私が理解しているかぎりで言えば、愛とは魂の内奥でうごめく霊性の一部で、創造主たる神とのつながりを悟った時におのずから湧き出てくる魂の欲求です。最高の愛には一かけらの利己性もありません。・・・最も程度の低い愛、狭隘で、好意を覚える者だけを庇い、そして援助し、見知らぬ者には一かけらの哀れみも同情も慈悲も感じない者もいます。しかし宇宙には神の愛が行きわたっております。その愛が天体の運行を定め、その愛が進化を規制し、その愛が恵みを与え、その愛が高級霊の魂を鼓舞し、それまでに成就したもの全部をお預けにして、この冷たく薄暗い、魅力の乏しい地上へ戻って人類の救済に当たらせているのです。『シルバーバーチの霊訓(1)』
たぶんだけど、みな「自己犠牲」が「愛」だと錯覚してる。
「おのずと湧き出る魂の欲求」が単なる「洗脳」にすり替わった気の毒な例としてしすぐに思い浮かぶのは、お国のために命を捧げた兵隊さんたち。
もっとも尊い愛とは、自分の命を差し出すことだと思ってる?
昭和の歌にそんな歌詞あるよね。
イエスは人を庇って死んでない。他人に命を差し出してない。人類を庇って死んだみたいな教義になってるけど、高級霊らしく、霊界に忠実だった結果死刑になった。
イエスだって飢えた人や物乞いをする人に沢山出会ったはずだけど、全員を援助したとは思えない。キリがないもの。
出来ることも出会いも限られているんだ。自分に縁のある人に奉仕できるくらいの小さな単位が沢山増えて、それが地球規模で増えて、結果地球全体が良くなる。そうでなくちゃ これだけの人口要らない。
私の守護霊さんも指導霊さんも、私専属で応援してくれてると思うから、私が自分を犠牲にしまくって病気になったり途中で死んだら残念に思わないかなあ??
自分も相手も幸せであること、単純だけどこれが最高の愛だと思う。
だって愛が進化を規制しているんだもの。進化は苦を伴うけど、それが愛にはないもの。愛は愛する思いだけ。
誰かを自分の命と引き換えに助けることが自分の幸せと思うなら それも愛なんだ。自分が満足なんだから自己犠牲ではないよね。