経済の不振とは裏腹に、野球の話題は素晴らしいものばかりだった。
WBCの日本優勝(2連覇)
イチローの不振→イチローの決勝打での締めくくり→シーズンイン後、WBC出場選手の相次ぐ負傷や不調(中日の選手は、辞退したけど、いまいちだった)、特にイチローの胃潰瘍には全世界が動揺。松井秀喜は膝の負傷からトレードの噂が消えず、岩村も途中で怪我・・・
春選抜高校野球。日本文理高校は優勝したチームに敗退も、夏に活躍の予感を漂わせる。
8月、高校野球では日本文理高校は準優勝。私は生きている内に新潟県の代表が決勝に行くなど夢にも思っていなかった。全国制覇を目標に掲げて頑張ったチーム。目標設定とコーチングの重要性を思い知る。準優勝チームの中村キャプテンのお父さんが、高校時代の私の先輩だったので、なおさら嬉しい。
9月。イチローが9年連続シーズン200本安打を達成。メジャー通算2000本安打とあわせて、偉業をダブル達成。2000本安打達成の早さも1900年以降で史上2番目。1番目のアル・シモンズは1924年から1944年まで活躍した選手。野球の質も全然違っていただろうから、どれほどの偉業であるかがよくわかる。かつてのライバルの活躍は嬉しいものだ
そしてヤンキース松井。
彼は私より1学年後輩。噂は彼が入学した年から、石川から新潟県柏崎市まで届いていた。
つまり、私にとっては松井もライバルだったわけだ。
メジャー移籍後、日本では50本塁打した男がチームバッティングに徹している。そこで勝負していた。1年目こそワールドシリーズに進出。松井自身もかなりの活躍をしたが敗退。
その後はプレーオフも敗退が続き、7年目の今年。
8月頃だったと思う、調子が上がり続け、プレーオフでも大活躍。
ワールドシリーズでは、最終戦の6打点。全体でも8か9打点だったが、いずれも勝利に結びつく凄い打点だった。
本塁打を3本。まさにミスターオクトーバーだった。
日本人としてはじめてのシリーズMVP。
くしくも同年代の二人がメジャーの歴史に名を刻んだわけだ。
私も、故郷の歴史に名を刻みたい。
勿論、福祉の仕事を通じてだ。
何ができるだろう。