湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

整体にて

2019-08-10 14:19:00 | コラム
子供達の帰省の準備
いつもながら慌ただしい
それに合わせて動いていたら
きたきた、筋肉痛www


先にいつもの整体に行くことにした。


横になり
うつ伏せに寝る


いつものシートに身を委ねる

先生は、まず私の背中に両手をつける

そして言う

『わぁ〜、きてますね、こりゃたいへんだ』

まず、素手で背骨中心を
揉みほぐしてから
上半身を起こし
カイロプラティックを施すために
小さくした体を抱きしめる格好で
ボキッと矯正する

相手によって
具合を見ながらやるそうだ


そして、違う台に
また寝かせて
オイルをつけながら
リンパを流す

さすりこむように
優しく優しく撫でていく
割合、際どいところまでくるので
どこまで来る気?
あ、そこまでねって具合に。


そしてそして
優しい声でいつも言うのよ

『いつもながら
ホントいい筋肉してますね〜』


あのぅ〜
確かに褒めて頂いているのは
毎度嬉しいことではあるけれど
重量に逆らえない肉になってしまった私なのに
良い筋肉とは少々複雑で(笑)

まして、堅くて良い筋肉だと太鼓判www


なぜか嬉しくない〜

女性らしい体ですねとか
言われたら
少しは嬉しいだろうけど。

ふくざつ〜


整体からのからの帰り道

じっと、空を見る、、、。







ゴーヤのお好み焼き味のチャンプル

2019-08-09 21:56:00 | グルメ
日差しがギラギラ

ゴーヤがニョキニョキ

あちこち

ゴジラの背中みたいな

ゴツゴツしたものが出来てくる

ポキって先っぽを持って

折るだけで獲れちゃう


たくさん、たくさん

獲れすぎちゃって

色んな料理のうち

どうしょうーって


あ、そうだ!

ウナギのタレは、重宝で

ウナギのタレを最後に絡めてチャンプルーした

鰹節と刻みのりをトッピング


照り焼き味になると思いきや


お好み焼き味になっていた


苦味は残るよー

だけど、これが夏にはたまらない


どうしても
苦味のダメな人は
色の白っぽいゴーヤをえらび
刻んだら、塩もみしてから洗ってつかってみてね。



夏バテしないでね







立秋の日に。

2019-08-08 20:20:00 | コラム
暦の上で
今日は、『立秋』

秋と書いて
『しゅう』と読む

響きがなんとも余韻が残る、、と
私が思っているだけだけど
真夏に聞く余韻

すこし優しげ


朝、洗濯物を干そうと
外に出たら
雲がひび割れて
薄氷が張っているかのような空だった


いままでと
陽の高さと角度がちがうことを
肌と目で感じたの


すこし涼やか




お昼過ぎ
洗濯物を取り込もうと
外へ出たならば
リーゼントした人の頭から
ハート♡が飛んでいくような雲を
見つけたから
思わず写メをした


上っつらの雲と
密やかに下をいく雲の
ひとときのコラボレーション
からみあって
ひととき一緒にいたら
真ん中から切れて
ハートブレイクしていった

空も動いてる

せわしなく

雲が空と追いかけっこ


まだ、季節は蝉時雨の中

降り注ぐ
耳をつんざく音のような
外野の人達が
すこし厄介な時もあるけれど

それでも

目を閉じれば本当の私がいる

小さく
そよそよと
流れる風に秋を感じようと
自分を感じるままいようと

気持ち良さだったり

楽しみだったり

心を
自分の心を解き放てばいい

自分の心は自分のものだもの



















お釈迦様の教え〜友達より〜

2019-08-06 15:50:00 | コラム
私の友達に
時折、お釈迦様(ブッダ)の
おはなしを書いている方がいて
その時々
胸にグッとくる時があります


先日
また、その彼女のブログには
ブッダのお話。

ちょうど
自我を責める人がいて
何を責めることがあるのでしょうと

時間を巻き戻しできるはずもなく
その時々を反省したのちに
『今』があるのなら
もう責めることも
否定することもいらないのだと
私は思うわけです。

その自分の時々を
選択したのは自分なのですから

あとは
自分はどこに立って見るか、、。


うちの亡くなった母が
ブッダの教えを知ってるはずもないのだけど
私が苦境に立ったとき
必ず、かけてくれていた言葉がある

『ええかー
ようききゃー、この世で起こったことは必ずこの世で解決するようになってある。そやから、心配せんでええ。自分を責めたらあかんのやで。』


そんな言葉を思い出したのです。
友達のブログより拝借してきました。



『ブッダの教え一日一話』
(アルボムッレ・スマナサーラ著)より



すべてのものごとは

起こるべくして

起こるのです。


ところが

自我は

ものごとを

「起こさせよう」

とか

「止めさせよう」

とします。


そこに

問題が

起きるのです。


自分という

主観を

消してみれば

ものごとが

客観的に

みえてくるのです。


そこにあるのは

ただ

行為だけ

ですから

何のこともなく

整理整頓できます


客観的になった人にとって

解決できないことは

何ひとつ

ない

のです。


だから

人は

主観を捨てて

客観的になるべき

なのです。

母の言葉とは
切り口は違うけれど
言いたいことは近いのだと思うのです。



自分のこころを客観的にして
謙虚な位置で、前を向けば
解決できるんだと、、、。


そういえば
お釈迦様は、菩提樹の下で
悟りを開かれたとあります。

菩提樹は探せないけれど
お釈迦様のように悟ることはできなくても、幸せになるために
お釈迦様の言葉が残されているのなら、その言葉は、幸せの願いにつうじているのだと思う。


宗教を超えた部分
人として。










赤い月におもふ

2019-08-06 09:06:00 | ポエム
爪痕に
血が滲んだように
のぼりかけなのか
くだりかけなのか

わからないような赤い月

見上げては
ハッと我にかえる

見上げては
ウッと我にきく

誰かのこころに
痛い爪痕を残したままかな

私のこころが
痛い爪痕が残ってるように


生きていれば
傷ついて
傷つけてしまうのは
互いに仕方ない話なのだけど


できれば優しく甘く
残したいものを


笑いながら
そうだったねーって
言える日を

ああ、そうだったんだゎーって
思える日を