高尚は、本居宣長がこんなな事を云ったとこの書簡には書いています。
[儒におそはれ候て本朝の道うずもれ候事なげきに国学をひろめ候様とくれぐれ被申、約をなし帰り申候」
とあります。寛政年間の松平定信の改革で、寛政異学の禁が発せられ、朱子学が幕府の教育の中心となるり。それにつれ、日本の古典「国学」の影も次第に薄くなる事を大変心配していたことがよく分かります。それが『儒におそわれ』の言葉からもよく分かります。国学者が、事もあろうに、本居宣長と云った当代一流学者さえ、そのことを危惧していたのです。
なお、これも余分なことですが、当時宣長達の国学だけでなく、論語を中心とした孔子そのものを研究する古学も、更に、陽明学などの研究の一派もその勢いが弱ったと云われています。
その中、亀田鵬斎等という面白い人物も此の期には現われています。ご参考までに