5年前に違うのSNSで書いたものが上がってきた。
まだ、両親がなんとか元気だった頃のこと。
しかし、この時、母はすでに、96%の視野がなくなり、1人では出歩けない状況だった。
『今あるものを、できることを数えよう。
できないことを数えるのはやめよう。』
そう言い続けていた私。
本当に、2人が、できることだけを数えられるようになったのは、あの世に逝く少し前だった。
いや、逝く前にしか、数えられなかったってこと。
その2人を見送ってから、かれこれ半年。
少しづつ落ち着いてきてる私だけれど
母の病気は、遺伝する。
100%じゃないけれど。
罹患したら、もう確率なんて関係ない。
私もあとどのくらいだろうと
ふと思ったら、美しいものをできるだけ見ておきたいと思った。
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《2013/6/11に書いたもの》
両手をグーにして少し穴が見えるように
ゆ~るく開いて
望遠鏡のように両目に当ててみてください!!
それが、今のウチの母の目の視野範囲。。。
見たいところをピンスポットのようには見るには
神経を使って体と首を動かして凝視するしかない。
増して片耳の聴力がほとんどない。
足元も見えない。
真横に立っても気がつかない。
狭い隙間に入って通り過ぎていくものを瞬時に見極めるゲームのような世界。
人の視野ってものは本当に生きていくのに便利になっている。
一部の視界に入ったものでさえ捉えられれば
そこを見てなくても回避したり注意したりできるように人の体は作られている。
とてもとても有難い機能が備わっている。
昨日、母親を連れて
少し離れた病院へ行って視野の検査。
もとより、視野が狭くなる病気を患っていて
原因がわからないから治す薬もない。
ただ、進行を見守るだけ。
明日にはもう、両目に蓋が降りるかもしれないという病。
最近になって、私を呼ぶ時、
いやに首を左右に動かす仕草が増えたので
これはいけないと思い眼科へとやってきたのは一ヶ月前。
診療時間の半分を自分の『いかに素晴らしい医者様にかかったか』を
演説のたまう大嫌いなタイプの先生に耐えながら
やっと、昨日、検査までたどり着いた。
視野狭窄が進んでいるとは思っていても実際は親とて他人の目である。
私には想像をフル回転で思いはせることしかなくてここまできたが
昨日、検査が終わった時に
検査の方から呼ばれて
『どれほど、視野が狭いか体験されていかれませんか?』と。
是非、お願いしますとメガネに付けられた黒い筒状のもの。
まさか、こんな小さな穴!!
怖々つけて見ると
ほんの・・・ほんの小さな世界。。。。
母はこんな小さな世界で日々生活していたんだ!!
どれほど怖かったことか!!
そう思った瞬間から、次から次へと溢れ出す涙。。。
日常の生活の中で
気をつけなきゃいけないと思うことは
できうる限りやってきたと思っていたけれど
まだまだ、甘かったんだと突きつけられた瞬間だった。
しかし、まだ、見えてる。
少し紗がかかったように曇っているらしいが
なんとか見えている。
それだけが今の救いである。
無いものを嘆くより、今あるものを生かそう~よと、
母本人にも、自分自身にも
言いながら、頷きながら。。。。悲しみを飲み込んだ。