私は佐藤勝彦さんの「なんもかんもお前のため」
この言葉をグッと飲み込むわ。
やってみてね。
これから出ます。また後でね。
大汗 蚊の餌食になり痒ーい
難しいですね
怒っていて自分に“ありがとう”は納得いきません
怒りを抑えるのに精いっぱいです
怒っていても滅多に表情に表しません 怒りを爆発させた時の後味の悪い事と言ったら…
お嫁ちゃんとの事も大変ですね~
お互い認め合って ゴメンナサイ 良い過ぎましたと一歩近寄れて良かったですね
知らないで過ごせる間柄ではないのですから分り合う事が一番ね
と言う私もすきま風が吹く時もありです
愚痴りませんがどちらかの嫁に救われています