稲垣潤一さんの自伝的小説「ハコバン70's」という本は大変面白いです。稲垣さんというと一般的には「ドラマティック・レイン」が有名で、あれをデビュー曲だと思っている人も多いでしょうが、あれは3曲目。
稲垣潤一さんは1953年生まれですが、「ドラマティック・レイン」が1982年10月の発売なので、その時点で既に29才だったのですね。あれだけのスター性のあった人が、それまで何してたかというのはこの本を読むとよくわかります。ただ、この本を加筆修正したという「闇を叩く」という作品が文庫で出てるので、そちらの方が入手しやすいかもしれません。どの程度違いがあるのかはわかりませんが。
稲垣さんは、高校卒業後の70年代に一旦バンドで東京に出たもののデビューはできず、クラブや米軍キャンプ回りの演奏活動に行き詰まりを感じ、故郷の仙台に戻ってハードなハコバン生活を経験したのち、紆余曲折を経て国分町の「スコッチバンク」という店でドラムを叩きながら歌っていたところをスカウトされ、デビューしたという経緯があります。
そもそもそれまでも歌うドラマ―として注目されてたのが、その「スコッチバンク」ではお店もバンドも良かったのでより評判が高まり、いろんな人が見に来て当時甲斐バンドがツアーで仙台に来た際にも店に立ち寄ったのだとか。
その際に稲垣さんの歌と演奏を見た甲斐さんが席に呼び、「いい声だね。スウィートな声だよね。」と気さくな調子でほめられて恐縮したのだとか。さらに「プロになりたい気持ちがあるなら紹介しますよ。」という言葉まであったそうです。
ただ、既に東京の別の事務所からスカウトされその連絡待ちの状況だったので丁重にお断りしたところ、甲斐さんは「そうか、ちょっと遅かったね。」と笑って頷いたそうで、もし順番が逆だったらまた違った展開があったかもしれませんね。
甲斐バンドというと、やはり歌うドラマ―の松藤英男さんがいて、あの方もスウィートな声ですから、その点も甲斐さんが反応するポイントだったのかも。
それで調べてみたら、稲垣さんと甲斐さんは同い年なんですね。1980年頃の話ですから、甲斐バンドは大ヒット曲も出て既に人気バンドになってたし、全国ツアーをしている甲斐さんの姿は稲垣さんにはまぶしく見えた事でしょう。その後、このお二人がどこかで絡む機会があったかどうかは不明です。
それにしても、いくら才能と情熱があっても、結局芽が出ずに音楽を続けられなかったミュージシャンがたくさんいたでしょうというのは、この本を読むとよくわかります。若き日の稲垣さんが苦悩する様子もあって楽しい話ばかりじゃないですけど、この本は面白いですよ。稲垣さんにアッパレです。