子供のころからいじめに会い、友達と呼べる他人がほぼいなかった。
テレビで見る芸能人は憧れでした。
いわゆる心の友のような存在でした。
雲の上の他人です。
私は何十年も同じテレビで見た芸能人に憧れを抱いていました。
そして子供の頃の夢は歌手になることでした。
ところが自分がブスだとわかると歌手の夢はあきらめてバスガイドになることです。
そんなある日同級生の家でそのころリール式のテープに自分の声を吹き込んで音痴だと判明したのです。
もはや歌手になる夢もバスガイドの夢も私の中からは消えてゆきました。
高校を卒業するときに和裁の専門学校に行こうと思っていました。
手に職を就ける。
もしも結婚できなくても生活していけると思ったからです。
そこにはささやかな夢もあったのです。
その夢も親の反対に逢い、泣く泣く就職をしました。
32歳でお見合い結婚をし、2年後に不妊治療を行うことになったのです。
4年間大学病院に通い、子供を産む、持つ夢を夫婦であきらめました。
私が42歳の時に70歳になった母が働けないと我が家に着ました。
そしたら生活は元の木阿弥です。
母に管理され監視された生活は楽しいものでは無かったのです。
私は40代の終わりに更年期になりました。
近所の婦人科に通いました。
最初はホットフラッシュが続きました。
そのうちどうもこれはおかしいぞ?という症状が現れてきたのです。
妊娠したことも無いのにまるでつわりのように毎日辛いのです。
市内の別の婦人科にも行きました。
他所の市の婦人科にも行きました。
原因は母の同居にあったのです。
友達に相談し、保健センターにも相談に行き、心療内科に通うことにしたのです。
極端な意欲低下にも陥りました。
ちょうどそのころたまたまテレビで見たシャンソン歌手のクミコさんに「この人だわ!」と思い、それからネットであれこれ検索し、クミコさんのコンサートやライブに行くようになったのです。
病院の薬の力も借り、クミコさんの歌を聴くうちに私のつらい症状も徐々に改善されて行ったのです。
私の心にクミコさんの歌がスーッと入って行ったのです。
少々体調が悪くてもクミコさんの歌を聴きに行くと元気をもらえるのです。
あれから数年、たまたまTwitterでクミコさんのお友達のラジオで玉川奈々福師匠が出ると知りました。
「浪曲?」
昔はお年寄りの楽しみだった浪曲です。
ちょっと興味を持ったので、浅草の木馬亭の定席を聴きに行くことにしたのです。
たまたま行った日はNHKの取材があり、お客さんはガラガラでした。
これではわからないと次の年にまた行こうと思った矢先です。
年の暮れに私は神経性胃炎に襲われたのです。
病院は年末年始でやっていません。
泣く泣く1月の定席はあきらめました。
そして2月の定席に行ったのです。
その日はたまたま玉川奈々福師匠と五代目天中軒雲月師匠が出ていました。
聞き比べては悪いと思いましたが、私は雲月師匠の声にピンと来たのです。
まさに私好みの声でした。
それからことあるごとに浪曲を聴きに行っています。
友達のほぼいなかった私はテレビや舞台で見た芸能人に憧れを抱いていたのです。
多くを望みません。
芸能人は憧れで心のよりどころです。
結婚して私は何とか地元で友達を作ろうと思いました。
市の広報を見て無料や材料費だけの講習会にいくつも申し込みました。
友達と言うものは待っていても出来ないのです。
何とか友達も地元で出来ましたが、孫が出来て疎遠になった他人や、施設に入った他人や、亡くなった他人もいます。
辛い時や苦しい時に私の心にはいつも芸能人がいたのです。
それは心のよりどころでした。
元々芸能人は雲の上の存在です。
最初に好きになった島倉千代子さんはファンが山ほどいました。
私は一ファンに過ぎないのです。
芸能人はいつまでも憧れです。
心のよりどころです。
自分がなりたいとも思いません。
好きになった芸能人からは元気をもらっています。
現在私がこんなに元気になれたのも芸能人のおかげです。
