私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  164 堀家輔政の嘆き

2009-05-21 10:59:46 | Weblog
     限有て 月日もめぐる よの中を
                  かわらぬものと おもいける哉 

 「有為転変の儚い世の中ですが、何時までも変わらないと思っていたのに」と、いう意味だと思います。それなのにどうして変わってしまったのか、弟は死んでしまってもうこの世の中には存在しないのだと、嘆き悲しんで詠んだ挽歌だと思います。
 此の前の便りには「正月には帰省する」と書いていたので、みんな楽しみにして待っていたのです。それが延び延びになって、今日の、こんな永久の別れを知る手紙なのです。夢にも思っていなかった事が目の前に起きてしまったのです。その時の兄の心中がこの歌です。

 それからしばらくして、
 「母君の御言のまにまに、服のはてぬ程に高雅が身のしろとするうぶがみと、ほそのをと、ぬけたるはの在りけるを、かりのはふりせんとて板倉山にのぼりけるとき、つつましければ面をかくしてそゆく。・・・・」
 と、日記に記しています。
 “つつましければ“とありますが、堂々と埋葬したのではありません、“かりのはふり”です。世間の目を気にしながら、何か隠れるような遠慮がちな、そうすることが気恥かしいような埋葬の儀式であったように思われます。
  
    内日さす 都にいます 君ながら 
                 はやかえりませ  松の下かぜ
    かしこきや 道敷の神に 乞もをす 
                 此霊やすく はやむかへませ

 その埋葬の時の歌です。
 遺骸は世の中の厳しいしがらみの中にあってどうしても迎えに行くことはできない。「どうぞ許してください。高雅よ、弟よ」と、呼びかけたのですのです。
 心の中で、
 「高雅の霊よ。どうぞ早くこの故郷に帰ってきてくださいな。あなたが慣れ親しんだ故里の松の下を流れる風と一緒に。霊を極楽に導くと聞いています道敷の神様、その松風と共に、その霊を、安らかに、ここへ導いてください。どうぞお願いします」
 と、歌いながら臍緒、生髪、抜歯を葬ったのです。
 
 晴らそうにも晴らせられない、どうしようもないやるせない輔政の心の内の現れた、これも挽歌なのです。「松の下かぜ」「はやむかへませ」という二つの言葉の中に、にじみ出ているようで、何か心が締め付けられるような気にいつもなります。