おはようございます。
GWに京都から西国街道を高槻市まで走った記録については前回で一応最終回となったのですが、この走りでもいろいろと登録有形文化財を見かけたので、今回はそれをお伝えしていこうと思います。
まずは京都市の中心部、平安神宮近くにある京都市美術館、建物自体は文化財ではないがそれっぽい外観なので取り上げています。見るからに重厚そうな建物は昭和初期のものだが只今リニューアル中、これだけ風格があっても時代の波には勝てないのかリニューアル後には命名権を冠した名前になるらしい。企業名を冠した文化財となると重厚そうな建物も何やそれ・・・になってしまうが、使われなくなったビルや家屋が違う用途で生まれ変わる、そうやって文化財がその姿を残していく、ちょっと違うパターンだが今までにもそう言ったのは結構あった。いつも例に出すのは京都市内にあるなか卯だが、この美術館が企業名を冠することにはやはり反対の声が挙がっているとの、まあ至極当然なことと言えば当然なことでしょう。
西国街道に入って向日市、長岡京市と京都西部の市を走ったわけだが、その道にもいくつか登録有形文化財がありました。写真1枚目~4枚目は向日市で府道から離れた旧街道上に連続に並んでいる家屋、何気なく京都方面に向けて走り始めた旅だったので前以てこれを巡ると言う予習はしていなかったが、それ以前に西国街道にある登録有形文化財はチェックしていたので、探し当てるには苦労はしなかった。次の物件は長岡京市の旧街道にある旧家屋、文化財サイトでは○○家住宅と記されていたから普通の住宅だと思って探していたら写真5枚目~7枚目にあるようなゲストハウスだった。サイトでは登録名が記されるのでこう言うのが結構迷ってしまうんだよなあ、まあこれも上に書いたのと同じように違う用途で生まれ変わったもの、いろいろな観光名所のある長岡京だが駅付近には特に見所はないだけにこう言ったゲストハウスで集客を見込みたいところだろう。
一方の写真下2枚目、3枚目にある家屋は調子八角交差点にたどり着くまでの旧街道にある民家、こちらは市の中心地から離れた所にあって付近には学校はあるものの雰囲気的には寂しい所、家屋の前にはこの建物が文化財であることを示す看板が立っているが、旧民家は誰も住んでいるような感じはなくありのままの姿を晒している。車は府道の方にあふれこちらは学生さんが通るだけの道と言う感じなので、さっきの家屋のようにゲストハウスに模様替えしても集客は見込めそうになく、このままの姿で残されているしこの先も残っていくのだろう。
大阪府に入って最初の登録有形文化財はJR島本駅前にある写真1枚目~3枚目にある建物、サイトでの登録名は「島本町立歴史文化資料館(旧麗天館)」となっている。資料館とか歴史館と言うと何かの建物が用途が変わってそのように利用されるイメージがあるが、名前の横には()でくくられて「旧麗天館」とある、これについては↓↓↓
「昭和16年(1941年)、桜井駅跡の記念館として建てられました。当時、大阪財界の重鎮であった一瀬粂吉(いちのせ くめきち)氏が当地を訪れた際に、楠公父子の忠孝に感激し、有志と共同で、史跡桜井駅跡の拡張整備事業に尽力し記念館を建設、島本町がその管理にあたりました。」(HPより)
とあるが、ここは島本駅なのに桜井駅とはこれ如何に・・・これについては前にもここでお伝えしたと思いますが、桜井駅と言うのは旧西国街道にあった駅家のこと、ってこれじゃあ説明にならんな~とまあ細かい説明は置いといて、一時は青年の家の講堂であった場所も閉所後は現在の資料館として利用されていると言うことである。
今回最後の物件、下2枚の写真にある建物は阪急高槻市駅の近くで町の中心地から一歩外れた所にある家屋、写真を見ても分かる通りここは医院で、入口にかかっている看板は左書きで○○醫院と記されているのが何とも時代を感じさせられる。付近はコンクリートの民家やマンションが建ち並ぶ所で、そんな中にこの医院だけがまるで時代が逆戻りしたかのように佇んでいる。
と言うことでお送りしてきました登録有形文化財巡り、いや~、このシリーズをやる時は疲れるわ~。正直言って建物の見た目だけにしか興味がないからここで紹介する時は写真を並べるだけでいいんやけど、いざ書く段となるとこの建物はどんな建物だとか由縁だとかを書かないと枠が持たない。それに中途半端やいい加減なことは書けないからいろいろと資料を・・・と言ってもほとんどがwikiだが・・・調べなければならない、まあここで書いているのはかじった程度の知識の中からほんの拾っただけのものなんですけどねえ、そんなんでもまあええわ、ちょっとのぞいたろと言う方がいてくれるだけでもうれしいことです。重ねてまたお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。 まちみち
