6月の初め頃より始めました湯浅常山の著した「常山紀談」に付いてのブログも、なんだかんだと言いながら半年近くなりました。この人の書いたものを総てご紹介するとなると1、2年はかかるでしょう。この紀段だけでも500編近い近世の武将たちを取り上げています。
私は、その中、岡山といいましょうか吉備地方に関する記事だけを集めて6月からご紹介してきましたが、いよいよこれが最後となります。
終わりと言えば、どうしても、彼が、そうです常山がです、近世の人物伝の中で、最も尊敬しただろう人の逸話をご紹介して終わらなくてはならないように思われます。
彼が、日本のそれまでの歴史上の人物の中で最も尊敬した近世の人物とは誰だと思われますか。
確かに、信長も秀吉も家康も偉大な人物として崇め立て祀ってはいるのですが、やはり一番の歴史的人物としては、彼の頭の中には、彼の禄をはぐくんでいた備前岡山藩主の初代藩主光政侯ではなかったかと思われます。
その光政侯に付いての記述は、次に取り上げますたった一項目に過ぎませんが、私には、この「常山紀談」を読んでみて、なんだか、そんな感じが何となくするのですが????。
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これは光政の肖像画ですが、その眼付きの鋭さは他の者を圧倒する力強さを物語っているように思われます。こんなものにも常山は、男として、また人間としても魅力に大いに惚れていたのではないかと思われます
私は、その中、岡山といいましょうか吉備地方に関する記事だけを集めて6月からご紹介してきましたが、いよいよこれが最後となります。
終わりと言えば、どうしても、彼が、そうです常山がです、近世の人物伝の中で、最も尊敬しただろう人の逸話をご紹介して終わらなくてはならないように思われます。
彼が、日本のそれまでの歴史上の人物の中で最も尊敬した近世の人物とは誰だと思われますか。
確かに、信長も秀吉も家康も偉大な人物として崇め立て祀ってはいるのですが、やはり一番の歴史的人物としては、彼の頭の中には、彼の禄をはぐくんでいた備前岡山藩主の初代藩主光政侯ではなかったかと思われます。
その光政侯に付いての記述は、次に取り上げますたった一項目に過ぎませんが、私には、この「常山紀談」を読んでみて、なんだか、そんな感じが何となくするのですが????。
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これは光政の肖像画ですが、その眼付きの鋭さは他の者を圧倒する力強さを物語っているように思われます。こんなものにも常山は、男として、また人間としても魅力に大いに惚れていたのではないかと思われます