在宅医療をしています。 在宅で看取りを希望される方も多いので、死亡診断書(死体検案書)を書く機会も少なくありません。今年も、既に15通ほど書いています。
誰もが一度、人生の最後に発行される書類です。
誰もが一度、人生の最後に発行される書類です。
心して書いているつもりだけれど、30数年書いていても、未だに迷う事も多いです。迷うのは主に死因
死因なんて、ほぼ自動的に決まるのではないかと思われているかもしれないけれど・・・そうでもないのです。書く医師の主観によって結構変化し得ます。
死因は主治医の主観で変わり得る。そして、それ故、こんな世界にも、流行り廃りがあったりします。死因に流行り廃りなんて!!と、思われるかもしれませんが・・・・今現在、流行りかけているのは・・・老衰??
まず、死亡診断書を書くことが許されているのは医師、歯科医師のみ。そして、死体検案書を書けるのは医師のみ限定。
医師・歯科医師が「自らの診療管 理下にある患者が、生前に診療していた傷病に関 連して死亡した」と認める場合には死亡診断書を 交付し、それ以外の場合には死体検案書を交付す るものとされています 。
かいつまんで言えば・・・・
予想できた死亡の場合は死亡診断書
予想出来なかった死亡や、経過が不明、死因が推測不能な場合などは死体検案書になると考えていただいて大きくは間違っていないでしょう。
警察を呼ぶかどうかのは、また別の問題ではありますが、死体検案書の場合、警察のお世話になることも多いです。事件性があり得る場合は勿論、死因に少しでも疑問の余地があれば、警察の検視をお願いしています。
とは言え、年間20通ほど書く死亡診断書、死体検案書の殆どは、在宅で診てきた患者さんの予想された死亡に対する死亡診断書です。
その、死亡診断書の死因で、しばしば迷います。予想された死であるのに。
2019年の日本人の死因は、第1位のがん、第2位の心疾患、第3位の「老衰」と順位は前年と変わりあrませんでしたが、「老衰」による死亡率が前年比べて10ポイント超も増加しました。5位の肺炎も最近増加している死因。
肺炎の殆どが、老人の「誤嚥性肺炎」であり、老衰と関連が深い。
実際、老衰と肺炎、どちらを死因にするか迷う事も結構多いです。
老衰死とは、「加齢による老化に伴って個体を形成する細胞や組織の能力が低下し、多臓器不全により恒常性の維持・生命活動の維持ができなくなることによる死亡を言うのですが、100歳以上の死亡者42名を解剖してみたら、そのすべてに敗血症、肺炎などの死因として妥当な疾患を認めたという報告もあります。厳密な老衰死は非常に少ないのではないかと捉える事も出来るでしょう。解剖までして、死因を追求すればそうでしょうが、しかし、そんな追及をする必要はなく、おおらかに「老衰」を死因としても良いと私は思っていますし、多くの医者がそう思うようになっている様です。
誤嚥性肺炎:加齢による嚥下(飲み込み)が上手くいかないことによって食物や唾液を肺に「誤嚥」してしまって起こる肺炎は、老衰に極めて近いです。
死因に誤嚥性肺炎と書き、その原因として老衰と書くと、統計上ではその方の死因は老衰になります。 誤嚥性肺炎だけしか書かなかったら、死因は誤嚥性肺炎(肺炎)となります。この辺り、かなーり微妙なのです。
最近、老衰死が増えているのは、死因を老衰にすることで、「燃え尽きるまで生きられた」という、亡くなった方の死に方にプラスイメージを与えることが出来る?イメージがあるからではないだろうかと思っている。誤嚥性肺炎とすると、「避けられた死なのではないか」と、マイナスに捉えられる可能性がある。
死因に「認知症」と書くべきだろうと思う事も結構あるのですが、出来るだけ避けるようにしています。これまでに書いて、何度か抗議をされたことがあります。「母は惚けてなんていませんでした!」と、娘さんに泣いて抗議されたこともあります。先なくなる直前まで、認知症の周辺症状の対応をどうするか、一緒に考えていたつもりだったのだが・・・・・どうもイメージが悪いようだ。死亡診断書、重要な死因の医学的、統計学的資料の基になっているのですがねぇ。事実をそのまま書けばいいってものでもないようであります。
