高尚は本居宣長について、備前の人若林正晃に送った書状の中に
「名宣長。号鈴屋、松坂三井の裏町に住居。松坂にもしばらく滞留、日々参候て国学専要之儀共論じ候て高論を承候。歌文章の儀は私多年ねり候所甚宜と被賞申、別に論もなく同心に御座候て万葉家の古体を好はあしきよし被申候。神代紀など論じ神道の儀は大に益を得申候」
と書いております。
高尚が宣長に松坂で初めて会ったのは寛政五年で、この時の高尚の宣長感です。この時に子弟の契りを結んだものと思われます。なお、寛政十二年に出版された高尚の著書「消息文例」のはしきを宣長は書いております。
「今の世のうたよみは、おしなべて、歌よむことも、文かくこともいとつたなくして言葉づかひひがひがしく心しらひあやしく・・・・・・このせおそこ文例といふ書をなむ書あらはして、此文かくべきしるべとなむせられたるは、いともいともめでたく、おのれもはやくより心ざし思ふすじにて、いといとうれしく、こころゆきてなむおぼゆるままにまづよろこびがてらかくなむ。 本居宣長」
と。