ちいさなつづら

肩幅で暮らす。

伊予生糸の伝承へ!!

絶滅の危機にある文化、養蚕・製糸。その中でも、最高級品質の絹糸、「伊予生糸」は、日本の地理的表示保護制度の認証を受けています。養蚕農家、製糸技術者が減ってゆく中で、どのように後世に残して行くか、皆さんのご協力を得ながら、課題解決に向けて頑張ります。応援よろしくお願い致します!

こうか2

2014-09-09 11:51:02 | たのしいおと

 つづいて、中学の校歌。


 『文化はひらく 筑波嶺と富士のあいだ


  光あれ わが学び舎 光あれ わが学び舎


  自立 創造 理想は高し』



  何となく、中学校っぽい、やや大人びた歌です。


  ちなみにメロディのイントロは、アメリカ合衆国の国歌に、似ています。



 『天地は抱(いだ)く 武蔵野の丘のほとり


 睦びあれ わが産土(うぶすな) 睦びあれ わが産土


 調和 協同 理想は高し』



  この歌で一番好きなのが、2番。


 睦(むつ)びあれ わが産土


  土産(みやげ)じゃないですよ。うぶすな、です。


 こういう古語風な表現、好きなんです。



 『春秋尽きず 荒川の清き流れ


 栄えあれ  (校名) 栄えあれ (校名)



 努力 向上 理想は高し』




 私の中学時代と言えば、金八シリーズの貫八先生が終わったぐらいだったかな?


 いわゆる学校がとても荒れた時代をやや過ぎたころ。



  もちろん、校内暴力だとか、いじめだとか、ありましたよ。それでも、百戦錬磨の熱血先生たちが、荒れに荒れた時代を乗り越えてきていたので、ある意味完成された教員ぞろいだったようにも思えます。


 学校のシンボルは、四葉のクローバー。その昔、学校の敷地が、牧場だったことに由来しています。




 東京23区とはいえど、昔は自然が豊かだったのです。




P.S. 私の時代は、教員に戦争経験者がいました。ぎりぎりで。


 そのうちの一人で、数学の先生だったおばあちゃん、大好きでした。


 何よりも、数学のニガテな私にも、とても分かりやすく教えてくれて、おかげで高校入試も合格。


 あの出会いがなかったら、高校落ちてたな。


 その恩師は、とくに人気の高い先生で、いつも口癖がありました。


 『教え子を戦場に送るな』



 卒業アルバムにも、この言葉は刻まれています。
 

こうか

2014-09-09 06:55:33 | たのしいおと

 みなさんは、いくつ、校歌を覚えていますか?



 校歌には、いい歌もたくさんありますね。



 私の通った学校の校歌、少しずつ紹介してみたいと思います。



 『湧き水の輝くように いつもいつも 新しい 希望にあふれて 我らは育つ』



 なんて美しい表現なのでしょう。



 『青空を 照り返す 水のように はつらつと我らは歌う』



  自然の美しさと、子供たちの生命力を、見事に表現していると思います。実にいい歌です。




 2番


  『美しい自然の中に いつもいつも うつくしい 心を磨いて 我らは伸びる』


 小学校の歌です。東京の小学校です。当時はまだ美しい自然がたくさん残っていました。経済最優先の大人たちによって、破壊されました。


 『青草を 吹き渡る 風のように かぐわしく我らは進む』



 学校のシンボルは、『麦』。


 gooの古地図サービスで、小学校の昔の風景を見ると、やはり周囲は農地が多いです。現在はありません。



 麦は、踏まれれば踏まれるほど強くなる、植物。


 
 わが反骨精神(?)がはぐくまれたのは、この頃からか???
 

さわやか

2014-09-09 06:15:42 | 大地の恵み


 ここ二日ほど、天気がいい。


 昨日は湿度が久しぶりに低く、からりとして、さわやかでした。



 日差しは強くても、湿度が低いだけで、格段に体調がよくなります。



 今年の夏は、去年のような高温ではなかったけれど、とにかく、湿度が70%から90%なんて日が1か月以上続いていましたから、しんどいのしんどくないのって。



 慢性的な軽い熱中症だったといってもいいかもしれません。なんとか持ちこたえました。




 さて、そろそろ秋まき野菜の播種時期です。



 野菜農家さんは作業に追われていると思います。



 我が家でも、いろいろ種まきをしたいところですが、畑に夏野菜がまだ陣取っているため、進んでいません。


 後、これから秋はみかん作業で忙しいため、野菜作りはなかなか難しいのでした。



 とりあえず細ネギとニンニクだけは植えつけたけれど。


 玉ねぎやらっきょうもやりたいし、ニンジン、大根もまきたいなあ。