まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.861 桜井市、忍阪街道

2017-11-22 11:29:01 | みち
おはようございます。











台風一過、彼岸花が咲く山の辺の道を通って桜井までやって来ました、明日香村への走りを来週に控えていて彼岸花もまだこれからか、と言う時期でしたが、ここまでなかなかいい風景が見れました。今回はまずは近鉄朝倉駅近くの国道165号線慈恩寺北交差点から旧街道へと入る、この道が初瀬街道、竹内街道と言う名前で大阪堺から峠を越えて奈良県へと入り、大和高田からは横大路となって桜井へ、その後は初瀬街道として三重県へと至っているが、最終的には伊勢神宮まで通じているので伊勢街道を総称としている。まあ奈良県民の自分(一人称)としては初瀬街道と言う名前がしっくりくる感じ、この名称は三重県に入ってからもいろいろな所で見れるから一番一般的なのかも。その初瀬街道は写真1枚目では道に逆になった「ト」の字の真っ直ぐではなく角度が広く曲がった棒の方、手前側が伊勢方面と言うことになる。写真2枚目、1枚目の奥にも写っているが折れた道標が痛々しい、誰かが車でぶつけたのだろうか、しかしそれを回収もしないでほったらかして寝転がせているなんて、自治体も何考えてんだ!
この辻から桜井方面へ、近鉄大阪線の高架がありその前には川があって古い石橋が架かっている、この川は大和川、この道と同じように堺から始まった大きな川もいつの間にか支流を何本も切り離して小さな川となってしまっている、この川もこの先山を越えて三重県へと至っている。高架をくぐる手前で国道165号線に合流して高架を通り過ぎると宇陀ヶ辻交差点、今は国道165号線と166号線がこの交差点の少し手前で分岐しているが、旧街道の時代にはここが初瀬方面と大宇陀方面への分岐点となっていた。この交差点から川沿いに伸びている道が忍阪街道、「古事記」や「日本書紀」でも知られている道、今回はこの道を一部だけですが走ってみることとしましょう。













さっき一部だけと書いたのですが、忍阪街道は宇陀ヶ辻から一部国道166号線を通り、途中で分かれて粟原寺跡まで通じている、今回は後々の予定と時間の都合でその半分だけを走ることに。まずは国道166号線を進んで忍阪東交差点から少し行った所の写真4枚目の旧街道との合流点へ、ここはこの旧街道の中間点に当たる所で写真3枚目にある道標が立っていて北に旧街道が分かれている、まずはこの道へと入って桜井方面に戻る形で忍阪街道巡りへとまいります。街道はまずは車1台しか通れないほどの幅で山里の風景が展開している、有名な歴史書にも出てくると言っても全国の人にはほとんど知られていない田舎の道、人の姿もまったく見かけない。しばらく進むと上の写真の後半にあるように旧街道の雰囲気が漂う町並の中へと入って行く、自分的にはこの町並だけでも十分だが、それではネタが持たないので、写真下2枚目、3枚目の道標にある石位寺でも行ってみることとしましょうか・・・










寺院は街道からほんの少しだけ外れた小高い所にある、写真1枚目、2枚目を見ても分かる通り、狭い敷地に本堂が建っているだけでもちろん観光で訪れている人もいない。何かあるかなと期待したがネタになるものもなく、見所と言えば写真3枚目、ここから見下ろす忍阪の集落の風景くらい、森や山がなければ大和平野も見渡せるのに、これも何か残念な感じ・・・結局文字数を稼ぐだけの来訪となっちゃいました。むしろ最後の写真にある由美かおるの看板の方がネタになるかも、こんな昔懐かしい看板は町ではほとんど見かけないが、奈良のような田舎ではまだまだ外すのを忘れ去られたかのように町角で見ることができる、アースの看板やボンカレーの看板、あとオロナミンの看板なんかは至る所に貼ってたもんね。こういった看板は例えば町から離れた山里や離島とかでもよく見かけることがあるが、もう一種文化財の域に入っていると言っても・・・や、そこまでは行かないか。でも例えば京都の町並によくある仁丹の地名表示看板が盗まれたりとか、時代を感じるものは収集家にとってはたまらないもんだろうな~、自分(一人称)も懐かしいと思ってカメラを向けてしまうもん。でも盗むのはいけないよな、そりゃあもう犯罪やもん、こういった看板はそのままあるがままの姿で残していくのが一番、たまたま外すのが忘れて残ってしまったのかも知れないが、この町並の時間の流れと歩みを同じくと言う感じで残していってほしいものであります・・・ってアースの看板だけでここまで話しを膨らませてしまいました、また次回もお付き合い願えたらありがたいことです、今回はここまでとしておきましょう。          まちみち