GWに京都から西国街道を高槻市まで走った記録については前回で一応最終回となったのですが、この走りでもいろいろと登録有形文化財を見かけたので、今回はそれをお伝えしていこうと思います。
まずは京都市の中心部、平安神宮近くにある京都市美術館、建物自体は文化財ではないがそれっぽい外観なので取り上げています。見るからに重厚そうな建物は昭和初期のものだが只今リニューアル中、これだけ風格があっても時代の波には勝てないのかリニューアル後には命名権を冠した名前になるらしい。企業名を冠した文化財となると重厚そうな建物も何やそれ・・・になってしまうが、使われなくなったビルや家屋が違う用途で生まれ変わる、そうやって文化財がその姿を残していく、ちょっと違うパターンだが今までにもそう言ったのは結構あった。いつも例に出すのは京都市内にあるなか卯だが、この美術館が企業名を冠することにはやはり反対の声が挙がっているとの、まあ至極当然なことと言えば当然なことでしょう。
西国街道に入って向日市、長岡京市と京都西部の市を走ったわけだが、その道にもいくつか登録有形文化財がありました。写真1枚目~4枚目は向日市で府道から離れた旧街道上に連続に並んでいる家屋、何気なく京都方面に向けて走り始めた旅だったので前以てこれを巡ると言う予習はしていなかったが、それ以前に西国街道にある登録有形文化財はチェックしていたので、探し当てるには苦労はしなかった。次の物件は長岡京市の旧街道にある旧家屋、文化財サイトでは○○家住宅と記されていたから普通の住宅だと思って探していたら写真5枚目~7枚目にあるようなゲストハウスだった。サイトでは登録名が記されるのでこう言うのが結構迷ってしまうんだよなあ、まあこれも上に書いたのと同じように違う用途で生まれ変わったもの、いろいろな観光名所のある長岡京だが駅付近には特に見所はないだけにこう言ったゲストハウスで集客を見込みたいところだろう。
一方の写真下2枚目、3枚目にある家屋は調子八角交差点にたどり着くまでの旧街道にある民家、こちらは市の中心地から離れた所にあって付近には学校はあるものの雰囲気的には寂しい所、家屋の前にはこの建物が文化財であることを示す看板が立っているが、旧民家は誰も住んでいるような感じはなくありのままの姿を晒している。車は府道の方にあふれこちらは学生さんが通るだけの道と言う感じなので、さっきの家屋のようにゲストハウスに模様替えしても集客は見込めそうになく、このままの姿で残されているしこの先も残っていくのだろう。
大阪府に入って最初の登録有形文化財はJR島本駅前にある写真1枚目~3枚目にある建物、サイトでの登録名は「島本町立歴史文化資料館(旧麗天館)」となっている。資料館とか歴史館と言うと何かの建物が用途が変わってそのように利用されるイメージがあるが、名前の横には()でくくられて「旧麗天館」とある、これについては↓↓↓
「昭和16年(1941年)、桜井駅跡の記念館として建てられました。当時、大阪財界の重鎮であった一瀬粂吉(いちのせ くめきち)氏が当地を訪れた際に、楠公父子の忠孝に感激し、有志と共同で、史跡桜井駅跡の拡張整備事業に尽力し記念館を建設、島本町がその管理にあたりました。」(HPより)
とあるが、ここは島本駅なのに桜井駅とはこれ如何に・・・これについては前にもここでお伝えしたと思いますが、桜井駅と言うのは旧西国街道にあった駅家のこと、ってこれじゃあ説明にならんな~とまあ細かい説明は置いといて、一時は青年の家の講堂であった場所も閉所後は現在の資料館として利用されていると言うことである。
今回最後の物件、下2枚の写真にある建物は阪急高槻市駅の近くで町の中心地から一歩外れた所にある家屋、写真を見ても分かる通りここは医院で、入口にかかっている看板は左書きで○○醫院と記されているのが何とも時代を感じさせられる。付近はコンクリートの民家やマンションが建ち並ぶ所で、そんな中にこの医院だけがまるで時代が逆戻りしたかのように佇んでいる。
と言うことでお送りしてきました登録有形文化財巡り、いや~、このシリーズをやる時は疲れるわ~。正直言って建物の見た目だけにしか興味がないからここで紹介する時は写真を並べるだけでいいんやけど、いざ書く段となるとこの建物はどんな建物だとか由縁だとかを書かないと枠が持たない。それに中途半端やいい加減なことは書けないからいろいろと資料を・・・と言ってもほとんどがwikiだが・・・調べなければならない、まあここで書いているのはかじった程度の知識の中からほんの拾っただけのものなんですけどねえ、そんなんでもまあええわ、ちょっとのぞいたろと言う方がいてくれるだけでもうれしいことです。重ねてまたお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。 まちみち