第1位の悪性新生物は、2019年の全死亡者に占める割合が27.3%(前年度に比べて0.1ポイント低下)で、日本人の3.6人に1人が「がんで死亡している」計算です。
また2016年までは「肺炎」が第3位でしたが、2017年には「脳血管疾患」が第3位、「老衰」が第4位となり、さらに2018年には「老衰」と「脳血管疾患」の順位が逆転しました。
最近では、新型コロナのせいで、入院すると面接が制限されることが多く、がん末期等での在宅看取り希望が増えています。高齢者で、入院を嫌われる方も多く、そんな患者さんの殆どが点滴に拒否的なのですが・・・・ご家族は点滴治療を強く望まれることが多いです。「ご本人が嫌がられることは極力避けましょう。ご自身が逆の立場だったら嫌なことされたくないでしょう?」と説得して、可能な限り、患者さんご本人の希望に沿った範囲内で、苦しくならない様に自然な形で最後を迎えられるようにさせていただいているつもりです。
最近では、新型コロナのせいで、入院すると面接が制限されることが多く、がん末期等での在宅看取り希望が増えています。高齢者で、入院を嫌われる方も多く、そんな患者さんの殆どが点滴に拒否的なのですが・・・・ご家族は点滴治療を強く望まれることが多いです。「ご本人が嫌がられることは極力避けましょう。ご自身が逆の立場だったら嫌なことされたくないでしょう?」と説得して、可能な限り、患者さんご本人の希望に沿った範囲内で、苦しくならない様に自然な形で最後を迎えられるようにさせていただいているつもりです。
かつては「加齢による自然死」を許さない「文化」が医療界に存在していました。私が医者になった30数年前、がん末期の方が息を引き取られるときでも心肺蘇生術を全員に施行していました。
今考えると「儀式」としか言いようがありません。患者さんご家族を病室の外に出てもらっての心肺蘇生。ひどいときには挿管して人工呼吸器につないでいた事すらありました。回復なんてあり得ないのに。今から考えると、患者さんの人権を無視した「拷問」に近い行為だったようにも思えます。しかし、それが当時の医療界の常識で、日本全国でそうしていました。罪深いことです。患者さんが暴れたりされると、拘束と言って、ベッドに手足を縛り着けることなども簡単に為してしまっていました。患者さんの人権に対する配慮が皆無と言って良い時代でした。
その反省のもと、今後は、認知症を患っておられても、可能な限り、患者さんの人権に配慮した治療をなしていきたいと考えています。患者さんの人生を邪魔しない医療の一部を支えていきたいと思っています。
生きてる方たの方がよほど怖いという意味が解りました。
たしかに、、、生きてる人の方が、、、問題ですね。
知らない人は、やっぱり、、、データーが無いので怖いです。
でも、、、死んだ人は、、、やっぱり怖くて、、、フリーズしますね。失礼しました。医師は別格の次元なのに、、、自分と同じように考えてしまって、、、なんでだろう???失礼しました。
文句を言うのも、支払いをしてくれるのも・・・残った方たちですからね!!
主導権は自分にうつるという、自分との戦いは、あるのでしょうね。私は、死んだ人は、、、やっぱりコワイですね。
自分が死んだことを想像すると、、、生き返ることが出来るなら
一度死んだ状態って、雲の上か?花のなかなのか?御馳走のなかなのか、空も飛べるのか、、、天国と地獄があるのか、、、行って帰ってきたいと思います。そしたら、、、死体は怖くなくなると思います。医学から、、、離れてしまい、、、失礼しました。
死亡診断書の記入なんて無機的な作業が、花鳥風月さんに取り上げてもらうと、何やら文学的な孤独ななりわいに変化してしまいました。モノの見方って面白いですね。
怖さは感じないです。怖いのは、正体の知れないもの、コロナなんかはチョット怖いです。死亡診断書の判断には、まず法律があって、その解釈には立派な文献もあるので、正体の知れない怖さはないです。
解釈次第で答えは変わりますが、答えを変えているのは自分であって、相手の姿が変わるのではない。それ故、怖いという感情は湧き出てこないのだと思います。
次元の境目の判断が任される時って、、、こわくないですか?