どうぞいつまでも活躍してくださいね。
テレビで見る芸能人は憧れでした。
いわゆる心の友のような存在でした。
雲の上の他人です。
私は何十年も同じテレビで見た芸能人に憧れを抱いていました。
そして子供の頃の夢は歌手になることでした。
ところが自分がブスだとわかると歌手の夢はあきらめてバスガイドになることです。
そんなある日同級生の家でそのころリール式のテープに自分の声を吹き込んで音痴だと判明したのです。
もはや歌手になる夢もバスガイドの夢も私の中からは消えてゆきました。
高校を卒業するときに和裁の専門学校に行こうと思っていました。
手に職を就ける。
もしも結婚できなくても生活していけると思ったからです。
そこにはささやかな夢もあったのです。
その夢も親の反対に逢い、泣く泣く就職をしました。
32歳でお見合い結婚をし、2年後に不妊治療を行うことになったのです。
4年間大学病院に通い、子供を産む、持つ夢を夫婦であきらめました。
私が42歳の時に70歳になった母が働けないと我が家に着ました。
そしたら生活は元の木阿弥です。
母に管理され監視された生活は楽しいものでは無かったのです。
私は40代の終わりに更年期になりました。
近所の婦人科に通いました。
最初はホットフラッシュが続きました。
そのうちどうもこれはおかしいぞ?という症状が現れてきたのです。
妊娠したことも無いのにまるでつわりのように毎日辛いのです。
市内の別の婦人科にも行きました。
他所の市の婦人科にも行きました。
原因は母の同居にあったのです。
友達に相談し、保健センターにも相談に行き、心療内科に通うことにしたのです。
極端な意欲低下にも陥りました。
ちょうどそのころたまたまテレビで見たシャンソン歌手のクミコさんに「この人だわ!」と思い、それからネットであれこれ検索し、クミコさんのコンサートやライブに行くようになったのです。
病院の薬の力も借り、クミコさんの歌を聴くうちに私のつらい症状も徐々に改善されて行ったのです。
私の心にクミコさんの歌がスーッと入って行ったのです。
少々体調が悪くてもクミコさんの歌を聴きに行くと元気をもらえるのです。
あれから数年、たまたまTwitterでクミコさんのお友達のラジオで玉川奈々福師匠が出ると知りました。
「浪曲?」
昔はお年寄りの楽しみだった浪曲です。
ちょっと興味を持ったので、浅草の木馬亭の定席を聴きに行くことにしたのです。
たまたま行った日はNHKの取材があり、お客さんはガラガラでした。
これではわからないと次の年にまた行こうと思った矢先です。
年の暮れに私は神経性胃炎に襲われたのです。
病院は年末年始でやっていません。
泣く泣く1月の定席はあきらめました。
そして2月の定席に行ったのです。
その日はたまたま玉川奈々福師匠と五代目天中軒雲月師匠が出ていました。
聞き比べては悪いと思いましたが、私は雲月師匠の声にピンと来たのです。
まさに私好みの声でした。
それからことあるごとに浪曲を聴きに行っています。
友達のほぼいなかった私はテレビや舞台で見た芸能人に憧れを抱いていたのです。
多くを望みません。
芸能人は憧れで心のよりどころです。
結婚して私は何とか地元で友達を作ろうと思いました。
市の広報を見て無料や材料費だけの講習会にいくつも申し込みました。
友達と言うものは待っていても出来ないのです。
何とか友達も地元で出来ましたが、孫が出来て疎遠になった他人や、施設に入った他人や、亡くなった他人もいます。
辛い時や苦しい時に私の心にはいつも芸能人がいたのです。
それは心のよりどころでした。
元々芸能人は雲の上の存在です。
最初に好きになった島倉千代子さんはファンが山ほどいました。
私は一ファンに過ぎないのです。
芸能人はいつまでも憧れです。
心のよりどころです。
自分がなりたいとも思いません。
好きになった芸能人からは元気をもらっています。
現在私がこんなに元気になれたのも芸能人のおかげです。
どうぞいつまでも活躍してくださいね。